* Neutralize
外に出ると、マスティとブルがいた。なにを言うよりもまず先に、アゼルは無事かと訊いてきた。心配だったのは、私ではなくアゼルのほうだったらしい。蹴飛ばしてやろうかと思った。
ハヌルに電話し、渡したいものがあるから今から行くと伝えると、それを聞いていた二人、おもしろがってついてくると言いだした。
マスティのうしろに乗せてもらい、自転車でニュー・キャッスルへと向かった。そのあいだに祖母にメールした。服は今日買ったのがあるので、特に困らない。
ハヌルの家は小学校の近く、キャッスル・ロードからなら二ブロック半ほど進んだ場所にある。周辺はまだ平屋が多いものの、ニュー・キャッスル特有の気取った雰囲気も持ち合わせていたりする。なぜ気取っていると思うのかって、クリーム色だのベージュだの灰色だのという、色味を抑えたカラーの家が多いから。そして車道からは見えないよう、家の前に木を植えたり敷地を柵で囲っている家が多く、そんな家々のほとんどが車二台分のスペースを、砂利か灰色のコンクリートとして、もしくは車庫を造って持っているから。
ちなみに、私はそういう住宅街に住んでいたわけではない。私はニュー・キャッスルの南、東西に伸びるようにある小さな山──キャッスル・マウンテンの南側に住んでいた。個人所有のヨットがいくつか並んだハーバーのあるイェブロウ・リバー沿いで、山のふもとの一部にあるそのあたりは、アッパー・ミドルクラスの家々が並ぶ住宅地になっている。つまり金持ちというほどでもないけれど、中流階級の上層を占める家庭が住まう場所。ウェスト・アッパー・ストリートに住んでいると言うと、ウェスト・キャッスルの人間からは、とりあえず金持ち扱いされる。
よくよく考えてみると、ニュー・キャッスルは西に進むほど、綺麗めな家や二階建ての家が増えていく。アッパー・ストリートがなにを意図してそんなエリアになっているのかは知らないが、そんなことをするから、ニュー・キャッスルとオールド・キャッスルの仲が悪くなるのではないかとも思う。私がそれを言うのは変だし、どうしようもないし、どうでもいいけれど。
私はハヌルを、彼女の家から二ブロック離れた、住宅街の一角にある小さな公園に呼び出していた。時間があればオールド・キャッスルに──ジョンアがやられたのと同じ公園に呼び出したかった。
サイドをアイアンの柵と数本の木で目隠しした公園。ハヌルはすでにそこで待っていた。入り口から見て左側のほうにある青と赤のツートンカラーのジャングルジムにもたれていて、マスティとブルの姿を確認するなりにやついた。
微笑みかけているつもりなのかは知らないけれど、不気味なその顔のおかげで、冷静さを保ちつつも、怒りが自分の中にじわじわと滲み出てくるのがわかった。ナイフを持ってくればよかったとも思ったけれど、こいつ相手にそんなものは必要ない。
彼らを入口付近で待たせて腕を組んだまま、控えめに微笑んで近づくと、ハヌルも笑顔でこちらへ歩いてきた。
「どしたの? なにごと?」
なにごと? じゃねえよ。
腕を組んだまま歩きながら、ちょうどいい距離と位置を見つけ、身長は自分よりも少し低いけれどがっしりとした体型のハヌルの腹に、右脚で思いきり蹴りを入れた。
どすんと大きく鈍い音を立て、ハヌルは一発でしりもちをついた。左手でおなかを抑え、困惑の表情から怒りを滲ませつつ私を見上げる。
「いきなりなにすん──」
ハヌルを見下ろし、私は冷静な口調で言った。「あんたのせいでジョンアがやられた」
「は?」
「あんた、ジョンアに頼みごとしたよね。すごく笑える頼みごと」
一瞬にして青ざめたものの、ハヌルはなにも言わなかった。困惑と焦りと恐怖の表情が浮かんでいる。
「したよね。アゼルと話がしたいとかなんとか」
やはりなにも言わず、だがさらに焦りと恐怖を滲ませ、右手で身体を支えながら地面の上であとずさった。けれどもすぐうしろにはジャングルジムがある。後頭部だか背中だかでそれに気づき、止まった。
「あの子は伝えたよ。あんたと同じでバカだから、あんたが言ったこと、そのまま」ハヌルに近づき、傍らにしゃがんだ。「どうなったと思う? ジョンアはアゼルにボコボコにされた」
微笑んで言うと、今度は驚いたように目を見開いた。震える唇で、やっと口を開いた。
「──そんなの、あたしには関係な──」
私は瞬時に立ち上がり、奴の腹に右足を乗せた。
「お前、まだ足りないの?」
ハヌルは震えて泣きだした。泣きながら、弱々しくも首を横に振った。
「まだ蹴られ足りないのかって訊いてんだよ。ジョンアがされたのと同じくらいか、それ以上にボコボコにしてやろうか。しばらく外歩けなくなるくらい、周りからどうしたんだって訊かれて答えに困るくらい、その顔ボコボコにしてやろうか」
泣きわめくように、今度はさっきよりも強く首を横に振った。
