* Tears In School
三年の彼女はドアを閉めて鍵をかけ、こちらに来た。ななめ向かい、ゲルトの机に腰かける。
自分の席のすぐ脇にいる私は携帯電話の電源を切ってポケットに戻してから窓にもたれ、脚を交差させて腕を組んだ。
「なんですか」
彼女は視線を合わせず口を開く。「あんた、どれだけヒトに恥かかせてくれれば気が済むの?」
「私があいつとつきあってるって知ってて腕組んだり、キスするためにボタンを競り落として、あからさまな敵意を見せてくれたのはどこの誰ですか」
「あんたが動じたようには見えないんだけど」
私も視線をはずした。
「動じてませんよ。どうでもいい」
彼女がこちらを見る。「どうでもいい? どうでもいいってなに?」
「くだらない嫉妬はしないって意味」
「くだらないってなに? 嫉妬するのが普通じゃないの? そりゃある程度なら嫉妬しない人間だっているだろうけど、好きな男が他の女と腕組んで歩いてたり、キスするってなったら普通、嫉妬するんじゃないの? イヤだって言うんじゃないの? 止めるんじゃないの? あんたはなんで止めないの? なんでそんな平気な顔してんの?」
「表情のことを言ってるなら、この顔は生まれつき。多少の感情はありますよ。でも言うほどのことじゃない。腕を組んで歩いてようと、私はなにも思わない。あえていうなら呆れ。また女連れてるっていう呆れ。花道の時に笑ったのは、そっちが睨みつけてくれたから。キスを煽ったのは、あの時言ったように、ちょっとムカついたから。競りでキスがあるなんて知らなかったから。知ってたらどうしたかはわからない。だけど私には、それをイヤだって言う資格はない」
「──資格ならあるでしょ。つきあってんだから」
私は鼻で笑った。
「そういう問題じゃない。先月、他の男にキスした。同期の女が友達にくだらないことして、その娘を傷つけたから。私はムカついて、その中のひとりがつきあってる男に、他の同期の連中が見てる前でキスした。そいつらを傷つけるために」
数秒、沈黙。
「──あんた、ホントにあいつのこと、好きなの?」
そう訊いた彼女の視線を受け止めた。彼女は疑わしげな表情で私を見ている。
「私はマイナスな感情を顔に出さないことにしてる。特に意識もしてないけど。どうでもよさそうに見えるなら、そう思ってればいい。私があいつをどう思ってようと、あなたには関係ない」
彼女は一度開きかけた口を閉じ、また視線をそらした。
「──知り会ったの、いつ?」
こちらも視線をはずす。
「去年の五月。あいつが更生施設から戻ってきてすぐ」
「──つきあいはじめたのは?」
「七月。夏休みに入る前」
「どっちから?」
「むこうから」
「──嘘でしょ」彼女は背中を曲げてうつむき、両手で額を覆った。「──たったの、二ヶ月──?」
たったの、二ヶ月。
「一度は別れましたよ。九月から十月。よく覚えてないけど、喧嘩してまともに口きかなくなって、一ヶ月くらいは別れてた」
「──あの頃、あいつ、ほとんど学校来てなかった──」泣いているのか、小さく鼻をすすった。「──あんたと、別れてたから──?」
「たぶん」
彼女は泣きながらも、なんとか息を整えようとしている。
「──なんで──」どうにかといった様子で、言葉を押し出した。「──どうやって、やりなおした?」
「あいつがまた施設に戻りそうなことをしたから、ムカついて、会いに行った。私にはなにしてもいいけど、施設に戻るようなことはやめてって言った。一度は怒ったけど──まあ、戻った」
うつむいたまま、彼女は静かに笑った。
「──なにそれ」
少し間を置き、彼女がまた口を開く。
「──その、たぶん、ヨリ戻したっていうあとだと思うけど──アゼルがまた学校に来るようになって、あいつの態度がずっと、あからさまになった。今日の花道で、もうひとり、あいつの腕を組んでた奴──あれが、アゼルと腕組んで歩いてたら、あんたに会ったって。っていうか当てつけで、一緒にいてあんたに気づいたから、腕組んだって。だけど、あんたは気にもしてない感じで、しかも目の前でキスされたって」
彼女は、かすれた声で続けた。
「そいつがアゼルに訊いて、つきあってるっていうから、噂は確定になった。だけど他の女と腕組んで歩いてることを気にしてないとかは、さすがにありえないとか思って、だから私も、同じようなことをした」一度言葉を切り、また小さく笑う。「──けど、ほんとに、気にしてないんだもん」
私は黙って話を聞いている。今考えても、その時どういう反応をすればよかったのか、どういう反応をするのが正解なのか、私にはさっぱりわからない。
彼女は涙を拭いて左腕だけを脚の上におろし、うつむいたまま髪をかきあげると、そのまま額に手を添えてまた話をはじめた。
