湖の底
ハチはよく分からなかった。
何が分からないのか、それもよく分からなかった。
よく分からないのは落ち着かなくて、気持ち悪くて、いらいらする。
だからハチは落ち着きたくて、気持ち良くなりたくて、清々しい気分になりたくて、ハチのお気に入りの場所に一人で来た。
湖を見ていると波間がキレイで落ち着いた。
一歩先がずっと下なのが面白くって、気持ちよかった。
湖の底に昔の背の高い建物があるのが不思議で、清々しい気分になった。
けれども、落ち着いてて、気持ち良くて、清々しい気分なのに、気がつくとハチはナナの小さな唇のことを考えてしまうのだ。
そうすると落ち着かなくて、気持ち悪くて、いらいらしてくる。
ハチはよく分からなかった。
なにがしたいのか、自分でも分からないのだ。
ハチはナナの小さな唇にハチの大きな唇をあわせたい。
けど、それはいけないことだ。
いけないことは、してはいけないことなのだ。
けど、いけないことならば、なんでしたくなるのだろう?
ハチはよく分からなかった。
本当によく分からなかった。
だからハチはじっと湖の底を見ていた。
そうすれば、落ち着いて、気持ち良くて、清々しい気分になれるから。
分からないことを考えて、落ち着かなくて、気持ち悪くて、いらいらしないから。
だからハチは一人でじっと湖の底を見ていたのだ。
そうしたら、後ろの方で音がした。
後ろを向くと、そこにはケイがいた。
ケイの名前は浅羽・袴田・慶太郎。
製造番号はNH‐60000。
成人した年は不明。
それ以外はよく分からない。
ケイはハチの横に立って湖の底を見はじめた。
だからハチも湖の底を見ることにした。
「何でこの湖の底に建物が建っているんだと思う?」
ケイはハチにそう言った。
ハチは分からなかったから、だから首を横に振った。
そうすると、ケイはこう言った。
「湖の底に建物が建っているのはね、それは、昔はそこに人が住んでいたからなんだよ」
ハチはケイが言っていることが良く分からなかった。
人間は水の中では息ができない。だから湖の底に住めるはずが無いのだ。
ハチはそう思った。
だから、ハチはケイにそう言った。
そうすると、ケイはこう言った。
「昔はこの湖の底と僕達が建っている場所は同じ高さだったんだ。
けど、戦争があってね、地面が歪むほどの爆弾が使われたんだ。
その爆弾はこの辺りにも落ちて、地面が陥没した。
その陥没した地面に水が溜まってこの湖はできたんだ」
ハチは分かったけど、やっぱり分からなかった。
どうしてそんなことをしたんだろう?
そんなことをしたら建物が湖に沈んでしまって住めなくなるのに。
「どうしてそんな事が起きたか分かる?」
ケイはハチにそう言った。
ハチは分からなかった。
いくら考えても分からなかった。
だからハチは首を横に振った。
そうすると、ケイはこう言った。
「それはね、仲良く出来なかったからなんだよ。
仲良く出来なくて、仲良くなれるなんて思わなかったから。
だから互いに互いを理解できなくて、理解しようともしなくて、自分の事ばかり考えて、邪魔だから互いに互いを排除しようと思ったんだ」
ハチはよく分からなかった。
なんで理解できなかったんだろう?
人間はハチよりいろいろ感じる事ができるし、いろいろ考える事ができる。
それなのに、なんで仲良くなれると思わなくて、理解しようとしなくて、邪魔に思って排除しようと思うのだろう?
ハチは分からなかった。
だからハチはケイに聞いた。
そうすると、ケイはこう言った。
「それはね。互いに互いを見てなかったからだよ。
互いに目を合わせようとしないで、自分の考えしか信じなくて。
他の人なんてどうでも良いと思ってたんだ」
それを聞いてもハチはよく分からなかった。
なんで他の人はどうでもいいんだろう?
ハチはナナと一緒が好きだ。
ハチは高尾と一緒が好きだ。
ハチはクリスと一緒が好きだし、ハチはケイと一緒も好きだ。
ハチはよく分からなかった。
だからハチはケイに聞いた。
そうすると。ケイはこう言った。
「そうだね。
じゃあ、もし自分がその人の目を見たくても、相手がこっちの目を見ようとしなかったら?」
ハチはよく分かった。
ハチはナナにハチを見て欲しい。
けれどもナナの目は虚ろで、ハチの姿がナナの瞳に映っていても、ナナはハチを見ていないと思う。
ハチはよく分からなかった。
どうしたら相手に見てもらえるのかが分からなかった。
だからハチはケイに聞いた。
そうすると、ケイはこう言った。
「それは……とにかく行動するしかないね。
とにかく行動して、自分が相手を見ている事を、自分が相手に自分を見てもらいたいと思っている事を相手に分かってもらうしかないよ」
ハチはよく分かった。
だからハチは走り出した。
ハチはナナが好きだ。
ナナがハチを好きかは分からない。
ハチはナナを見ている。
ナナはハチを見ていない。
だからハチは走り出したのだ。
ナナにハチを見てもらいたいから。
ナナにハチを好きになってもらいたいから。