* Guess Right
ひとりナショナル・ハイウェイに出て、通りかかったタクシーに乗り込んだ。
心配していたことが、現実になった。
正確には、そうなる可能性がということ。
ナンネはジョンアとエルミと三人でオールド・キャッスルにいて、公園──以前ブルとエルミを会わせた公園の前を通りかかった。そこにブルとマスティ、そしてアゼルがいた。
エルミは当然、話しかけた。そこまではよかった。
私とアゼルが別れたと知ったハヌルが、ナンネとジョンアに、“実はアゼルに一目惚れしていて、アゼルと話がしたいから会わせてほしい”だのと頼んでいたらしく、ナンネはその場で断ったものの、気弱なジョンアは押しに負けたのか、どうにかなると思ったのか、断りきれず、先に相談したエルミに背中を押されたこともあって、やめればいいのに、アゼルにそれを伝えた。
アゼルが、キレた。
身体に何発か蹴りを入れたらしい。おそらく十発程度。
ナンネとエルミは泣きながら見ていることしかできず、マスティもブルも止めなかった。
三人が帰って、やっとナンネが私に電話してきた。エルミは泣きじゃくっていて、ジョンアは私には言わないでと言ったらしいけど、ナンネはどうしていいかわからなかったという。
私は、できるならジョンアを家に送って、あるなら湿布を持って行ってあげてと言って電話を切った。ジョンアの家は病院に行くお金などない。それにおそらく、骨がどうこうというのではないはずだ。女相手だ。アゼルも、それくらいの加減はできるだろう。
くだらなさすぎる。
なにをどうすれば、あの女の話をそのまま、アゼルに伝えようと思うのだろう。ジョンアが頭の悪い奴だとは知っていたけれど、さすがにそこまでバカだとは思わなかった。私に口止めしたのもうなずける。相当なバカだ。
そんなバカのことは正直、どうでもいい。
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たまり場に着き、玄関ベルを連打すると、開いたドアからマスティが顔を出した。
「聞いた?」
「聞いた。アゼル、いるんでしょ」
「いるけど」
「ブルもいるんなら、外に出てたほうがいい。殺し合いになるかもしれないから」
彼は肩をすくませてドアを開け放ち、戸口にもたれて腕を組んだ。
「あいつ、相当キレてる」
「だからなに」
リビングからブルが顔を出した。こちらに来る。
「聞いたのか」
「聞いた。くだらない騒動の原因を作ったクソ女のことも、バカ女三人のことも、あんたたち二人が止めなかったことも、ぜんぶ聞いた」
「バカ女って」彼は苦笑った。「いや、バカには間違いないけど。あいつがやられたことを怒りにきたんじゃねえの?」
「は? バカはあっち。どうでもいいわ。どうでもいいからとりあえず、外に出てて。あとブル、別れるって言われる前にエルミと別れて。あんたがあのバカにフラれるとか、マジでムカつくから」
「だな。そうする」
「壁に傷つけるくらいならいいけど、窓割ったりすんなよ。面倒だから」
そう言ったマスティに、私は微笑みを返した。「努力する」
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二人が外に出ると、私は中に入って玄関の鍵を閉め、荷物を置いてリビングへと向かった。
そこにいたのは、私が知らないほうのアゼルだった。
彼は窓際のソファの上にあぐらで座ってビールを飲んでいる。飲み干すと、おろした片脚を支えに身を乗り出して缶をテーブルに置き、煙草とライターと灰皿を手に取った。私には気づいているけれど、自分からなにか言うつもりはないらしい。
だから私は、彼に訊いた。「あんた、なにがしたいの?」
煙草に火をつけてライターをテーブルに放り置くと、アゼルはソファに背をあずけ、煙を吐き出した。
「復讐」
復讐。私に。「ジョンアを蹴りまくったくらいじゃ、私には復讐できない」
また、吸い込んだものを煙にして吐き出す。
「お前、最低」視線は合わせない。
「お互い様だと思うけど」
「お前の無関心さは天下一品だな」
まだ長く残る煙草を灰皿の火消しに入ると、彼は立ち上がって灰皿をテーブルに置いた。
「寝る」
やはり、無関心な部分が気に入らないらしい。「まだ話は終わってない」
部屋に向かって歩きだす。「お前と話すことなんかねえ」
ムカつく。
大股で歩き、アゼルの腕をとって立ち止まらせ、ドアと彼のあいだに立った。やっと目が合った。
「なんでわかんないの?」
さっきまでは見ようともしなかったのに、今度は視線をそらさない。
「なにが」
電話で状況を把握してすぐ、自分がまずなにをすべきかをわかっていた。
ナンネをなだめ、ジョンアを気遣うことじゃない。ハヌルを追い込むことでも、エルミを咎めることでも、マスティとブルを責めることでもない。
いちばんに会うべきは、アゼルだとわかっていた。
無表情の彼の眼は、冷たいままだった。だけどまっすぐに私を見るグレーの瞳は、どんな状況でも、私にとっては手錠のようだ。