「ごめ──」
「私にあやまんな。あやまるんならジョンアにあやまれ。それと」足をおろし、再びしゃがんで奴を見た。「アゼルたちにはもう関わんな。ジョンアの気の弱さ利用すんのもやめろ。お前がなにしようとどうでもいいけど、次またジョンアを巻き込むようなことしたら、私はあんたを殺す」
恐怖で震え上がるというのは、こういうことを言うのだろう。ハヌルはまさにそれで、“史上最悪にブスな顔”として世界記録に登録できそうな表情のまま、泣きながら「わかった」と答えた。
私はくるりと向きなおり、その場をあとにした。
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オールド・キャッスルへと向かいながら、ブルとマスティは大笑いしていた。ものすごく楽しそうだった。
そんな二人をよそに、私はナンネに電話した。家に送ろうかと考えたものの、そうするとジョンアの様子が見られないし、心配だからとナンネの家に連れて行ったらしい。エルミもまだ一緒にいると言うので、湿布を買ってナンネの家へと向かった。
ナンネの家は平屋で、祖母の家に負けないほど古い。けれど敷地と家は広い。少々口うるさい祖父母と母親、兄貴と一緒に暮らしている。彼女の家は、父親が早くに亡くなったかなにかだ。よく知らない。
少し離れた場所で彼らを待たせ、ナンネの携帯電話にワンコールして玄関のポーチに立つと、すぐに目を充血させたナンネが出てきた。中に入ると、同じように目を充血させたエルミもいた。
「エルミ。あんた、なんでもかんでもおもしろがりすぎだから」
ドアを閉めた玄関ホールでそう言うと、エルミは目に涙を浮かべた。
「ごめん──」
「私にあやまってもしょうがないっつの」ナンネに訊く。「ジョンアは?」
「あたしの部屋。ソファで横になってる」答えると、彼女は吐息をついた。「変なの。あいつ、泣かないの」
ナンネに続いて家の奥へと進み、彼女の部屋に入った。
ジョンアは右奥にあるベッドに平行するよう置かれた二人掛けのオレンジのレザーソファに、ベージュのブランケットをかぶり、ダークブラウンのクッションに頭を乗せて横になっていた。
ソファの傍らに腰をおろすと、ジョンアは閉じていた目をゆっくりと開け、目に涙を浮かべた。
「ごめん──」
「痛む? 一応湿布買ってきたけど」
そう訊くと、彼女は泣きながら首を小さく横に振った。
「ありがとう──」
私は吐息をつき、右手でジョンアの黒いショートカットの髪を撫でた。一度も髪を染めたことがないのに、髪質なのか、彼女の少し太めの髪はなぜか昔から痛んでいる。
「あんた、ほんとバカだよね。なんであんなクソ女の言うこと聞くの? 自分で言えよクソ女っつって、思いっきり蹴飛ばしてやればいいじゃん」
彼女は泣きながら笑った。「できないよ──」そしてまた泣いた。
まあそうだろう。さすがに一発KO負けだろう。
「とりあえず、一発は蹴り入れてきたから。今度あんたを巻き込むようなことしたら、私がお前を殺すって言ってきた。もう言うこと聞かなくていい。他の奴も含めて、なんか困ること言われたら、私に言えばいいから。わかった?」
ジョンアは泣きながら何度かうなずいた。ブランケットで顔半分を隠すようにして、泣き続けた。
アゼルのしたことを私があやまるのは筋違い。同情する気もない。アゼルにも、マスティやブルにも、あやまれなどと言う気はない。あやまらなければいけないのはハヌルだけだ。
右側でナンネと並んで座っているエルミに言う。「ブルが来てる。話があるって」
やめればいいのに、彼は用が済んだらお前が外に連れ出せと言った。
彼女は困惑した表情で身構える。「──なんの話?」
「知らない」傍らに置いたバッグの中の財布から二千フラムを出し、財布を戻して二枚の札をナンネに渡した。「ジョンアが帰れなさそうだったら、泊めてやって。なんか買って食べさせて」
「ん、わかった」
「帰るね」
まだ静かに泣き続けるジョンアに言い、私はバッグを持って立ち上がった。
エルミの横を通り過ぎようとした時、彼女が静かに口を開いた。
「ねえ」視線は合わせない。「なんであの二人、止めてくれなかったのかな」
私は質問を返した。「じゃああんたは、なんでジョンアを庇おうとしなかったの?」
エルミは再び目に涙を浮かべて私を見上げた。相変わらずの困惑の表情だ。
「あんたは怖かったからでしょ?」
私は、どうしただろう。
「あいつらが止めなかった理由はそれじゃないだろうけど、あいつらにだって、なんか理由はあるんじゃないの?」
状況しだいでは、怖くなくても止めないのだろうとわかるから、自分が怖い。
「ジョンアを庇うことも、アゼルを止めることもしなかったあんたに、それどころかおもしろがってジョンアの背中を押したあんたに、その疑問を持つ資格はないわよ」




