9話 岩と悪魔とカソワランド
ドォォォォォォォン!!!
鼓膜が破れるかと思うほどの衝撃音が、森の静寂を粉砕した。カソワランドの巨大な頭部による体当たりが、クリスの構える黒い盾に直撃したのだ。
「ぐ、ぅぅぅ……っ!!」
クリスの足が石畳のような硬い土を削り、後方へ三メートルも押し込まれる。しかし、彼女の膝は折れていなかった。防弾盾の表面には、巨鳥のトサカが激突した際の火花が飛び散り、焦げた匂いが立ち込める。
「はぁ、はぁ……! なんて、力だ……。大型の馬に蹴られたような衝撃だぞ!」
「耐えろ、クリス! 次が来る!」
カソワランドは一度距離を取ると、再び恐るべき速度で突進してきた。今度は体当たりではない。強靭な太腿をしならせ、空高く跳躍してからの、必殺の蹴りだ。
ガギィィィン!!
金属同士がぶつかり合うような、甲高い音が響く。巨鳥の右脚にある長い鉤爪が、盾の覗き窓を狙って突き出される。クリスはそれを最小限の動きで受け流すが、その衝撃は彼女の全身を震わせていた。
「テオ、早く……! ずっとは、持たない……!」
俺は「村雨の脇差し」を抜き放ち、巨鳥の側面に回り込んだ。脇差しからは絶えず清らかな水が溢れ出し、俺の手を冷やしている。この水は、ブラック企業で乾ききった俺の心を癒すためのものじゃない。今、この瞬間、この怪物を止めるための「武器」だ。
「はああぁっ!」
俺は無我夢中で、カソワランドの脇腹、羽毛の薄い箇所を狙って村雨を突き出した。吸い込まれるような手応え。脇差しは豆腐を刺すように、巨鳥の強靭な肉を深々と貫いた。
勝った。そう確信した瞬間、俺の目の前で「絶望」が再生された。
ズチュ、ズブブ……。
脇差しを抜いた瞬間に、傷口から溢れたはずの血が逆流するように戻り、筋肉の繊維がアメーバのように蠢いて、数秒足らずで滑らかな、キメの細かい皮膚へと戻ってしまったのだ。
「……は? 嘘だろ、一瞬で治ったぞ!?」
「なんて再生能力だ!ただのカソワランドでさえ再生が厄介なのに!こいつは異常だ!」
カソワランドは俺の攻撃を「蚊に刺された」程度にしか思っていないのか、再びクリスへ向かって連続蹴りを叩き込む。
ドカッ! バキィィッ! ドォン!
クリスの持つ盾は、一発ごとに凄まじい音を立てる。盾自体は無傷だが、それを支えるクリスの腕、肩、そして精神が摩耗していくのが分かった。
「クリス! そのまま耐えろ! 絶対に盾を下ろすな!」
俺は再び、巨鳥の死角から村雨を突き立てる。一突き、治る。二突き、また治る。十突き。二十突き。刺しても刺しても、この怪物は止まらない。俺の腕は、かつて数万件の伝票を入力し続けた時のように、重く、鈍くなっていく。
(どうする? どうすればいい? 運が極振りなら、何か奇跡が起きるんじゃないのか!?)
