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第3話 愛憎の豆、お挽きします。

「もう来なくていいよ。これ書いて明日来たら終わり。いいね?」

 晴翔はるとは突然解雇を宣告された。辞職届と書かれた封筒と紙を渡された。

 彼の心に驚きが押し寄せたが、すぐに理解はできた。


 最近になって仕事でのミスは増えていた。顔もげっそりとして、ご飯もほとんど喉を通らない。眠れない。頭が働かない。

 衰弱しきっていた。その言葉に間違いはなかった。

 肩と背骨が丸まり、シャキッとした姿は一ミリも見えなかった。

 もう何もしたくない。休みたい。

 その一心で街を歩いていた。しかし全く知らない街だ。どこに行こうか。そんな、あてもなく歩いていた。

 周りが自分のおかしな見かけに、目線を浴びせてくる。気づくとも、そこまで気にしている余裕はなかった。


 そんな晴翔とは正反対にこじんまりとした、あまり目立たない「COFFEE SHOP」という看板の立った一軒の喫茶店がふと目に入った。

 吸い込まれるように、その喫茶店に入った。

 暗い店内には客はおらず、一人の六十代くらいのマスターがカップを磨いていた。

「いらっしゃいませ」

 見かけによらずなんとも若く感じる声に、違和感を感じたが、不思議にも落ち着くような、実家のような温もりすら感じられた。

「どうぞこちらに」

 マスターがカウンターを指して、晴翔に言う。

「アメリカンで」

 晴翔はマスターに言った。

「すみません、お客様。こちらの喫茶店は少々特殊でして、メニューに目を通していただきたいのです」

 言われるがままに晴翔がメニューと書かれたパンフレットを開くと、こじんまりと


 ◎真相ブレンド 時価


 とだけ書いてあった。

「なんだこれ?」

 思わず晴翔は声が出る。

「こちらのお店に辿り着くお客様は、是が非でも知りたい真相を抱えております。こちらのブレンドは、お客様次第で味の変わるものになります。お客様が知りたい真相について深く詳しく豆にお話しください。その豆で挽いたコーヒーは、睡眠導入作用があります。すると夢であなたの知るはずのなかった真相に辿り着くことができます。もちろん信じられるかはあなた次第です」

