* Death Pact
アゼルは、“信じないなら意味はない”と言う。
言葉が見つからず、私は彼に訊いた。「──結婚て、なに?」
彼はまた目を閉じる。
「紙切れ一枚でできる法的手続き。口約束。幻想。若気の至り。勢い。体裁。金目当て」
──幻想。若気の至り。「結婚なんて、意味ないよね。結婚式の誓いなんて、もっと意味がない。それでも子供つくるんなら、もっと子供のための制度作るべき。子供が家にいる時は、たとえ子供が寝てても喧嘩しちゃダメとか、お酒飲んじゃダメとか、暴れちゃダメとか」
「銀行口座は生活用と貯金用完全に分けて、貯金用は稼いでる奴が徹底管理しろってな。っつーかその前に、もっとよく考えて結婚しろって話だけど。相手の腹黒さ見抜けよって」
彼がまた笑って言い、私も笑った。それなのに、涙が流れた。胸が苦しい。
「子供には、両親に対する殺人許可証を与えるべき。それから、ただの書類上の認知じゃなくて、DNA検査で証明された、本物の親の名前を記載したなにかを発行するべき。もしくはそれを、希望する子供にはちゃんと見せるとか」
アゼルは右手で再び私の頬に触れ、親指で涙を拭った。
「──お前の中に入ってる血がどんなでも、あんま驚かねえ気がする。可能性は大量すぎる」
「大酒飲みのロクデナシだって、殺人犯だって、なんか納得できそうだから最悪」
笑って右手を私の腰に戻し、また目を閉じた。
「けどたぶん、不気味な人種ではないよな。いわゆるロリコンのイカれた奴とか、性犯罪犯すようなのじゃなくて、どっちかっていうと、容赦ない通り魔みたいな」
「ちょっと待って。性犯罪も最低だけど、それはイヤだけど、通り魔もどうなの? 何人殺してんの?」
「いや、もう、すれ違う奴を手当たりしだい──殺すか殺さないかはともかく、傷つけた数でいえば百人以上とか。しかも絶対捕まらねえの。世間からすれば完璧な恐怖」
唖然とした。なんなのだろう。なんというか──。「怖いな」
「俺はそのロクでもない血がすげえ欲しい」
「なに言ってんの。吸血鬼か」
「お前の血飲んだら、完璧無関心人間に近づけるかも」
「吸血鬼だよね。完全儀式だよね、それ」
「無関心で短気で破天荒で暴力的で冷酷非道で最強で──」
「マジでムカつく。ほとんどはそっちも同じ。最強かは知らないけど」
「お前には負ける」
嬉しくない。「好きって言いたくなったら、どうすればいい?」
「さあ。言わなきゃいい」
答えになっていない。
“好き”という言葉だけなら、信じることはできる。
けれど、その言葉に“浮気しない”なんて意味を含めてしまったら、“裏切らない”という意味を含めてしまったら、それはもう、信じられるかどうかでいえば、やはり、恐怖はある。
だけど私は好きすぎて、どうにかなりそうだ。
私は、彼の頬を撫でた。
「信じないけど、寝て起きたら忘れるけど、今だけでいい。これっきりでいい。ひとつだけ、教えて。私のこと、好き?」
アゼルは私の視線を受け止めた。また右手で私の頬を撫でる。
「たぶん、好きとかいうんじゃねえ。どっちかっつーと、ハマッてる。他の男とイチャついてても嫉妬はしねえし、独占したいと思うわけでもない。すげえムカつくし、気に入らないとこもかなりあるけど、それでもハマッてる。ダメだってわかってても、期待しちまう。今まで女の言うことなんか信じなかった。適当に口説いてヤらせてくれりゃ、あとはどうでもよかった。けどお前は違う。執着してんだよ。そのまんまだ。一生俺と居ろとは言わねえし、そんな長く続くとも思ってない。ムカついたら遠慮なくキレるし、容赦なく復讐もする。けどそれは、執着してるからだ」
