* Landing
わかりきっていたことではあるものの、ハヌルの口の軽さは半端ではなかった。D組のエルミにまで話が伝わった。
あれから三日経った今日の昼休憩時間、エルミが突然教室へと押しかけてきた。ハヌルと一緒に私を廊下に連れ出し、質問攻めにした。ハヌルと似たような質問内容だった。あげく紹介しろとまで言ってきた。蹴り飛ばしてやりたい衝動を必死に抑え、丁重にお断りした。そんなに仲がいいわけではないからと。
実際そうだ。マスティやブルとはよく話すものの、アゼルとはあまり話さない気がする。彼は無口だ。
ハヌルも、ハヌルから聞いてアゼルの姿を確認したらしいエルミも、口を揃えて奴をハンサムだと言った。マスティもブルもハンサムではあるが、アゼルは格別だと。私はそんな目で見たことがないので、というか美人だのハンサムだのという基準そのものがよくわからないので、眼科に行けと二人に言った。見る目のない変人だと言われた。死ねと思った。
LHRが終わったあとの放課後、アホ二人に捕まりたくなくてすぐに教室を出ると、階段をあがった。特に意味はない。一年の教室が並ぶ二階フロアからさらに階段をのぼると、三階へ辿り着く手前の二.五階踊り場には、第二校舎へと繋がる屋根のないコンクリートの渡り廊下がある。ブラウンの格子状のガラスドアは閉められていた。
一年フロアから見えないよう、ガラス戸にもたれて腰をおろし、私は目を閉じた。
学校がはじまって二ヶ月。オールド・キャッスルに引っ越すということは、ニュー・キャッスルに住むアニタたちとは家が逆方向になるということで、どうなるのかと思ってたけれど──春休みからリーズたちと遊ぶようになったおかげで、それほど家のことを考えずに済んだ。
ラストネームが変わらないおかげで、離婚話もそれほど知られていない。入学してから各クラス毎に配られた連絡網表でクラスの連中には番号が変わったことが知れ、ハヌルにも訊かれ、諸事情によりとは答えつつ、知られてもいいと思える数人にだけは、両親の離婚のことと引っ越したことを話した。
予想どおり母親は祖母の家には来ないし、電話もよこさない。父親も姿を現さない。べつにいらないけれど。
それでもときどき、心が昔に戻る。夜が怖くなる。あの家には自分以外にひとり──祖母しかいない。なので大声で怒鳴りあう声を聞くなどということはないだろうが、もし母親が電話してきて、祖母と喧嘩にでもなったら、と思ってしまう。けっきょく同じのような気がする。
そんなことを考えてしまうせいか、家の電話の音に過剰反応するときがある。心がではない。身体がだ。なんでもないのだとわかり、安心する。
そしてやはり、ときどき眠れない。目を閉じるとあの声が聞こえてきそうな気がする。眠っていても、過去にあった現実の夢をみて、夜中に起きたこともある。おかげでどうしても、いつも眠い。
スカートのポケットの中で携帯電話のバイブレーションが震えた。メールを送ってきたのはナンネだ。
《今どこ? もう帰っちゃった?》
月末が誕生日だったナンネはプレゼントとして、先月携帯電話を手に入れた。返事を打つ。
《第一校舎の三階手前にいる。渡り廊下の前》
送信した。
小学校三年あたりだったか、ジョンアと同じクラスになったことがあり、彼女と話しているうちにナンネとも話すようになった。二年の時に同じクラスだったと彼女は言うけれど、覚えていない。私はそういう、わりと失礼な人間。
ジョンアと一緒にナンネが階段をあがってきた。
「あ、いた。なにしてんの?」
「逃走中。どうかした?」
「や、エルミとハヌルが教室に来て、ベラ知らないかとか言うから。知らないって言ったら帰ってったけど」
彼女が私の傍らに座って壁にもたれると、ジョンアも彼女の隣に腰をおろした。
「しつこいんだよ。先輩紹介しろとかなんとか」と、私。
ジョンアが質問を返す。「先輩って誰?」
堕天使。とか言ったら殺されるか。「三年のアゼル・ルシファーっていうの。あとブル・クロップとマスティ・モラン」