「あいつのあんな状態、はじめてだったから、あたしたちもさすがに、諦めるべきだって思った。だけどその反面、あんたのあの、嫉妬しないってのに、すごくムカついた。こっちはつきあってないから、嫉妬できる立場じゃないのに──嫉妬できる立場にいるあんたは、ちっともそんな素振り見せなくて──一年のくせに、マスティとブル以外、誰も、あいつと対等の立場に立てなかったのに──誰も、本気で相手してもらえなかったのに──そんななのに、あんたは、ちっとも──」また、泣きだした。
──“ちっとも、動じない”。
なにがそんなに気に入らないのか、ぜんぜんわからない。なぜ放っておいてくれないのだろう。なぜそんなに、私をどうにかしたいと思うのだろう。
アゼルのことが好きだとかいうのはわかる。それが私への敵対心に変わるのもわかる。でも、だからといって、なぜ私を動揺させたいと思うのかが、さっぱりわからない。
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視線を合わせないまま、私は静かに口を開いた。
「まさかとは思いますけど、ボタンの競り、私をどうにかするためとか、言いませんよね」
彼女は鼻で笑う。
「──三万八千フラム、無駄にした」
私は呆気にとられた。「嘘でしょ」
「──あんた、わかってない」再び涙を拭きながら苦笑った。つぶやくように言う。「やたらイライラしてるあいつを、いつだって周りを敵視するような眼で見てたあいつを、他人を傷つけるために生きてるようなあいつを、あんたは知らないから──」深く息を吸い込み、吐き出す。「──去年、施設から戻って少しした頃、なんか違うって思った。日が経つにつれて、トゲトゲした感じがなくなっていって、よく話すようになったし、笑うようになった。やさしくなった。あいつを好きな期間が長い奴ほど、それに早く気づいた。変えたのが、一年の──やたら赤い髪の女だってことは、誰も認めたがらなかったけど──」
どいつもこいつも、やたら赤い髪の女という表現のしかた、どうにかならないのか。
彼女は言葉を継いだ。「あいつのことを好きになる奴らが、去年からかなり増えた。もともとオールド・キャッスルの人間は、ワルなら見慣れてるし、そういうのを好きになる傾向があったけど──それどころか、ニュー・キャッスルに多い平凡で真面目な奴まで、あいつのことを好きになりはじめた。おかげでこっちは、嫉妬とイラつきでどうにかなりそうだった。諦めなきゃいけないとも思ったけど、その反面、あんたが嫉妬しないとかいうのに、すごいムカついた。それだけじゃなくて、たぶん、制服じゃない制服をひとり、堂々と着てくるとか、三年の目が届く渡り廊下で堂々とお菓子食べるとか、そういうところもだけど──あたしだけじゃない。他の女も、あんたにムカついてた」
制服にお菓子。なにが悪いのだ。いや、両方か悪いか。
彼女は話を続ける。「途中から、標的はあんたになってた。あたしだけじゃなくて、他の女も。もちろんアゼルを好きだって気持ちはみんなあった。だけどそれと同じくらい──」言葉を探しているのか、一度口をつぐみ、また切りだした。「二年の時、マスティとつきあってた女のグループが、リーズたちにリンチまがいのことした。呼び出して、モメて──けっきょく、アゼルたちを遠ざけるだけだってわかったから、あんたにはしなかったけど。っていうか、それが通用しそうな相手でもないし」
「ええ、ぜんぜん」
私がけろりと言うと、彼女はうつむいたまま、肩を震わせて笑った。
「──あたしもみんなも──あんたを動揺させたい気持ちと、だけど羨ましいって気持ちが強かった。一年のくせに、ポッと出のくせに、あの男をあっさり持っていった。前よりも簡単に近づけるようになったのに、あたしたちはつきあうどころか、寝ることすらできなくなった。どれだけ挑発しても、遊びですら相手にしてもらえなくなった。──だけど、みんなが欲しくてしょうがないものを手に入れたくせに、ちょっとした嫌味も通用しなくて、なにされても動じなくて、希少レベルの真っ赤な髪で、誰の目も気にせず変な制服着て、平気で二年や三年のフロアに来るような一年の女に、敵対心抱くなってほうが無理じゃない──ある意味みんな、必死だったのよ。あんたがどこまで平気な顔してられるのか、見てみたいってのがあった」
そこまで言うと、彼女はまた、静かに笑った。
「──気づいたら、去年──あいつを好きな奴の何人かで、新しいグループができてた。仲が悪かった奴同士ですら、話すようになってた。アゼルになにされたか、あんたのなにがムカつくかって、洗いざらい話すようになってた。みんな、好きな気持ちと嫉妬と、ムカつきと羨ましいって気持ちが入り混じってた。だけどどうにもなんないってわかってたから、卒業式であいつが競りに出たら、ボタン競り落としてキスしてもらって、それできっぱり諦めようって話になった。誰が競り落としても恨みっこなし、なにが起きても──あんたが動じなくても、それでもう終わりだって。──途中で怖くなったのか、第一と第三は、三万超えなかったけど」
