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36話 決闘

 アルカの広場を支配していたのは、祝祭の喧騒ではなく、冷徹な「査定」の空気だった。中央に座すヨーナス候爵は、差し出された『ルビー・メイト』を一口煽ると、その芳醇な香りに眉一つ動かさず、グラスを傍らの石卓に置いた。その動作一つに、数多の戦場を潜り抜けた強者の重圧が宿っている。


 「……ほう、逃げ出さずに面を出すとはな。不義の子として野垂れ死んだと思っていたが、このような泥臭い荒野で、賊の片棒を担いでいたか。」


 その声は低く、周囲の空気を物理的に押し潰す。対するクリスは、左腕の黒い盾を微かに鳴らし、一歩も引かなかった。

 

 ヨーナスが立ち上がった。その瞬間、彼を囲んでいた重装騎兵たちが規律正しく下がり、広場に円状の空間が作られる。

 「盾は力を持たざる弱者の言い訳だ。我が血族、キングスランスに必要なのは、敵を、壁を、運命をすら穿ち砕く『矛』の力のみ。……クリスティーナ、その『盾』とやらが、私の前でいかに無力か、ここで証明してやろう。」


 空気が凍りつく。バレンが止めようと動いたが、俺はその肩を制した。これは、彼女がその身に刻まれた過去を、物理的に叩き伏せなければならない局面だ。


 「閣下、一つ提案があります。」

 

 俺はヨーナスの視線を正面から受け止めた。

 

 「ただの処刑では、この酒が不味くなる。決闘を行いましょう。もしクリスが閣下の攻撃を凌ぎ切り、一太刀報いることができれば……彼女を『一族の者』として認め、この街への干渉を控えていただきたい。」

 「よかろう。ただし、この娘が敗北した時は、酒の権利と娘の生殺与奪、すべて私が預かる。」


 俺はクリスを見た。彼女は無言で頷き、愛用の黒い盾を構え、右手には保管庫から出してきた実戦用の鋼の槍を握った。


 ヨーナスが手にしているのは、キングスランス家に伝わる大身の槍だ。装飾などない。ただ、重く、鋭く、獲物を殺すためだけに研ぎ澄まされた鉄の塊。


 合図はなかった。ヨーナスが踏み込む。その一歩で石畳が跳ね、彼は最短距離を突風のように駆け抜けた。


 ドォォン!!


 重い衝撃音が響いた。ヨーナスの放った凄まじい突きが、クリスの盾の芯を捉えた。普通の盾なら持ち手の腕ごと砕けていただろう。だが、クリスは衝撃の瞬間に盾の角度を微かに変え、威力を背後の地面へと逃がした。


「……ほう、受け流したか。」


 ヨーナスの瞳に、初めて冷徹な興味が宿る。テオが分析した通り、クリスの身体には「盾」の血も色濃く流れている。それは魔法のような不思議な力ではない。筋肉の連動、重心の移動、そして相手の力のベクトルを瞬時に読み取る、生物としての「防衛本能」の極致だ。


 ヨーナスの攻めが加速する。連撃。ガ、ガガガッ! と、火花が夜の闇を散らす。ヨーナスの槍は重戦車のような重みで、クリスの急所を的確に狙い続ける。クリスは一歩、また一歩と後退させられ、足の裏から血が滲み、石畳に赤い足跡が残る。


 「防いでばかりで何ができる! 守るだけでは何も変えられんのだ!」


ヨーナスが矛を大きく引き、全身のバネを使って最速の一撃を放つ。空気を切り裂く音が、耳をつんざく。


 ガギィィィィィィィン!!


 クリスの身体が数メートル弾き飛ばされる。盾を保持する左腕の関節が、嫌な音を立てた。しかし、彼女の右手の槍は、まだ折れていない。


 「終わりだ。盾の才能があろうと、所詮は折れるのを待つだけの木偶に過ぎん。」


 ヨーナスが最後の一撃を放つべく、槍を構え直した。だが、クリスの瞳は死んでいなかった。彼女は、俺が語った「先祖返り」の仮説を、その身で体現しようとしていた。


 (槍は、突くためのものじゃない。……盾は守るためだけのものじゃない。)


 クリスは腰を落とし、盾を身体に密着させた。そして、右手の槍を相手の槍を「迎え撃つ」角度で固定した。


 ヨーナスの必殺の突きが放たれる。クリスはそれを避けなかった。盾で受けることすらしなかった。彼女は、自分に向かってくるヨーナスの槍の「穂先」のわずか下を、自分の槍の「側面」で叩き、そのまま一点で押し返した。


 ガキィィィィィィィッ!!!


 物理的な限界を超えた負荷が、一点に集中した。ヨーナスの槍は、そのあまりの貫通力ゆえに、逃げ場のない反動をすべて自分自身の柄へと受けてしまった。


 パキンッ。


 冷たい音が響き、キングスランス家の象徴たる槍が、中央から真っ二つに叩き折れた。慣性に流されたヨーナスの首筋に、クリスの槍先が、静かに突きつけられる。


 「……っ……!」


 広場は、静寂に支配された。焚き火が爆ぜる音だけが聞こえる。ヨーナスは、折れた柄を握ったまま、自分の喉元にある鋼の冷たさを、じっと見つめていた。


 ヨーナスはゆっくりと折れた矛を捨てた。

 

 「……矛を、折ったか。」


 その声には、怒りはなかった。あるのは、自分が何十年も否定し続けてきた「盾」の力が、自慢の「矛」を防ぎ続け、敗北の要因になったという、認めざるを得ない事実への沈黙だった。


 「……クリスティーナ。いや、クリスよ。」


 ヨーナスは胸に手を当て、一歩下がった。


 「矛を折る盾。……それが初代の真髄であったか。貴様を『不義の子』と断じた私の目は、曇っていたようだ。」


 ヨーナスは周囲の兵たちを見渡し、重々しく宣言した。


 「認める!この女こそが、我が血族の正当なる継承者だ!」


 「おおおおおっ!!!」

 

 傭兵たちと住民たちから、地鳴りのような歓声が上がった。


 クリスは槍と盾を下ろし、その場に崩れ落ちた。俺はすぐに駆け寄り、彼女の震える肩を支える。


 「……よくやったな、クリス。」


 「……テオ。私、生きてていいんだな。」


  俺は愚かだった。彼女の目から零れた涙には、過去の呪縛がいくらか解けた喜びはあると思っていた。


 「不義の子ではないと認められたところで、母上が帰ってくる事はもうないのに。」


戦闘シーンって本当に難しいです。

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