高尾の日記・その四
今日は本当にハチに助けられた。
ハチがいなかったらあの高層建築物の屋上から落下して僕もクリスも死んでいただろう。
だから僕はハチに「助かったよ」と礼を言ったんだけど、ハチからの反応は無かった。多分意味は知っていると思うんだけど、それよりも集中している事があったのだろうか?
月の方を見てたし、多分、あの高層建築物が壊れてしまったことかな?
あそこに立ち入るのは危険だから保護者に止められてたけど、周りに何もない高い所から見る月は綺麗だったし、他の人間はともかく僕とクリスとケイはよく立ち入って月見をするお気に入りの場所だった。
きっと、ハチにもお気に入りの場所だったんだろう。
もう古代の高層建築物はこの辺にはないし、僕達の家は全部平屋だから、屋根にのぼっても周りの森に邪魔されてよく見えない。
そう考えるとあの月はもう見れないということになる。ちょっと残念だな。
今度少し遠出して、新たなスポットを探すべきか?
とにかく、僕はハチに助けられた。
そして同時にリターナの運動能力というものをまざまざと見せつけられた。
リターナが頑丈なのは知っていたけれども、まさか高度三十メートルから落下して傷一つ負わず、しかもその後、あんな速度で走れるとは思わなかった。
ハチは高層建築物から落下した後で、まだ固まっている足で走り出した。
その速度は測っていないから正確にはわからないけれども、百メートルを五秒台で走っていたと思う。
これは明らかに人間が出せる速度ではない。大昔の記録を見ても、生身の人間は百メートルを八秒台で走るのがせいぜいで、しかもそれは百メートルに限った事だ。一キロメートルにも及びあんな速度で走れたなんて記録はどこにもない。
これが保護者達が恐れている事なのだろうか?
リターナの運動能力は人間の比ではない。
確かに街中に廃棄されている全てのリターナがこれだけの能力を持っているのだとしたら保護者は管理どころではないだろうが、しかしそれだけなのだろうか?
いや、例え全てのリターナが同じ運動能力を持っていたとしても、問題にはならないだろう。
別にリターナが保護者には向かう事など無いだろうし、だいたい純粋な人間ならともかく、僕等にはそんな感情は無いのだから。
とにかく、今はまだ結論を出す段階ではない。観察を続けるとしよう。
もう一つ、今日の事で気になった事は、ハチが僕を背負ってあの危機から脱出したように、ナナもクリスを背負ってハチと同じように行動したというところだ。
これは単にハチの真似をしただけという可能性もあるが、そうではないだろう。
なぜならこの十日の間にナナがハチの真似をした事など無いからだ。それどころかナナはこっちが誘導しない限り動こうともしない。
それがなぜ、あの場面においてのみ行動したのか……駄目だ、今現在の情報だけでは推測すらできない。
そもそも、リターナについては謎が多すぎる。姿形は同じでも、同じ人間種であるかすら怪しいのだから。
ハチと僕との遺伝子の差を調べてみたら、それは数値の上ではわずかな差ではあるが、 種族的には人間とゴリラほどの差があった。
これは、純粋な人間の遺伝子が情報規制されている現在ではどちらが純粋な人間に近いか分からないが、いずれにせよ僕達人間とリターナとの間には種族レベルの差があるということだ。
とにかく、リターナについては分からない事がまだまだ多い。
引き続き観察を行う事にしよう。