「あ、あのかっこいいヒトたち」
ナンネは身を乗り出し、声を潜めた。
「かっこいいけどあのヒト──特にルシファー、問題児らしいよ。何回か更生施設? 入ったって。煙草吸ったり学校のガラス割ったり喧嘩したり」
知っている。「それを紹介しろとか言うんだよ。ありえないでしょ」
「エルミたち、ハーネイのこともかっこいいって言ってた」ジョンアが言った。
ハーネイ。「ゲルトのこと?」
彼女はうなずいた。
そういえば六年の時、ゲルトと話をしているところに、やたらと話しかけられた記憶が。「けっきょくなんなの? あいつらは誰でもいいの?」
彼女たちは笑った。
「あたしはハーネイかガルセスなら、ガルセスのほうが好みだけど」と、ナンネ。
“好み”の意味がわからない。「あんたはカーツ一筋でしょ?」
私は彼女に言った。ナンネは小学校四年の時から、同級生のダヴィデ・カーツァーに毎年バレンタインチョコを贈っているらしい。
彼女が言い訳がましく反論する。「六年で最後だって言ったじゃん。どうせ実りっこないもん」
「告白すればいいじゃん。あいつは毎年何個かチョコもらってるんだから、ちゃんと言わなきゃわかんないよ。義理だと思われる」私も去年は義理であげた。
「もういいの」と、遮るように目を閉じて両手を上げた。「そんな気はない」
「あっそ」ジョンアへと視線をうつす。「そういえば、私もあんたの家と一緒になった」
「一緒って?」
離婚のことを話すと、彼女は目を丸くした。
私はさらにつけたした。「しかも私、オールド・キャッスルに引っ越した。今はおばあちゃんの家で暮らしてる」
「じゃあ中学が近くなったんだ」ナンネが言った。この二人はオールド・キャッスルに住んでいる。
「かなり近い。五分かからないもん」彼女たちとは中学に入ってから、一度も一緒に遊んでいない。「このこと知ったら、ハヌルやエルミがものすごく喜びそうな気がして」
ハヌルは小学四年の時、母親の再婚でオールド・キャッスルからニュー・キャッスルに移った。エルミはずっとニュー・キャッスルだ。
ナンネが苦笑う。「確かに。あからさまじゃないだろうけど、心の中ではたぶん──」
渡り廊下へのガラス扉がノックされ、開いた。リーズとニコラだ。
リーズが訊く。「なにしてんだこんなとこで」
「話してんの。ムカつく奴の話」と、私。
ドアを閉めたニコラはリーズに続いてしゃがみ、両脚を抱えた。
「え、エデ?」
「それしかないの? ねえ、それしかないの?」
彼女たちは笑った。
「だって、一年のことなんかそんな知らねえよ」リーズはナンネたちへと視線を向けた。「この子らは? 一年?」
私が彼女たちを紹介すると、リーズはよそ行きの──はじめて会った時に私に見せた表情で、自分とニコラを自己紹介した。ナンネたちは気まずそうに「どうも」と会釈した。
ニコラが二人を指差す。「ほら、こういうのだよ、ベラ。あんたと大違い」
「は? なんにも違わないし」
「違うし!」リーズは笑いながら口をはさんだ。「あんた一応って感じで無愛想な敬語使っただけで、挨拶なんかしなかったじゃん!」
「ごめん、覚えてない」
彼女たちは身を寄せ合って笑った。
「ベラはいいの、そのままでいい」リーズが言葉を継ぐ。「いつまでもアゼルとマスティに喧嘩売り続けて。漫才見せて」
「喧嘩なんか売ってないし、漫才もしてない」
ニコラがにやつく。「マスティがキレてた。口じゃ勝てないって。なんか言ったら絶対なんか返ってくるって。うちらのこと最悪に口悪い女だと思ってたけど、ベラはそれ以上だって」
笑える。「トランプ弱いくせになにほざいてんだって言っておいて」
「自分で言いなよ。もう雨上がったし、アゼルの補習が終わったらマーケットに行って、公園でアイス食べよって言ってんの。行かない?」ニコラはナンネたちも誘った。「なんなら二人も一緒に」
「行く?」
私も訊くと、彼女たちは顔を見合わせて無言の会話をし、ジョンアが「行く」と結論を出した。




