* The Same
文化祭の店の名前を提案したのは、どうやら失敗だったらしい。
やる気も行く気もまったくないとはっきり宣言して、中心グループを納得させたはずだったのに、翌日木曜も金曜も、やっぱり居てと言われ、考えをまとめる会議に参加させられた。
学校を出てからも、案を広げるために本屋だの雑談だのにつきあわされたりで、私はアゼルに“行けそうにない”とメールを送るはめになった。返事はなかった。
その週末は、たまり場へと泊まりに行った。怒ってはなさそうだったが。
翌週月曜と火曜の放課後は、買い出しのためにセンター街にまでつきあわされた。二日連続。私はまたもメールを送らなければならなかった。
本格的な作業をはじめる水曜の放課後には、どうにか逃げ出してたまり場に行った。
だが次の日学校に行くと、昨日はあまり作業が進まなかったとクラスメイトが言いだし、その日も金曜も、教室の飾りつけだの看板のデザインだの、なんだかんだと案を出すことを求められ、しかも出来上がっていくそれを確認のように見届けなければならず、思わずひらめきを口走ると、それを実行に移すため、日曜にまたもセンター街への買い出しに引きずられ、土曜はアニタたちと遊ぶ約束をしていたこともあってけっきょく、たまり場には行けずに終わった。
授業は水曜以外、六時限目まであるし、校内での準備は放課後、午後五時半までの短い時間と決まっている。だが学校を出ても一部のクラスメイトとの道端会議がはじまり、その流れで夕食も一緒にとるか、全員の空腹に限界がくるまで話していることが多く、帰りたいなどと言うことは許されず、言っても許可されず、おまけにクラスメイトは作業が遅いうえに雑談が多く、夕食の時間にならなくても時間的に微妙なうえ私も疲れていて、翌週の月曜も火曜も、アゼルに会いに行けなかった。
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そして月末の水曜、文化祭まであと一週間と二日。
ここ最近、アゼルの様子がおかしい。
とは言っても、そう会うわけではない。本当にたまになのだけれど、校舎の外で会うことがあった。だがその時の彼の態度が、ものすごく冷たい。
マスティとブルはいつもどおりなのに、リーズたちもいつもどおりなのに、アゼルだけが変なのだ。
うわの空というか、無口なのがよけいに無口になっている。不機嫌そう。会ったら“誰だっけ”を必ず言う。それに意味があるのかどうかがさっぱりわからない。以前も言われたことがあるような気がする。
怒ってるのかと訊いたら、怒ってないだのうざいだのという言葉が返ってきた。
こちらもいいかげんイライラしていて、そのうえアゼルにまでそういう態度をとられるものだから、短気な私はさらにイライラする。
どうしても準備などする気になれず、だからといってたまり場に行く気にもなれず、大事な用があると言ってひとり、さっさと家に帰った。
プレーヤーを使い、ヘッドフォンで大音量の音楽を聴いた。
聴いて、聴いて、聴いて、聴いて、だけど苦しくなる一方で、どうすればいいのかわからなかった。
けっきょく音楽を停め、窓を開け放ち、窓際にあるデスクに座って、ぼんやりとしていた。
祖母が帰ってくるのが見え、一階におりた。
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「おかえりなさい」
「ただいま、イザベラ」
彼女は微笑んでそう言い、ドアの鍵を閉めた。夕食の材料だろう。左腕にマーケットの茶色い紙袋を抱えている。
祖母は、“いたの?”などとは言わない。
私は手を伸ばした。「持ちます」
「あら、ありがとう」紙袋をこちらに渡す。「ハンバーグとスパゲティの予定だけど、他に食べたいものはある?」
リビングへと向かう祖母に続く。
好物です。「いいえ」
「そう」ふいに立ち止まり、彼女は振り返った。「あなた、料理は好き?」
「好きでもキライでもないけど、あまり得意じゃないです」とりあえずコンビニとベーカリーとファーストフードが大好きです。
祖母は笑顔を見せた。「じゃあ一緒に作ってみない?」
断れるはずなど、ない。「はい」
