* Never Ever Knew
あっけなくファーストキスを奪われた日から一週間。
雨季はまだ続いていて、空は毎日、私の心と同じくらいどんよりしながら、ほとんどは地上に雨を降らせていた。
正直、ファーストキスを奪われたことはどうでもいい。タラシとふたりきりになった自分が悪い。みんなの前でされなかっただけマシだ。
ならなにが心をそんなにどんよりさせているのかって、それをわりとどうでもいいと思っている自分のことと、みんなの前で何事もなかったかのように振る舞うあのアホを見ることと、それと同じように、やはり何事もなかったように、普段どおりにできてしまう自分の性格。
誰にされてもどうでもよく思えたのではないかと思うと、正直ぞっとした。だが相手をすり替えて想像するなどということはできなかった。想像できるわけがない。したくもない。よけいにわけがわからなくなるだけだ。
けっきょく唯一の抵抗は、二度目のキスのあとで“地獄に落ちろ”と言ってやったことと、次の日学校で見かけた時、いつか背後から刺してやると思ったことだけ。
情けない。自分の身は自分で守るという教訓が突然、簡単に崩されてしまった気がする。それは精神的なモノだったはずなので、関係ないとは思うけれど。
ある日、リーズとニコラ、インミと結託し、リーズのイトコであるサビナをからかってみようかという話になった。四人で実行かと思いきや、計画を練ったニコラとインミは、三年の三人組まで巻き込んだ。というか、話をするとマスティとブルが乗り気になったらしい。頼んだわけではないと。
そろそろ、学校の傍にある小さな文房具店にマスクを買いに行こうかと思った。
ランチが終わったあと、昼休憩の時間。私はリーズたちとの待ち合わせ場所である、第一校舎の三階に向かうために教室を出た。
計画としては、マスティたちが“一年の教室に行く”と言ったリーズたちを捜しに、サビナがいる一年C組の教室に行く。リーズたちが携帯電話の電源を落としてるから一緒に捜してくれと言って、とりあえず二階から上に行くよう促す。そこで私たちを発見し、もういいから行けと追い返す。
なんというか、ものすごく単純ではあるものの、ものすごく私に火の粉が降りかかりそうな計画だ。
第一校舎、二.五階の渡り廊下の前の踊り場からさらに上にあがると、三階には視聴覚室や美術室といった特別教室がある。そこからまだ階段を進むと、意味があるのかないのか、三.五階の踊り場から四階の高さへと続く十数段の階段があり、その先には物置きになった場所がある。私たちはその階段のステップに腰をおろした。
「ねえ。これで私がいじめられたらどうすんの?」
私が彼女たちに訊くと、隣にいるリーズはからかうような笑みを見せた。
「え、いじめられるタイプだっけ」
二段下で手すりにもたれるインミが笑う。「ベラはいじめられるっていうより、いじめるタイプじゃん」
「いじめたことはないわよ。いじめられたこともないけど」
私は反論したが、彼女は疑うような、からかうような視線をこちらに返した。
「ほんとに?」
「ない。や、いじめっこ扱いされたことはあるけど」
「扱い?」好奇心旺盛なリーズが口をはさむ。「どんな?」
あまり話したくはない。「小学校三年の時、よくクラスメイトの女たちと一緒に、外で遊んでたのね。鬼ごっことかドッジボールとか。私はリーダーみたいになってた。で、ジャングルジムを使って鬼ごっこしてる時、クラスメイトの一人が一緒に遊びたいって言ってきた。その子は嫌われてた。私も嫌ってたけど──で、その日は私じゃない子が鬼ごっこしようって言いだしたから、私はそいつに許可もらってって言ったの。でも言いだした奴は、ベラがリーダーなんだから、ベラに許可もらってって。遊びながらそんな言い合い繰り返してた。したら、そいつはいつのまにかいなくなってて」
三人ともにやついて聞いている。
インミの隣でニコラが促す。「そんで?」
