来訪者
話はクリスとナナが旅に出る前に戻る。
クリスが高尾の家に訪れる直前の事。そこには一人の来訪者があった。
彼が来た時、高尾は椅子に座っていつものように本を読んでいた。
ハチはその近くにいて、興味深そうに高尾の横から本を覗き込んでいたし、ナナはそこから少し離れたところで、窓から外を眺めていた。
彼が玄関を叩いた時、高尾はそれは、ケイが来たのだと思っていた。
この家を訪ねるのはケイとクリスしかいないし、クリスは玄関など叩かずに家に乱入してくるからだ。
だから高尾は読みかけの本を開いたまま机の上に置き、上機嫌で玄関へと向かった。
ハチもその後ろについてきた。
玄関を開けて来訪者の姿を見た時、高尾は少し予想外な来客に戸惑った。
彼がここに来た事など一度も無かったからだ。
そして同時にまずい事になったと思った。
高尾は彼に隠している事があったし、その隠している事が高尾のすぐ後ろで興味深そうに彼の事を見ているのだから。
彼は銀色の大時代な鎧をまとってはいるものの、見た感じは普通の人間に見える。
ただ、少しだけ違うのは、右の頬にA‐17という赤い文字が浮かんでいる事だ。
その文字こそが彼の存在を明確に表していた。
右の頬に浮かぶ番号。
それは、保護者の階級を表しているのだ。
そう、来訪者とは、保護者だった。
恐らく高尾がリターナを匿っている事がばれたのだろう。その事で保護者が来たのは明らかだった。
高尾は少し厄介な事になったとは思ったが、大して心配はしていなかった。
どうせ注意されて終わりだろう。
保護者は基本的に人間に干渉しないし、いざとなれば命令すれば保護者は命令を聞くしかないのだ。
高尾はそう思っていた。
けど、そんな予想は呆気なく裏切られた。
「リターナを回収します」
そんな言葉とともに、高尾は風が横を通り過ぎるのを感じた。
いや、それは風などではなかった。
保護者がハチを捕まえるべく、目にも止まらぬ速さで高尾の横を通り過ぎたのだ。
微細な機械の集合体である保護者は人間の形こそしているものの、その形の元となった存在の持つ能力になど縛られていない。
知識は無限、思考力は人間と同程度、運動能力に関していえば人間などとは比べものにならない能力を有しているのだ。
高尾は驚いて保護者を見た。
けれども、その時には保護者はそこにはいなかった。
連続的に地面を叩くような音を聞いて、家の外へと視線を転じる。舞台はいつのまにか家の外へと移動していた。
そこでは、ハチが保護者から逃げ回っていた。
飛び、しゃがみ、驚いたような表情で、掴みかかってくる保護者から器用に身をかわしている。
驚いた事に、ハチは保護者と同程度の運動能力を有していた。
ハチと保護者はまるで舞っているかのように互いの立ち位置を目まぐるしく変えて攻防を繰り広げている。
その見事なまでの身体の動きは、高尾が思わず見とれてしまうほどのものだった。
しかし、高尾はある事に気がついて我に返った。
わずかだが、保護者に比べてハチの方が動きに切れが無いのだ。
ハチの顔を見て、高尾はそれがなぜなのかを理解した。
ハチは、いきなり襲われた事に驚き、戸惑いから脱しきれないでいるのだ。
このままではハチが保護者につかまってしまう事は明らかだった。
「逃げろ!」
だから高尾はハチに向かって叫んだ。
今は逃げて、心の動揺が収まるまで待つ事がハチには必要なのだ。
別にハチが捕まったところで高尾が失うものは無い。
それどころか、そうなれば高尾はもう、高尾が知ってしまった事実に怯える必要など無い。
しかし、高尾は迷う事無くハチに必要な指示をハチに与えていた。不思議な事に、そこに迷いは一片も無く、後でそんな事実に思い至る事すらもなかった。
ハチはその言葉に頷いた。頷いて、保護者に背を向けて逃げ出した。
保護者がその後を追いかける。
二人は人知を超える速さで鬼ごっこを開始した。
二人の姿が見る間にはるか遠方へと過ぎ去っていき、管理区を出て見えなくなる。
高尾は二人のその速度を見て、後を追いかけるべきかしばし逡巡した。足の遅い高尾が走ったところで、追いついてもすでに結果はでてしまっているかもしれない。
けれども、考えたのはわずかな時間で、高尾はすぐに二人の後を追い始めた。
もし助けられる事があるのならばハチを助けたい、と高尾は素直に思ったのだ。
高尾は自分の出せる精一杯の速度で二人の後を追った。
「サンタァー」
高尾とハチが去った直後。そんな怒鳴り声とともに高尾の家を訪れる存在があった。
高尾の家を訪れたクリスはそこで高尾とは違いない事を知る。
そして当事者の苦労など知らずに八つ当たり気味に怒鳴り散らし、ナナを連れて旅に出るのだった。