数秒遅れ、私は話を理解した。
つまり? 「あいつを好きな気持ちはもちろんだけど、私をどうにかしたいも含めて、あの値段だと?」
うつむいたまま彼女がまた笑う。
「そうよ。あんなどうしようもない最低男でも、みんな好きだった。──いろいろ、期間の差とか、遊びでも相手にしてもらえたかどうかってのはあるけど──一度好きになると、あのどうしようもない魅力みたいなのに、みんな夢中になってた。あいつはあたしたちの青春そのものなのよ。生まれてはじめて本気で好きになって、傷つけられて泣きまくって、嫉妬に狂ってボロボロになって、いきなりやさしくされて、だけど手に入らなくて──競りは、あいつをあっさり奪っていった女に復讐する、唯一のチャンスでもあった。動揺するかしないか、別れてくれるんならそれでいい。別れなくても、キスを含めて、それすら思い出になるだろうからって──ほとんどヤケよ。だからみんな、かなりの額を用意した。──けっきょく、あたしたちは勝てなかったけど」
──なんて、アホっぽい。と思ったら、思わず笑ってしまった。
手をおろし、彼女が呆れた顔でこちらを見る。
「あんたが笑うとこじゃないと思うんだけど」
それがまた、私の笑いを引き起こした。顔をそむけ、必死に止めようとした。「だって──」ちょっと待って。なにこれ。なんか、笑うところじゃないのはわかってるんだけど。
落ち着け、落ち着け。深呼吸。
息を深く吸い、吐き出した。どうにか笑いは止まった。油断は禁物だけれど。
「復讐する相手、間違ってる。私じゃなくて、アゼルにするべきでしょ」私は彼女の視線を受け止めた。「恨みも好きな気持ちも含めて、なに変な女に引っかかってんだって、あいつに復讐するべきでしょ」
彼女は呆れている。「あいつに復讐なんかしたら、キレられるのわかってんじゃん。あいつを完全に敵にまわすようなこと、あたしたちにできるわけないじゃん」
納得し、また視線をそらした。
「ならもう、ハグして告白して、捨て台詞のひとつでも吐いて、サヨナラすればいい。唇にキスするのはキライだから、キレられる可能性はあるけど。私をどうにかしたいなんていう、わけのわからない復讐より、そっちのほうがよっぽど普通の女っぽい。そっちのほうが、ずっとキレイな思い出として残る。思い出は、キレイなほうがいい。あとから思い出すための思い出なんだから、最後はキレイなほうがいい」
彼女も視線をそらし、苦笑った。
「あんたと話してたら、ほんと、ぜんぶアホらしく思えてきた。これ以上やっても、虚しくなるだけよ。どうせあいつは、あたしたちなんか眼中にないし。あんたの差し金だとも知らずに、卒業式に乱入してきたあいつらに思わず笑っちゃうような普通の女になんか、興味ないんだろうし」
差し金になったつもりはないのだけれど、“普通の女”というのは嫌味に聞こえたのか。
「ならもういい? おなか空いた」
彼女はしかめっつらをこちらに向けた。
「あんた、マジでムカつく」
「どうぞご勝手に」
身体を起こしてカバンを手に取ると、私は後方ドアのほうを見るともなしに見つめた。
「──さっきの、答えだけど」
彼女も腕を組んで立ち上がる。
「なに」
「好きかって訊かれたら、そうじゃない。好きどころじゃない。確かに私は嫉妬しないし、よっぽどじゃないと動じないけど、あの男に忠誠を誓ってるわけでもないけど、端から見れば、好きかどうかってのは疑問なのかもしれないけど──そこはたぶん、そっちと同じなの。夢中になってる」
窓の外を見やり、またこちらに視線を戻す。
「──独占欲って、ないの?」
「欲はあると思う。ただ、表に出すのが苦手。それに、それを見せるのは相手にだけでいいでしょ。周りにまで見せる必要はない」
「──ほんと、いちいちムカつくな」
私の口元はゆるんだ。「アゼルにも言われる。ムカつくって」歩き出すと、彼女もあとに続いた。「無関心な部分が、動じない部分が、時々ムカつくって。だけどこの性格は変わらないと思う。自己中だからキホン、周りにどう思われてるかなんてどうでもいい。嫌われようと恨まれようと憎まれようと、私のこの考えは変わらない。独占欲を剥き出しにして、どうにかなるとも思ってない。それを表に出したところで、あいつを好きだっていう誰かの気持ちが、消えてなくなるわけでもないでしょ。私にその気持ちをどうこういう資格はないでしょ」
彼女は鼻で笑った。
「マジで別れろ。フラれろ」
「はいはい」