今でもムカつく思い出だ。「そのあと、私と一緒に遊んでたメンバー六人くらいが、揃って担任に呼び出された。なんでもクラスメイトが泣いてるその子を見つけて話を聞いて、担任にチクッたらしくて。担任は私たちを会議室に呼んで、順番に話を聞いていって、最終的に私を残した。言いだした奴も含めて、みんな私に責任を押しつけたわけじゃないんだけど。普段は私がなにをして遊ぶかを決めてたから、やっぱり基本リーダーは私ってことで担任が結論を出した。ひとり説教。放課後呼び出し。親にまで連絡した」あのクソ担任。
三人は声を揃えた。「え」
「親、来たの?」
リーズの質問に、私は肩をすくませた。
「来たわよ、母親が。でも母親は、私を責めたり怒ったりしなかったし、担任にあやまりもしなかった。担任の話をひととおり聞いて、鼻で笑って、“くだらないことで呼び出すな”って言って終了」
私は、怒られるとは思っていなかった気がする。確かあの頃は、深夜の喧嘩はあったものの、まだ両親は私の前で演技をしていた。私を見る母親の視線もそれほど冷たいものではなくて、帰りにドーナツを買って、一緒に食べた記憶がある。それでもやっぱり、責めも怒りもされなかった。ただ、ドーナツを食べ終わったあと、私の口元を拭いた母親が、とても寂しそうな、哀しそうな瞳をしていた気がする。
彼女たちは苦笑った。
「すごい。ベラがこうなったのもうなずける」と、ニコラ。
「ちなみに」私は彼女たちに向かって声を潜めた。「担任にチクッたのはエデとカーリナ。だからあいつらキライなの」
彼女たちは天を仰いで爆笑した。
「それ、あれじゃないの?」リーズが言う。「あいつらも実は、その泣いた子と仲いいわけでもなんでもないみたいな」
「そうよ、そのとおりよ。普段は話もしない。ようするにいい子ぶるのが得意なのよ、あいつらは」
「マジでイヤだわ、あいつら」インミもエデのことがキライらしい。「特にエデ。小学三年の時からそんなって」
「あ、いた」
階段下からブルの声がした。三年の三人組が、C組のサビナ・モラッティとエデ・ワルテル、カーリナ・ヤンヌを連れて階段をのぼってくる。
リーズとニコラはすぐに身を乗り出し、階段を見下ろした。大好きなリーズの隣に私の姿を確認したサビナたちは一瞬、目を疑ったようだった。
サビナが気まずそうに挨拶する。「ハイ、みんな」
にやつくリーズたちは声を揃えた。「ハイ」
「すげえ笑い声聞こえたんだけど」踊り場にあがったブルが言う。「下まで聞こえてた」
私たちは顔を見合わせて苦笑った。
リーズが答える。「カマトトブリっ子女の話をしてたの」
「そんな奴らは死ねばいい」と言い、マスティはサビナたちに言った。「捜すの手伝ってくれてサンキュ」ようするにもう去れと。
「ああ、じゃあもう行くね」サビナは引きつる笑顔を彼らから一瞬私に、そして再びリーズへと向けた。「リーズ、またね」
リーズたちは笑顔で手を振り、サビナたちを見送った。彼女たちが下におりたのを確認し、とたんに大笑いした。
「すげえカマトトぶりだったぞ」と、マスティ。「かなり控えめ。お前らから聞く印象が微塵もねえの」
「たまごのほうはアピールが強烈だった」ブルはおそらくエデのことを言っている。「特にアゼルに」
ニコラは彼らに質問した。「あんたら、どうなの? あれはつきあえるの?」
ブルとマスティが声を揃えて「遠慮する」と答えたので、彼女たちはまた笑った。
インミは、ひとり背を向け、壁に額をあずけて目を閉じるアゼルへと視線を向けた。
「アゼルはなに? どしたの?」
「ものすごくイヤなもん見たっつって」マスティがこちらに言う。「あれだ、あれ。メガネゴリラ」
ハヌルだ。「ざまあ」
「あ、んじゃ今度はそれ見に行こ」リーズが言いだした。笑顔でこちらに言う。「メガネゴリラ教えて」
彼女たちはちゃんと、メガネゴリラの顔を見たことがない。
「行くのはいいけど、三人だけにして。マスティたちが来たらものすごく面倒なことになる」と、私。
ブルが口をはさむ。「オレ、ちゃんと見てねえんだけど。行けねえの?」