彼女はベージュに黒のラインで花が描かれたエプロンを貸してくれた。ミートスパゲティが好きだと言うと、それを作ることになった。教わりながら話をしながら、ハンバーグとミートソースを作っていった。
北側にあるシンクのコンロを使ってハンバーグをデミグラスソースで煮込み、その横でスパゲティを茹でながら、リビングのほうを向いてカウンターに立ち、サラダのための野菜を切る。
「ミートスパゲティは作ったことあるの?」
右隣に立つ祖母が訊いた。彼女はレタスを準備している。私はトマトをカット中。赤。
「昔、友達の家にいる時、どうしてもミートスパゲティが食べたくなって、作りました」アニタの家。「でもちゃんとした作りかたがわからなくて、その友達の親もいなくて、勘だけで。スパゲティを茹でながらミンチと刻んだ玉ねぎを炒めて、ケチャップを大量に入れて」
そこまで言うと、祖母は天を仰いで大笑いした。
「そういう手があったのね!」
ガラにもなく、私は少々驚いた。こんなに笑うヒトだったのかという衝撃があり、そのせいか、なんだかとても恥ずかしくなった。
「それで? おいしかった?」
再びの彼女に質問に、思わず口元がゆるんだ。
「それが、わりと。ただ味付けはなにもしなかったから、ちょっと物足りなかったんですけど。あとからその友達の親に訊いたら、“それは塩胡椒をしてないからよ”って言われて」
「まあ」彼女はまた笑った。「一度食べてみたいわ。今度私にも教えてね」
私の記憶の中にあるあの人からは、想像できない姿だ。「はい」
いつのまにか止まっていた手を、また動かした。
なんなのだろう。なんだか、意外だ。変な感じ。
「──あら」
手を止め、つぶやいた祖母のほうへと視線をうつす。彼女は左手の人差し指を見ていた。指をこちらに見せて苦笑う。
「またやっちゃったわ。ときどきやっちゃうの。ドジなのよ」
──トマトは、赤。
怒りは、赤。憎しみは、赤。
私の髪の色は、赤。あの人たちとは、違う色。
血は、赤。
おばあちゃんの身体には、血が流れている。
私の身体にも、血が流れている。
あの人たちの身体にも、血は流れているはず。
木製カッティングボードの上に乗せたままの、自分の手を見た。
左手には赤いトマト。
右手には包丁。
あの映像とは、違う握り方。正しい握り方。正しい使い方。
──血は、赤。
「──イザベラ! なにしてるの!」
祖母は慌てた様子で私の手から包丁を取りあげた。
私は、自分の左手の人差し指の、ななめに入れた一センチほどの小さな切り込みから、ゆっくりと浮き出てくる血を見ていた。
赤く赤い、赤だった。
──なぜ、気づかなかったのだろう。
「イザベラ──」
“同じ”が、ひとつだけ、あったじゃない。
髪の色も瞳の色も違うけど──ひとつだけ、あったじゃない。
「──よかった」
無意識に、涙が流れた。
「同じ色、あった──」
私の求める“答え”には、ならないのだろう。
だけど、ずっと探していたものがひとつ、やっと、見つかった。
胸の前で、自分の右手で、左手指を握った。涙が止まらなかった。
「──ごめんね」
祖母は、私を抱きしめた。
「ごめんね」
私を強く抱きしめながら、髪を撫でながら、祖母も泣いていた。
「本当にごめんね──」
私は、声をあげて泣いた。
なぜ祖母があやまるのかがわからなかった。だけど訊き返せないほど、私は泣いていた。真実を訊く勇気もなかった。
本当は、答えを知っている。
ここに来て手がかりを探すずっと前から、私は答えを知っている。
真実は、目に見えて存在していた。ずっと昔から。
だけど私は、その理由を知らない。
私が本当に欲しいのは、その“理由”だった。
本当に欲しいのは、“真実の中に隠れた真実”だった。
知りたいのは、存在するはずの“本物”だった。
周りが思っているほど、私は強くない。
現実を直視することを恐れて逃げているだけの、ただの臆病者だ。
こんなふうになったのを、私はずっと、あの人たちのせいにしていた。
だけど本当は、違うのかもしれない。
私の中にある誰かの血が、私の知らない誰かの血が、私にそうさせているかもしれない。
中身が違っていても、幼い頃から同じ色を探していた私にとって、血が赤だったことが、私の髪が赤いことが、唯一の救いだった。
私とあの人たちのあいだに、私とおばあちゃんとのあいだに、これ以上同じ色のものなんて、きっともう、なにも見つけられない。