間近で見られていると、自分の中にあった感情が、どんどん消えていくのがわかった。考えてもしかたのないことだと、考えないようにしていたけれど、やっぱりまだ、好きらしい。
「ヒト殴ったら最悪どうなるか、あんたがいちばんわかってる」
「また施設に戻るだけだ」
──よく、わかっている。
「なら、もうやめてよ」ほとんど懇願するような声だった。「私は、もう誰にも、ここからいなくなってほしくない」
ほんの数秒、沈黙があった。
「──ざけんな」
アゼルは一瞬にして左手で私の首を掴み、ドアに抑えつけた。
「先に消えたのはどこのどいつだよ」
顔が、近い。彼はやっぱり、怒っている。
「勝手にヒトの人生に入り込んできやがって、当たり前のように居座って、期待させて、裏切って、なのにてめえは、いつも何事もなかったかのように笑ってやがる」
言葉と共に、私の首を締めつける力が強くなっていった。
その気になれば、彼は一瞬で私を殺せるのだろう。だけどそんなの、なんとも思わない。さすがにこんなふうに暴力を振るわれたことはないけれど、それでも恐怖が浮かぶことはなかった。少し驚きはしたけれど、息苦しさにだって、私は慣れている。
彼の言葉の意味を考えた。期待──“文化祭の準備を理由に毎日遅くなれる”と、私は言った。なのにけっきょく、私は来ることができなかった。
普通の女なら、泣きだしているところだろう。だけど私は、声がかすれるだけだった。
「──寂しいのが、自分だけだと思ってんの?」
アゼルも、“寂しい”どころではないのかもしれない。私と同じで、“孤独”なのかもしれない。
彼の表情はほとんど変わらなかった。だけど瞳から、怒りだけが抜けたような気がした。それを隠すためか、彼は目線をはずし、少しうつむいた。
「──お前のことなんか、ぜんぜんわかんねえ」
私の首を掴んでいた手の力をゆるめ、私に覆いかぶさるよう、だけど首元に残る手以外は私に触れないようにして、アゼルは、私の顔のすぐそばでドアに額をつけた。
私は、孤独に慣れすぎている。こんな状況で冷静なことすら、アゼルは気に入らないかもしれない。
「なんでお前、なにされても動じねえんだよ」
動じないわけではない。だけど私は、傷つくことに慣れすぎている。
「お前のそういうとこ、本気でムカつく」
泣いて泣いて、最終的に怒りに変える方法が、誰かを怒らせることになるなんて、考えもしなかった。
だけど私は、それをやめるわけにはいかない。
彼の肩に額をあて、目を閉じた。
「お願いだから、施設に戻らなきゃいけなくなるようなことはしないで。復讐したいなら、直接私を傷つければいい。なにされたって、私はあんたのことが好き」
また、数秒の沈黙があった。
「──マジでムカつく」
知っている。「それしか言えないの?」
「うざい」
「変わらない」
「ヤらせろ」
「ふざけんな」
「大真面目だし」
「真面目ならちゃんと学校行け」
「変な制服着てる奴に言われたくねえ」
少々ショックだった。格好そのもののことはみんな、似合うと言ってくれる。ひとりあの格好をして学校に来て、しかも堂々と校内を歩くという状況には、かなりヒかれているが。
「似合わない?」
「あれでヤらせろ」
アホか。「アホ」確定。
「犯すぞ」
「あんたには無理」
「あ?」
「だってあんた、私にベタ惚れ」
「──お前、マジで刺していい? いや、冗談じゃなくて」
「刺されたら刺し返す。殴られたら殴り返す」
「俺に勝てると思ってんの?」
「余裕だし。ナメんな」
「怖いよお前」
「私はあんたのことなんか怖くない」
「もう黙れ」
「なら黙らせればいいと思う」
「だったら顔上げればいいと思う」
彼は額をドアから離し、こちらもゆっくりと顔をあげた。
目の前にいたのは、私の知っているアゼルだった。
「好き」
「黙れ」
彼が両手で私の頬に触れ、私たちはキスをした。
私も彼の頬に両手で触れた。何度も何度も、深くて深いキスをした。
だけどそんなことを、いつまでも続けているわけにはいかなくて。
「──もう、行く」
「あ?」
「用がある」
「今あれだよな。そのままベッドにっていう流れだよな」
私は笑った。「おあずけ」
「うざい」
「っていうかなんなの? やりなおすの?」
「もういい」
「は?」
「ヤらせてくれるまでつきあわねえ」
まだ言うか。「この状態でそれを言うのは危険だと思う」
アゼルの表情がかたまった。
「──萎えた」
「よし」
「よしじゃねえよ。マジでふざけんな」
やりなおせるのなら、嬉しい。だけどまだ、その喜びに浸るわけにはいかない。
私は、彼にキスをした。
「──戻ってくる。おばあちゃんにメールして、今日は泊まるって言う。そしたら、明日の夕方までは、ずっと一緒にいる。ちゃんと約束する」
数秒かたまったかと思えば、アゼルは仏頂面を返した。
「可愛くねえ」
「は?」
「そんな顔してそんなこと言われても、さっきみたいなセリフ吐かれたあとじゃ、ぜんぜん可愛くねえ」
どのセリフのことを言っているのか、そもそもなにを言っているのかがわからない。
「可愛くないのはお互い様だから」