意味は、わかる。言いたいことは、わかる。
ハマッているというのは、執着しているというのは、私も同じだ。
表面状は、とても脆い線で繋がっている気がする。こんな性格のふたりだからか、長く続くとも思えない。
だけどもうひとつ、目には見えない、すごく強いなにかで繋がっている気がする。
私は、静かに切りだした。
「──永遠の愛なんて、信じない。結婚式の誓いなんて信じない。二度と浮気しないって約束しろとも言わない。だけど、なにか欲しい」
「なんかって、なに」
「わかんない」また、泣きそうだ。「でも、なにかひとつくらい、信じられるものがあってもいいでしょ」
「──んじゃ、約束」
「うん」
「その前に、俺も信じないし、寝て起きたら忘れるけど、お前はなに? そんなに俺のこと好きなの?」
「好きすぎるくらい好きよ」即答した。「どうにかなりそう。私も嫉妬したりしない。すごくムカつくことはある、性格悪いし短気だし、いつもヒトのことガキ扱いするし、自分勝手だし、変態だし、酒飲みだし、煙草吸うし、みんなあんたの顔がいいとか言うけど、私は誰かの外見をかっこいいとか思ったことないから、それすらよくわかんないし、ぜんぶ含めて、正直どこがいいのかもさっぱりだし、わけわかんない。だけど、私も夢中になってる。あんた以外の男なんていらない」
彼は完全に呆れていた。「口悪すぎだろ」
──言い過ぎた。「ごめん」
「いや、いいけど」
キスをした。深いキス。アゼルが左肘で身体を支えて上半身を起こし、私は仰向けになった。舌が触れるたび、全身が溶けそうだった。
「──俺も、気持ち絡んで振りまわしあうって意味では、お前以外の女はいらねえ」
上唇が触れたままそう言って、また、キスをする。深くて、深いキス。
わざわざ浮気する可能性を含めてくれている気がする。なんだかムカつく。すごくムカつく。
唇を離して頬を撫でながら、彼はまた私を見つめた。
「──この先別れても、なにがあっても、死ぬ時は一緒。俺が死んだらお前も死ぬ。お前が死んだら俺も死ぬ」
──死ぬ時は、一緒。「──その時、一緒にいなかったら、どうすんの?」
「死んだってわかった時に死ぬ。最悪の大喧嘩で別れてから三十年経ってようと、そん時別の誰かと一緒にいたとしてもだ。そんで、一緒の墓に入る。結婚してようがしてなかろうが関係ねえ。他人と結婚してたとしてもな。俺とお前にそういう常識は必要ない。片方が先に墓に入っちまったら、その墓を掘り起こして、一緒の棺に入れてもらうわけだけど。“死ぬまで一緒”じゃねえ。“死ぬ時は一緒”だ」
そこから、“永遠”がはじまりそうだ。
「わかった」両手で彼の頬に触れた。「一緒に死ぬ。あんたが死んだら、すぐに死ぬ。誰かとものすごくいい雰囲気になってても、あんたが死んだってわかったら、その場で相手蹴飛ばして、“アゼルと一緒の棺に入れて”ってなにかに書き残して、私も死ぬ。追いかける。約束する」
彼が微笑む。
「俺も約束する」
そしてまた、深く深いキスをした。
途方もない約束だ。
永遠などないとわかっているのに、永遠が欲しい。
この先なにをするとかしないとか、そんなことを約束しても、やはりきっと、意味はない。
私たちはただの子供で、未来など見えていない。ぐちゃぐちゃの人生を、日々生きることで精一杯だ。
だけど“一緒に死ぬ”という約束は、結婚式の誓いよりも重い気がする。
紙一枚でできて、紙一枚で終われる結婚などとは違う。
それ以上の重みがあると、お互いにわかっている。
この先、どんな人生を送ったとしても、たとえ最悪の仲になったとしても、私たちは、人生の最後の瞬間に、この約束を、お互いのことを、思い出すんだろう。




