第1話 円満の豆、お挽きします。
紬季は悩んでいた。
「どうしたらお父さんとお母さんは仲良くしてくれるんだろ」
父と母が家で喧嘩をしているもので、嫌になって抜け出してきた。
考え事をしながら歩いていると、いつの間にか商店街にいた。
通っている中学校とは逆方向だし、家からもそこそこあるのでほとんど来たことはなかった。
ポケットに財布は突っ込んできた。ちょっと買い食いでもしようか。そんなことを思いながら歩いていた。
妙に吸い込まれるような路地裏に目が止まった。子供の好奇心だ。行かない理由がない。
路地裏にひっそりと佇む一軒の喫茶店を見つけた。くすんだ窓から溢れる灯りは暖かい。
「小説で読んだみたいな喫茶店ってほんとにあるんだ!」
思わず喫茶店のドアを開けた。小説で読んだままの世界がそこには広がっていた。
「いらっしゃいませ」
そして小説で読んだような一人のおじいさんマスター。
「よかったらこちらにどうぞ」
マスターに導かれるまま、カウンター席に座る。
明るい店内とは裏腹に、客は他に一人もいない。
何を頼んだらいいか分からず、メニューと書かれたパンフレットを開く。
◎真相ブレンド 時価
とだけ書いてあった。
「げっコーヒーか」と思った。紬季はまだコーヒーが得意ではない。
しかし何も頼まずにここを出るのもなんだか申し訳ない。
「真相ブレンドってなんですか?」
「そちらのブレンドは、お客様次第で味の変わるものになります。お客様が抱えていらっしゃる知りたい真相について深く詳しくコーヒー豆にお話しください。そのコーヒーを飲むことでその真相に触れることができるのです」
不思議に思ったがそれより先に聞きたいことがあった。
「苦いですか?」
「お客様の知りたいこと次第ですが、見るところ素敵な真相を求めていらっしゃるみたいなので、きっとお口に合うと思いますよ」
いくつぐらいだろうか。マスターの笑顔がとても優しい。そして少し眩しい。
そんな笑顔にコーヒーを誘われては断れなかった。
「じゃあそれ、一つお願いします」
「ありがとうございます」
そういうとマスターはカップいっぱいにコーヒー豆を注ぎ、紬季の前に出した。
「どうぞ、お話しください」
その言葉につられ、紬季は口を開いた。
最近、紬季は悩みがあった。父と母の夫婦喧嘩だ。
毎週夕飯の頃に何かしらいざこざを起こして怒鳴り合う。
父も母も怒ると声が大きく、とても耳を塞ぎたくなる。父は野太い声で、母は甲高い声で。
今日もそれが原因となって家を抜け出してきた。
「もうちゃんと洗濯物出してよ、パパ!」
「俺だって忙しいし、毎日ご飯作ってやってんじゃねーか!」
「でも私は洗濯をやってるじゃない」
「そんなことを言えばゴミ出しは俺やってるし、洗濯物も畳んでるだろ?」
「ゴミ出しはゴミをまとめて袋に入れるまでが大変だし、洗濯機にかけて干すのも大変なのよ?」
二人はこんな感じで些細な喧嘩をしている。
どうやったら仲良くしてくれるのかとその度に考えるが思いつかない。
来る再来週は父と母の結婚記念日だ。ちょうど日曜日で休日でもある。
なんで十一月二十二日に結婚したのにこんなに喧嘩をするのか。
喧嘩をしないことがいいことではないのは紬にもわかる。そうはいっても喧嘩しすぎだと思うのだ。
紬季の知りたいことはただ一つ。父と母が結婚した理由だった。
紬季は話し終えると共に深いため息をついた。
少し我に帰ってこんなコーヒー一杯で変われるのかを疑いそうになった。
しかしマスターが説明した時の顔は本気だった。それに疑いをかけることはできない。
「それではお作りいたしますね」
そう言ってマスターがコーヒー豆を挽き始めた。
ゆっくりとふんわりと漂う香りが紬季の鼻にやってくる。コーヒーは苦手なはずだったが、なんだか不思議にも香りはとてもよかった。
「円満の豆、お挽きしました」
そう言ってマスターが紬季の前に置いたコーヒーはとても美味しそうに見えた。