 晴翔は最初胡散臭く感じたが、丁寧にマスターが説明するものだから信じ込んでしまいそうになった。

「時価ってのはなんなんすか?」

「時価というよりお気持ちでございます。その真相を知ってどれぐらい満足いただいたか、それによってお代をお客様の判断で決めていただきます」

 職を失った以上、晴翔はそれに金をかけない理由がなかった。

「じゃあそいつを一杯」

 晴翔がそういうと、マスターはさきほど磨いていたカップにコーヒー豆をいっぱいに入れて

「こちらをどうぞ」

 と晴翔に差し出した。

 そうして晴翔は言われるがまま、口を開いた。


 二週間前、晴翔は彼女である真澄ますみと同居していた。

 真澄と晴翔は中学からの仲で、高校の時から付き合っており、そろそろ結婚かと晴翔も考えるほどだった。

 日曜日は毎週どこかに出掛けていた。

 時に羽振りよく、時にリーズナブルに、常に二人が楽しめるデートを心がけていたし、まさに「円満」とはこのことだった。

 この幸せが壊れるとも知らずに。


「ただいまー」

「おかえりー、真澄のすきなオムライス作っといたぞー!」

「よっしゃ! はるくんのオムライス美味しいんだよなあ」

 普段から帰りの早い晴翔が夕飯を作っていた。基本的にどのご飯も真澄には好評だった。

「真澄は明日も早い?」

「ううん、明日はお休みもらった」

「え?」

「友達と遊びに行く約束したの! あ、もちろん女の子だよ? それで少し早く帰ってきて、たまにはわたしが夕飯つくろうかなって思ってた」

「友達って紗穂さほちゃん、だっけ?」

「そう! 紗穂!」

 紗穂は晴翔と真澄の高校の同級生で、晴翔たちの中学から来た女子が真澄以外いなかったので、すぐに意気投合した真澄の親友だった。

「この間、晴くんと行った新装オープンのショッピングモールあったでしょ? あそこの映画館にいく予定!」

「そっか了解! じゃあ明日は楽しみに帰ってくればいいかもな」

「え、でも久しぶりの料理だからあんま期待しないでー!」

 この日はいつも通り、ニコニコ笑いながら夕飯を食べていた。


「ただいまー」

 次の日晴翔が家に帰ると、少し違和感を感じた。

「お、おかえりー」

 いつも真澄が早い時は玄関まで「おかえり」を言いにくる。例え何をしていてもだ。

 さすがに包丁を持って来た時は驚いたが。

 キッチンを覗くと真澄はハンバーグを焼いていた。

「真澄? ハンバーグ焦げそうだぞ」

 晴翔が声をかけると、我に返ったように、

「あ、ごめん!」

 と急いで火を止める。晴翔はその変な様子を無視できずにはいられなかった。

「真澄、どうした? なんか変だぞ?」

「あ、気にしないで! 今日ショッピングモールの中駆け回って疲れただけ!」

 少し誤魔化しているようにも聞こえたが、それを信じることにした。


 夕飯を食べて、二人でテレビを見ていた。

 いつも通り二人が好きなお笑い番組だ。ここではさっきのを感じさせないような真澄の笑い声が優しく響いていた。

 しかし、CMに切り替わった途端、真澄が妙に晴翔にくっついてくる。

 不思議に思い、

「どうした?」

 優しく頭に手を置いて聞いた。

 涙が晴翔のズボンに落ちた。驚いて真澄の顔を覗き込む。

「私、晴くんと幸せになれる自信ないかも……」

 鼻を啜りながらそんなことを言った。

 晴翔は思わず、リモコンに手をかけテレビを消す。

「な、なんで……、なんでそんなこと言うんだよ……急に」

 晴翔は戸惑いを隠せない。

「私ってさ、ドジでおっちょこちょいで、晴くんに迷惑ばっかかけてるし、きっと晴くんにはもっといい人絶対いるし……」

 真澄は普段絶対そんなことは言わない。ドジでおっちょこちょいに間違いはなかったが、それがチャームポイントと真澄は言い張ってたし、晴翔自身も同じように言っていた。

「どうして、急にそんな……」

 晴翔も落ち着くことができず、結局二人は黙り込んでしまった。


 最終的に晴翔は真澄の気持ちを尊重することしかできず、無期限の別居が決まった。

 二人の住んでいるアパートは、元々真澄が住んでいたアパートだったから、離れるのは必然的に晴翔だった。

 それから二日後、晴翔にメッセージが届いた。


 ——ごめんなさい、別れてください。


 ただそれだけだった。喪失感と絶望感と何もかもが晴翔を押さえつけた。

 不眠。食欲不振。欲求不満。全てが晴翔に押し寄せた。

 晴翔が知りたいのはただ一つ。真澄に何があったかだった。



 晴翔が話し合えるとマスターはコーヒー豆のカップを下げ、その豆でコーヒーを作り始めた。そして、

「愛憎の豆、お挽きしました」

 と行って一杯のコーヒーを出した。晴翔はすぐに口をつけた。

 晴翔はコーヒー好きだ。挽きたては本来炭酸ガスで雑味が漂う。しかしコーヒーは一体感があり、そこから放たれる芳醇な香りとは裏腹に苦味が強い。

 気づけば飲み干していた。そして眠気が襲ってきた。



 真澄は紗穂とショッピングモールにいた。

 一通り見たいお店を見て、早めのお昼を食べ、映画館に訪れていた。

「まだ入場にはちょっと早かったね」

 真澄が時計を見る。十二時四十五分だ。十三時十五分から入場で、映画は始まる。

「真澄、そこ座ろ!」

 小さいカウチのような椅子を指差す。ちょうど二人で座れそうだ。

「ねぇ真澄? まだ言われないの?」

「え、まだって?」

「結婚の話。あんたたち長いのに……。もう七年ぐらい?」

「まあそろそろじゃない? 最近そう言う話するし。プロポーズはまだだけど!」

 そんな真澄に紗穂は顔をしかめる。

「それ大丈夫? 流石に遅くない? なんか後回しにって言うか」

「後回し? 晴くんはそんなことしないよー!」

「もし疲れてたらいつでも言って? 自分の幸せが一番よ?」

 真澄はその時はほとんど気にしていなかった。

 映画を見終え、紗穂と別れて、ふと紗穂の言葉がよぎる。一人の時間が真澄を考え込ませてしまう。

 プロポーズが遅いのは自分のせいなのか。自分は幸せになれるのか、晴翔は幸せになれるのか。


 あの日の夜、ベッドの中で真澄は後悔していた。

 晴翔を悲しませてしまったと、それは自分のせいだと。泣きたくなった。しかし隣からまだ寝息は聞こえない。今鼻を啜る音を立てたくはない。

 ここからどうするのが晴翔の幸せになるのか、考え続けた。

 一つ答えが出た。その幸せに自分はいないと。そう、思ってしまった。



 晴翔は目を覚ますと、血相を変えた。

 そして財布から千円札二枚を取り出し、カウンターに置いて去っていった。

「ごちそうさま!」

「ご来店ありがとうございました」

 マスターがそう言った時には店内には晴翔はいなかった。そして、カップがくすんでいくのを眺めていた。


 ——翌日

 トストスとヒールの音が近づいてくる。

「こんなとこに呼び出したの、誰よ!」

 紗穂は港の廃倉庫にやってきた。

「いるんなら出てきなさい!」

 紗穂がそう叫ぶと目の前に現れたのは、晴翔だった。

「晴翔くん? あなたなの? 呼び出したの」

 紗穂は思わず顔を覗き込んだ。

「全部あんたのせいだ」

 そう晴翔は言い放った。

「あんたが、真澄を唆したんだろ?」

「え、ちょっと何を言ってるか……」

「あんたが真澄と出かけた時、俺への疑いの言葉を真澄に向けた。そうだよな?」

「なんのこと? ちょっとほんとにどう言うことだか……」

 しらばっくれるように紗穂は晴翔を見て首を傾げる。

「これを見てもそんなこと言うか?」

 晴翔が手に持っていたのは、包丁だった。

「え、ちょっと待って。ごめんなさい。言ったわよ、でも本当に別れるなんて思わなかったのよ!」

 急に言い訳を言うように焦り出した。

「いや? あんたはわかってたはずだ。真澄とあんたが仲良くなった理由、それはお互いに人の言葉に影響されやすいと言う性格からだった。その証拠に俺が『秘密を知っている』って内容の脅しを入れたら、案の定ここにきた」

「謝るから! 待ってよ!」

 沙穂の叫びは、晴翔には届かなかった。

「俺たちの幸せの何がわかるって言うんだよーーー!!!」

 涙を浮かべながら晴翔は包丁を沙穂の腹に突き刺した。紗穂はその場に倒れた。

 晴翔はことの重大さに気がつき、気づくと百十番に電話をしていた。

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