4話 異世界にスーツは無理だった
「……ふぅ、やっと着いたか。」
教会の救護所を出て、石畳のメイン通りを歩くこと十分。俺は巨大な剣と盾が交差した紋章が掲げられた建物を見上げた。ここが城塞都市テッカの冒険者ギルドだ。だが、入り口を潜る前から、周囲の視線が痛い。ガタイのいい戦士や、ローブを纏った魔術師たちが、奇妙な生き物を見るような目で俺を見ている。
「おい、見ろよあの格好……。」
「妙にツヤのある黒い布だな。葬式にでも行くのか?」
「腰に差してるのは……剣?あんなの細すぎてすぐに折れちまうよ。」
クスクスという失笑が耳に刺さる。無理もない。100円ショップの虫眼鏡、腰には脇差し、そして何より、ブラック企業の社畜戦士として数多の徹夜を共にしてきた「ヨレヨレになった洋服の〇山で買ったスーツ」だ。異世界の中世ファンタジーな街並みの中で、俺一人だけが浮き上がった異分子だった。
「……まずは、この格好をどうにかしないと話が始まらないな。」
ギルドの扉を開ける前に、俺は回れ右をした。幸い、マノンさんから「メガウルフの素材を売ったお金」として、数枚の銀貨を預かっている。まずは形から入るのが、営業マン……いや、冒険者の基本だ。
通りで見つけた古着屋兼、仕立て屋の看板を掲げる店に飛び込んだ。
「ごめんください。服を新調したいのですが、ついでに今着ているこの服を買い取ってくれませんか?」
カウンターの奥から出てきたのは、分厚い瓶底眼鏡をかけた、いかにも頑固そうな店主の老人だった。老人は俺の姿を一瞥し、鼻で笑った。
「ふん、見たこともない珍妙な装束だな。どこの流れ者だ? そんな安っぽい平織りの布、二束三文にも……。」
老人の手が、鑑定のために俺のスーツの袖に触れた。その瞬間、老人の指がピクリと止まる。
「……ん? なんだ、この滑らかさは。ウールか? いや、それにしては細密すぎる。それにこの……この内側の生地は何だ!?」
老人の顔色が変わった。彼はひったくるように俺の上着を脱がせると、カウンターに広げ、裏地に顔を埋める勢いで凝視し始めた。
「ば、馬鹿な……! 絹シルクのような光沢、だが絹よりも遥かに吸湿性に優れ、静電気も起きぬ……。この、指を滑り落ちるような極上の感触……まさか、伝説の聖糸『キュプラ』か!?」
「きゅぷら?」
俺は呆気に取られた。キュプラなんて、こちらの世界(日本)ではごく一般的なスーツの裏地素材だ。〇化成とかが作っている、綿花の種に付いた産毛を原料にした再生繊維である。
「お、おい若造! これをどこで手に入れた! この製法は失われたはずだ。精霊の加護を受けた職人が、一生に一度織れるかどうかの奇跡の布だぞ! しかもこの縫製……狂いがない。神の業か!?」
店主の興奮は頂点に達していた。彼は震える手で虫眼鏡(俺の100均のやつより良さそうだ)を取り出し、裏地の繊維一本一本を調べ始めた。
「……間違いない。これは王侯貴族でも生涯に一度拝めるかどうかという代物だ。表地の『ポリエステル混紡』という、古代繊維も驚異的だが、この『キュプラ』は別格だ。……言い値で買おう。頼む、これを私に譲ってくれ!」
「言い値って……いくらぐらいになりますか?」
俺が恐る恐る尋ねると、店主は奥の金庫から、ずっしりと重みのある輝く硬貨を取り出した。
「……金貨4枚だ。今の私に出せる限界だ。これで手を打ってくれ!」
金貨4枚。マノンの話では、一般的な宿に一ヶ月泊まっても銀貨十枚。金貨1枚あれば、平民の家族が一年は遊んで暮らせるという。それが4枚。
「……売った。」
俺は即答した。ブラック企業のボーナス(寸志)より遥かに高い。これが「極振りの運」の力か。ただの安物スーツが、異世界ではオーパーツ扱いとは。
「ありがたい! これで私の店も歴史に名を残せる……! おお、神よ!」
拝むようにスーツを抱える店主を横目に、俺は金貨1枚を差し出した。
「その中から、この国に馴染む、丈夫で動きやすい服を揃えてください。お釣りはいらないから、一番いいやつをお願いします。」
「承知した! 最高の一式を揃えてやろう!」
数十分後。鏡の前に立つ俺は、完全に別人に生まれ変わっていた。
深い紺色の丈夫な革の胸当て。伸縮性に優れた良質なインナーと、動きやすいハーフブーツ。肩には旅情を誘う深緑のケープ。腰には「村雨の脇差し」がしっくりと収まる特注のベルト。
「……うん、これなら『この世界の住人』に見えるな。」
見た目は、若返った顔立ちも相まって「期待の新人冒険者」そのものだ。スーツという「過去」を脱ぎ捨て、俺は再び冒険者ギルドの門を叩いた。
今度は、誰も笑わない。むしろ、良質な装備を整えた俺の姿に、酒場の荒くれ者たちが「見どころのある新入りだ」と言わんばかりの視線を送ってくる。
受付のカウンターへ進み、俺は一番美人の受付嬢の前に立った。
「冒険者の登録をお願いしたいのですが……。」
「まあ!新規登録の方ですか?わかりました!お名前を伺ってもよろしいですか?」
彼女は営業スマイルだろうが、その笑顔はこちらの心を和ませてくる。
「テオです。」
「テオ様ですね!では、ギルドの説明とギルドカードの作成をさせていただきます!本ギルドでは……………」
俺の新しい人生が、ようやく本当の意味で動き始めた。
Thank you for reading!