俺は必死に考えた。思考の海に沈み、前世の忌々しい記憶を掘り起こす。ブラック企業の営業。断られても、罵倒されても、ドアを閉められても、笑顔で再びチャイムを鳴らし続ける。相手の心が折れるまで、ひたすら同じルーチンを繰り返す、あの地獄。
「……そうか。肉体が治るなら、心はどうだ?」
俺は虫眼鏡をもう一度、カソワランドに固定した。
【カソワランドの状態】:再生により肉体的ダメージはゼロ。しかし、痛覚は正常に機能している。連続する被ダメージにより、精神に微かな「不快感」と「疲労」が生じ始めている。
「クリス! 作戦変更だ! 倒そうとするな、こいつの心を折るんだ!」
「心を折る……!? そんなことが可能なのか!?」
「俺を信じろ! お前は世界最強の壁だ! 1ミリも動くな!」
「1ミリは無理だ!1センチで勘弁してくれ!」
「すまん!」
俺は脇差しから溢れる「富〇の天然水」を、自分の顔にぶっかけて気合を入れた。
カソワランドが再びクリスに蹴りを見舞う。クリスは歯を食いしばり、盾を地面に突き立てて固定する。その瞬間、俺は巨鳥の脚の付け根に、村雨をねじ込んだ。
「一発目!」
ギャアッ! と巨鳥が悲鳴を上げる。傷は治る。だが、痛みは消えない。治った瞬間に、俺は同じ場所をもう一度刺した。
「二発目! 三発目! ……百発目まで付き合ってやるよ! 終わらない残業の苦しみ、お前にも教えてやる!」
俺の動きは、もはや剣士のそれではなく、精密機械の動作に近かった。突いて、抜いて、水で傷口を洗って、また突く。カソワランドからすれば、目の前の女クリスはどんなに叩いても壊れない無機質な「岩」であり、背後にいる男(俺)は、どんなに無視しても、どんなに傷を治しても、正確に「同じ場所」を延々と突き続けてくる「悪魔」に見えたに違いない。
ついに、カソワランドの動きが止まった。振り上げた右脚を、空中で止めたまま、巨鳥の瞳が大きく見開かれた。その赤かった瞳は、恐怖で白濁し、小刻みに震えている。
ピィ……。
それは、猪のような咆哮ではなかった。ひよこが親を呼ぶような、あまりにも情けなく、弱々しい声。カソワランドは、膝から崩れ落ちるようにその場に座り込み、長く美しい首を地面にこすりつけた。
「……え、待って。本当に、降参したのか?」
クリスが、盾を構えた姿勢のまま呆然としている。
俺は村雨の先を、巨鳥の眉間にピタリと突きつけたまま、低く言い放った。
「……次、動いたら、明日の朝まで突くのをやめないぞ。」
その言葉が通じたのか、カソワランドは全身をビクンと震わせ、俺の靴(スーツ時代の面影はないが、冒険者用の靴)を、ペロペロと舐め始めた。
「……どうやら、完全に俺たちが『上司』だと理解したらしいな」
「テオ……お前、すごいというか、恐ろしいよ。あんな怪物の心を、ただの根性でへし折るなんて……。」
クリスが盾を背中に戻し、へなへなとその場に座り込んだ。彼女の腕は、極限の緊張から解放されてガクガクと震えていた。
「俺一人の力じゃないさ。君が、あいつの攻撃を全部受け止めてくれたからだ。……ありがとう、クリス。君は最高の相棒だ。」
「相棒……。ああ、そうだな……。」
俺たちは、自分たちの身長を遥かに超える巨大な変異種を連れて、テッカの街へと凱旋することになった。道中、カソワランドは俺たちの後ろを、まるで叱られた大型犬のようにシュンとして付いてきた。
「……で、これがその『不審な鳴き声』の犯人ですか?」
夕暮れのギルド。受付のミラさんは、窓の外で大人しくお座りしている、建物を見上げるようなサイズの巨鳥を見て、魂が口から抜けかけていた。
「はい。変異種のカソワランドでした。暴れていたので、少し教育して和解しました。今後、この森で変な声は聞こえなくなるはずです」
「教、育……? あの、これ、通常種でもCランク、変異種ならBランク以上の討伐対象なんですが。それを、捕獲というか、従わせるなんて……。」
酒場の冒険者たちも、もはや野次を飛ばす気力すら失っていた。
昨日「ガバの葉」で話題になった新人が、今日は「巨大なバケモノ」をペットにして帰ってきたのだ。
「ミラさん。このカソワランドの登録、多分出来ますよね?」
「ひ、ひゃい。名前はどうなさいますか?」
「んーーー。クリス、何かいい名前はあるか?」
「『ピィ』って鳴いてたから『ピィちゃん』でよくないか?」
「っっああ。そうしようか。」
危ない危ない。クリスは真面目なのに、吹いてしまうところだった。だって、時速100キロ超えで突進してきて、蹴りの摩擦で木が炭化する2メートルサイズの鳥が「ピィちゃん」って 。
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