楽しんで見るようなものでもない。「じゃあマスティが連れて行けば? 顔わかるでしょ」
彼の顔が引きつる。「お前、また俺に地獄を見せるのか」
「ブルやあんたが一緒に行ったとして、そのあと私が見ることになる地獄に比べれば生温いもんよ」
「よくわかんないけど」ニコラは立ち上がった。「じゃあマスティ、教えて」
リーズも立ち上がる。「行くよ、インミ」
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ものすごくまずいことになった気がすると、リーズたちがいなくなったところで気づいた。アゼルは不機嫌そうな表情のまま階段をあがり、私の隣に座った。
学校だから平気だ。身体が触れるほど密着してるわけでもない。などと理由を作って言い聞かせ、私は自分をなだめた。
「そんなに俺とふたりっきりになりたかったか」アゼルが言った。
私は手すりの柵の隙間から、ロクに見えない三階フロアを意味もなく見下ろしている。
「うぬぼれんな」
「お前、なんでそんな可愛くねえの?」
格子になった柵の一本を握りしめた。振り向いたら終わりな気がする。「あんたはなんでそんなにムカつく存在なの?」
「お前が勝手にムカついてるだけだろ」
ムカつく。本当にムカつく。「ムカつかせてるのは──」
アゼルの右手が首に触れ、私は思わず彼のほうを向いた。彼は微笑んでいた。
「三回」彼が言った。
「なにが?」私は訊き返した。
「三回キスする」
「しない」なぜだろう。心臓が、とても速く動いている。
「目閉じろよ」
そう言いながらこちらに寄ると、私の頬に触れ、アゼルはまた勝手に、私の唇にキスをした。
動けなかった。突き飛ばすことだってできたはずなのに、柵を掴む手から力が抜けただけで、私はなにもできなかった。
唇を離し、だけど顔は近づけたまま、彼が言う。
「目閉じろっつったのに。次、ちょっと口開けろ」
ムカつくのに、イヤではない気がする。「イヤです」
「目閉じて口開ける。やらねえならあいつらに喋る」
最悪だ。「最低」
彼は微笑んだ。「知ってる」
またキスをする。私も今度は目を閉じた。わけがわからなかった。舌が触れて、なんだかくすぐったくて、だけど知らない感覚。よくわからないけど、やっぱりイヤじゃない気がした。
「もう一回」
上唇が触れたままそう言い、またキスがはじまった。
三度目のキスは、二度目よりも長いキスだった。三回だと言ったのに、四度目があった。それも、回数を重ねるごとに長くなっていった。
右手はかろうじて柵にかかった状態になっていて、心臓の鼓動の速さが心地よくて、頬に触れる彼の手の温度が心地よくて、階下から聞こえていた騒ぎ声も、一切耳に入らない状態だった。
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再びリーズたちの笑い声が聞こえた時、私たちはすでにキスをやめ、音楽の話をしていた。アゼルはそれほど音楽を聴かないけれど、マスティと一緒でパンク派らしい。蹴飛ばしてやろうかと思った。
「ベラ! 聞いて!」階段をあがりながら、リーズが笑顔で言った。画面が見えるよう携帯電話を前に突き出す。「メガネゴリラの自宅電話番号ゲットした!」
私はぽかんとした。「なにしてんの」
踊り場に立ったニコラも携帯電話をちらつかせる。
「あたしもゲット。今度一緒に遊ぼうねーっつって」
思わず苦笑った。「電話かかってきたらどうすんの?」
彼女はなぜか勝ち誇ったような笑みを浮かべている。「へーき。向こうには番号教えてないから」
「消さないと電話が腐るよ」
私が言うと、彼女たちはげらげらと笑った。
だがそんな彼女たちとは裏腹に、ブルは階段の手すりに乗せた腕に顔を伏せている。
「あれはない。もう二度と見たくねえ」
「こっちは毎日見てるっての」私は立ち上がった。「そろそろベル鳴るよね」
「鳴るねー」と、インミ。「うち、次体育だ」
一時限目と五時限目の体育は本当に疲れる。「がんばれ」




