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35話 隔世

 朝日が荒野の死骸を照らし出し、勝利の余韻がアルカの城壁を包んでいた。しかし、その中心にいるべきテオの心は、勝利の美酒に酔うどころではなかった。


 「……クリスティーナ、だと?」


 黒鉄の馬上で、ヨーナス=フォン=キングスランス候爵が低く笑った。その声は、救世主の慈悲など微塵も感じさせない、獲物を追い詰めた猛獣の愉悦に満ちている。対するクリスは、抜いた剣を収めることすら忘れ、幽霊でも見たかのように青ざめ、その場に釘付けになっていた。彼女の全身を支配しているのは、戦いの高揚ではなく、骨の髄まで凍りつかせるような「恐怖」と「憎悪」の混濁だ。


 俺は即座に判断した。このままここで話を続ければ、クリスの精神が崩壊するか、あるいは血気盛んな傭兵たちとキングスランスの騎兵団が衝突しかねない。


 「……候爵閣下。まずは、我が街を窮地から救っていただいたことに、心からの感謝を。……話の続きは、後でゆっくりと。戦士たちには最高のトメイト酒と、出来立てのポテイト料理を用意させましょう。」


 俺は努めて平静な声を出し、バレンに目配せを送った。バレンは眉を寄せながらも、状況の異常さを察し、重々しく頷いて城門を開ける指示を出した。


 「ふん、賢明な判断だ。……行くぞ。」


 ヨーナスは一瞥もクリスにくれることなく、堂々とアルカの内郭へと足を踏み入れた。四百の重装騎兵が、規律正しくそれに続く。その軍靴の音は、教会の軍勢よりも重く、街の空気を支配していった。


 広場では、バレンの差配により急造の宴会準備が始まった。傭兵たちは「王家の矛」の強さに興奮し、住民たちは危機が去ったことに安堵して、樽を運び出している。だが、城壁の司令塔にある一室だけは、墓場のような静寂に包まれていた。


 俺は、椅子に崩れ落ちるように座ったクリスの前に、温かいハーブティーを置いた。彼女の指先は、まだ細かく震えている。


 「クリス。……話せるか?」


 俺の穏やかな問いかけに、クリスは何度か深く息を吐き、ようやく視線を上げた。その瞳には、今まで隠し通してきた暗い闇がよどんでいる。


 「……すまない、テオ。醜態をさらした。……あの男は、私の父だ。そして、私の母を殺し、私からすべてを奪った男だ。」


 ポツリ、ポツリと、クリスは語り始めた。キングスランス家の血塗られた歴史、不義の子として命を追われたこと、自分を逃がして死んだ従者マルクのこと。そして、彼女がなぜ「盾」という、攻撃を是とするキングスランス家において「出来損ない」の烙印を押される才能を持ってしまったのか。


 「テオ、君は知らないだろうが……この国の建国神話には続きがあるんだ。」


 クリスは自嘲気味に笑い、歴史の裏側を口にした。


 「今でこそ、最強の矛を振るう『キングスランス候爵家』と、鉄壁の守りを誇る『キングスウォール候爵家』は、親戚筋として別々の家系となっている。だが、その祖は同一だ。王家から最初の候爵位を授かった初代は、一人で軍隊を壊滅させる矛の冴えと、あらゆる攻撃を弾く盾の技術を併せ持った、正真正銘の化け物だったと言われている。」


 俺は顎に手を当てて聞き入った。


 「その初代には二人の息子がいた。長男は矛の才能を、次男は盾の才能を色濃く受け継いだ。初代は、あまりに強大すぎる自分の力を一つに留めておくのは危険だと考え、家を二つに分けたんだ。それが、今の両家の始まり……。だから、私たち両家は互いに補完し合う関係であるはずだった。」


 クリスの拳が、膝の上で白くなるほど握りしめられる。


 「だが、今の父……ヨーナスは違う。彼は『矛こそが最強であり、守りは臆病者の業だ』と歪んだ思想を持っている。だから、彼にとって、自分の娘に『盾の才能』が強く現れたことは、キングスウォール家との不義の証拠であり、一族の汚点以外の何物でもなかったんだ。」


 俺は前世の知識を総動員して、彼女の語る内容を構造化したビジネスにおける合併と分割の歴史、そして大学でかじった生物学、遺伝学の法則。


 (なるほど、そういうことか……)


 俺は立ち上がり、部屋の隅にある羊皮紙に、図を書き込み始めた。


 「クリス、君の父親は君を『不義の子』だと決めつけたが……私の分析は違う。君は、誰よりも純粋に『初代』の血を引いている可能性がある。」

 「……え?」

 「メンデ……いや、難しい話はやめよう。簡単に言えば、親には現れない性質が、数代を飛び越えて子に現れる現象がある。それを『隔世遺伝』という。初代候爵という『矛と盾の両方を持った完成体』から分かれた二つの血筋。それが長い年月の間に、君という器の中で奇跡的に再結合したんじゃないか?」


 俺は図を指し示した。


 「君に槍術の才能がなかったんじゃない。君の『盾の才能』があまりに圧倒的すぎて、矛の才能を覆い隠していただけだ。あるいは、君の深層心理が、母親を殺した父親の『矛』を拒絶し、無意識に『守る力』だけを研ぎ澄ませた。……君の盾が異常に硬いのは、それが単なる技術ではなく、王家を支えた二つの家の資質が、君一人の身体に凝縮されているからだ。」


 クリスは呆然と俺の図を見つめた。自分が「出来損ない」でも「汚点」でもなく、一族の「全盛期の再来」である可能性。そんな考え方をしたことは、一度もなかった。


「君は、不浄の子なんかじゃない。キングスランスとキングスウォール、その両方の頂点に立つ資格を持った、『先祖返り』なんだよ」


 テオの言葉は、確信に満ちていた。前世で、落ちぶれた子会社が実は親会社以上の特許技術を隠し持っていた時、テオは何度もその「埋もれた価値」を再定義し、大逆転劇を演出してきた。今、目の前にいるクリスは、まさにその「最強のカード」に見えた。


 その時、部屋の扉が乱暴に叩かれた。


 「テオ殿! 候爵閣下がお呼びだ! 『酒はまだか、あの女を連れてこい』と……!」


 外郭からの使いの兵士が、震えながら叫んだ。俺はクリスの肩にそっと手を置いた。


 「クリス。あいつは君を『過去の亡霊』だと思っている。だが、見せてやろう。君がどれほどの価値を持つ存在になったのかを。アルカの自由は、君という『盾』があってこそ守られたんだ。」


 クリスはゆっくりと立ち上がった。その瞳には、まだ不安が残っていたが、先ほどまでの絶望は消えていた。彼女は傍らに置かれた黒い盾を、力強く左腕に装着する。


 「……行こう、テオ。あの男に、アルカの酒を飲ませてやる。……毒よりも強烈な、現実という名の酒をな。」


 俺達は部屋を出た。階下では、戦場のような宴が最高潮に達しようとしていた。


 中心に座るは、血の匂いを纏った黒鉄の候爵ヨーナス。彼は差し出された『ルビー・メイト』のグラスを弄びながら、獲物を待つ蜘蛛のような目で、階段を下りてくる二人を凝視していた。


 アルカの命運を懸けた、親子という名の「戦争」が、今、宴会の席で幕を開ける。

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