一口口をつけると、
「アツっ!」
となったがそれと同時に口に香りとほのかな甘みが広がった。
「あれ、そんなに熱くない。しかもなんかすごく飲みやすくて美味しい」
「粗挽きにして低い温度で抽出すると、甘みを感じられるコーヒーになるんですよ」
気づいた時にはカップは空だった。
「あれ、なんか眠くなってきた……」
「それでは真相の夢をご覧になってください……」
マスターの声が遠くなり、紬季は寝てしまった。
「彰! ごめんお待たせ! 待った?」
彰と呼ぶ女の人がかけてくる。ヒールなスカートだからそんなに早くはないが。
彰は父の名前ではない。しかし女の人は母によく似ている。大学生くらいだろうか。
「香純! 大丈夫、今来たとこだよ! さ、行こうか」
やはり母のようだ。香純は母の名前だ。
2人は電車に乗り、横浜で乗り換え、金沢八景でさらに乗り換える。
思い出した。父と母といった遊園地への電車だ。案の定、八景島駅で降りた。紬季にとって少し懐かしい。
二人は入園していくと早速ジェットコースターに乗っていった。今とは少し違うけれど、確かに紬季も乗ったあのジェットコースターだ。
母と彰という男が乗ったジェットコースターは頂上まで登っていった。
しかし途中で停止した。周りのアトラクションも緊急停止している。
すぐに理解できた。停電だった。数人の係員がヘルメットを持って、レールの横の階段を登っていく。
すぐに母たちのところにも係員がやってきて、対応をしていた。
よく見ると父に似ている。胸のネームカードに「高橋」と書いてあった。おそらく父である。
母と彰という男は父に連れられ、レールの横の階段を少しずつ降りていった。
コースターに乗った全員が降りてくると、父が対応をしていた。
「本日は途中でコースターが停止してしまい、申し訳ありませんでした。停電となってしまい、アトラクションの復旧に時間がかかりますが、ペンギンやイルカのショーの回数を増やしておりますので、ぜひこの後もこちらで素敵なひと時をお過ごしください!!!」
その対応に拍手をする人もいた。母も拍手していた。はっきり言って父はかっこよく見えた。
場面は切り替わって、母はまた八景島駅にいた。
この日も遊園地に遊びにきたらしい。今日は彰はおらず、友達と来たみたいだ。
友達と一緒にまたジェットコースターに向かっていく。
ジェットコースターの入り口には父がいた。母はその係員に気づいたみたいで、駆け寄っていく。
「前はありがとうございました!」
「え?」
「前にここで停電があった時に対応してもらった方ですよね? あの時の対応がかっこよくて」
「ああ、あの時の、! あのときはすみませんでした! 今日はしっかり動いているので、ぜひ楽しんできてくださいね!」
母の友達が母を軽く冷やかしながら、ジェットコースターに乗っていった。
目が覚めた。驚いた。これが父と母の馴れ初めか。
「いい夢は見られましたか?」
「はい! あ、お代は?」
「お客様がお決めになってください。満足いただいた度合いでお支払いいただければ結構です」
そう言われ、財布をのぞく。五百円ではただのコーヒーと変わらないだろうと思い、三百円足して、八百円を出した。
「ご来店ありがとうございました」
紬季が店を出ると、カップはぴかぴかと輝いていた。
——二週間後、紬季は父母と三人で、あの遊園地にいた。
来るのは五年ぶりぐらいだった。もちろん父と母もである。
「懐かしいわね」
「そうだな、働いてたあの頃が思い出されるな」
父も母も懐かしそうで、紬季は嬉しくなる
「紬季、私たちはね、この遊園地で出会ったのよ」
「えー!! そうなの!?」
紬季は知ってるよと思いながら、驚くフリをする。そして
「あのジェットコースター乗りたい!」
と言った。父も母も乗り気で、
「よっしゃ、いっちょ乗るか!」
「ジェットコースターなんて久しぶりだわ」
なんで笑っている。紬季は幸せでたまらなかった。




