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リターナ  作者: 如月由縁
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高尾の日記・その一

 今日はハチがリターナを拾ってきた。


 それ自体が驚くべき事だったけれども、僕はハチから話を聞いて二度驚かされてしまった。


 なんと、ハチは拾ってきたリターナに名前まで付けていたのだ。


 ハチは拾ってきたリターナにナナと名付けていた。


 そしてその命名方式に、僕は思い当たるものがある。


 今日は十一月の七日だ。


 だからハチは七日という数字からとって拾ってきたリターナにナナという名前を付けたのだろう。


 この命名方式は僕がハチに名前をつけた時に使ったものだ。


 つまり、ハチはその事を覚えていて、それを理解した上で拾ってきたリターナに名前をつけたのだろう。


 ここで重要な点は二つある。


 重要な点のその一はその命名方式――ハチは拾ってきたリターナに、僕のような二つの苗字と一つの名前からなる姓名を付けずに自分と同じように日付からなる単一の名前を付けた――だ。


 これには二つの事が考えられる。


 一つは僕がハチを拾ったように、ハチもナナを拾ったと考えている場合。


 この場合、ハチは自分を僕達と同じものだとして考えている事になる。


 もう一つはハチがナナを同族として考えている場合。


 この場合は、ハチは自分を僕達とは違うものだとして考えている事になる。


 この差は、見逃してしまえば小さな問題のように見えるかもしれないが、実際にはリターナというもの根底を決定づける実に大きな問題である。


 だが、今の段階ではこの問題についてはひとまず保留にしておく事にした方がいいだろう。


 その理由としては、なによりまだ資料が少ないし、これは特に慎重に扱うべき問題だからだ。


 この問題については特に急ぐ事もないだろう。


 今後の観察によってはっきりしてくるはずだ。


 重要な点のその二は――これこそが僕にとって一番重要な点である――リターナを拾ってきてそれに名前を付けたという一連のハチの行動全てである。


 確かにハチは今までも一人で出歩いたりしていたが、それは生まれたばかりの赤子が自分が何をしているのかも分からずにただ闇雲に手を振り回しているようなものだった。


 だが、今度のハチの行動についてはそれまでとは明らかに一線を画す行動だ。


 ハチは自分で考えてリターナを拾ってきて名前を付けた。


 それはつまり、ハチは自分一人で考えて、自分一人で行動ができるようになったという事である。


 言うなればそれは、ハチに自我が芽生えたという事だ。


 これで僕の実験は第三段階を終了した事になる。


 ……僕はハチに一つだけ嘘をついている。


 それは保護者のお願いが『リターナを拾わないで欲しい』というものではなく『リターナに知恵を与えないで欲しい』というものなのだという事だ。


 保護者がお願いをするまでもなく、それ以前からそんな事を考える奴は僕達の中にはいなかっただろうし、今でも多分いないだろう。


 ただ、僕を除いては、だ。


 僕の周りにいる人はリターナを僕達の同等の存在だとみなしている人はいない。


 事実、何をしてもまるで無反応のリターナを、みんなはまるで動かないペットか、もしくは部屋の飾りのように扱っている。


 僕も以前はリターナが僕達と同等の存在だと思った事も無かったし、そんな事は考えにも及ばなかった。


 だから、保護者のそのお願いは明らかな過ちと言えるだろう。


 なぜなら、そのお願いによってリターナが知恵をつけ、僕達と同等の存在になる可能性があると僕に知らせてしまったからだ。


 僕は、保護者のお願いに興味をかきたてられた。


 なぜ、保護者はリターナが知恵をつけることを恐れているのか。


 そして、リターナが知恵を獲得した時、一体どうなるのか。


 だから僕は保護者がそのお願いをしてすぐにハチを拾って来て教育を施した。


 拾ってきたばかりのハチはまさに銅像そのもので、教育は困難を極めた。


 いうなれば拾ったばかりのリターナは、赤子にすら劣る存在で、生物とすら呼べないような状態だ。


 生き物とは極めて簡単に言えば外部の刺激に反応し、本能または理性によって対処する存在の事であり、拾ったばかりのリターナは外部からの刺激にいかなる反応もしないものなのだ。


 だから僕は、まずハチに反応を獲得させる事から始めた。


 僕はまず徹底的にハチの身体を動かし、肉体の働きについてハチに文字通り身をもって教え込んだ。


 すると、三ヶ月もそんな事をしているうちに、ハチは反射的なものだが反応を獲得する事ができた。


 次に僕は肉体の働きについて教え込む事に平行してハチに様々な事――言葉や習慣やこの世界に関する知識等――を教え込んだ。


 そしてハチを拾ってから一年もした頃には――今から三ヶ月前の事になる――昨日までのハチのように一人で外を出歩けるまでに成長しだのだ。


 反応を獲得する事が第一段階。


 知識を獲得する事が第二段階。


 そして自我の芽生えによって僕の実験は第三段階までを終了した。


 反応を獲得し、知識を獲得し、そして今日になって、ハチはとうとう自我を獲得した。


 これでハチはようやく僕達と同等の存在になったのだ。


 ハチは今日、リターナを拾ってきた。


 予定には無い行動だが、これによって僕の研究に結果が出るのは早まるだろう。


 人間は、他人にものを教える事で自身を飛躍的に成長させていくものである。


 ナナを育てる事によって、ハチの成長は加速していくだろう。


 もはや、僕はもうそれを観察しているだけでいいのだ。


 保護者が何を恐れているのか。


 もうすぐ僕はそれを知る事ができるのだ。

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