30話 戦争へのカウントダウン
黄金の重みは、時に人の心を支え、時にその責任の重さで肩を沈ませる。ピィちゃんの背に揺られ、荒野を時速百キロメートル近い速度で駆け抜けながら、俺は懐の金貨袋を強く抱きしめていた。教会の討伐軍二千。その数字が、頭の中で何度も不吉な鐘を鳴らしていた。
アルカの城壁が見えてきた時、俺は自分の目を疑った。
「……嘘だろ、バレン。」
一週間で一キロメートル四方の外壁を作ると豪語したドワーフの棟梁は、テオがポルタに行っているわずかな間に、その約束をさらに過剰な品質で実行していた。そこにあったのは、単なる土の囲いの一部ではない。高さ約七メートル。分厚い岩と特殊な土を練り固めた、無骨ながらも美しい石造りの「城壁」だった。壁の頂部には兵が走り回れるほどの幅があり、弓兵が身を隠して射掛けるための凹凸(銃眼)まで完璧に備わっている。ピィちゃんたちが嘴で岩を運び、ニトロたちがその脚力で杭を打ち込み、バレンがドワーフの魔力と技術で「固めた」結晶。それはもはや、荒野に突如現れた巨大な要塞だった。
「がははは! お帰り小僧! 教会のクソ野郎どもが梯子をかけても、登り切る前に干からびさせてやるわ!」
バレンが壁の上から、真っ赤な顔をして叫んでいた。手にはすでにトメイト酒の樽がある。
その夜、アルカの指導者たちがテオの家に集まった。灯された蝋燭の火が、地図代わりに広げられたバレンの設計図を照らしている。出席者は俺、クリス、エリック、そしてバレン。
「……敵は二千。歩兵一千五百、弓兵四百、重装騎兵百だ。」
俺が数字を読み上げると、部屋に重苦しい沈黙が落ちた。
「無茶だ。」
口火を切ったのは、クリスだった。
「私たちの戦力は、カソワランドのピィちゃんたちを含めても、まともに数えられるのは三十にも満たない。十倍どころか、百倍近い差だ。……私の案は、徹底した籠城。バレンがこれほどの城壁を作ってくれた。食料の備蓄はある。門を閉ざし、上から石を投げ、矢を射る。敵が荒野の暑さと渇きで撤退するのを待つ!」
「いや、クリスさん。それでは農地が踏み荒らされます。」
声を上げたのは、エリックだった。その目は恐怖で震えていたが、意志の光は消えていなかった。
「新しい外壁との間のスペースに、せっかくポテイトを植え始めたんです。上水と下水も整う。ここで籠城して、敵に外壁内を占領されたら、僕たちの『未来』が全部焼かれてしまいます。……僕は、城外決戦で敵を追い払うべきだと思います。」
「エリック、気持ちはわかるが、外に出れば数で押し潰されるだけだ。自殺行為だ。」
クリスが厳しく遮る。二人の意見は真っ向から対立した。バレンは「俺は壁を作るのが仕事だ。戦うのはお前らの勝手だ」と酒を煽っている。
「……どっちにしろ、兵が足りないんだ。」
俺は重い口を開いた。
「籠城するにしても、一キロ四方の壁をこの人数で見張ることはできない。一箇所でも突破されれば終わりだ。城外に出るなんてもってのほか。……俺たちに必要なのは、数だ。」
俺は机の上に、ポルタで受け取ったばかりの黄金の袋をドン、と叩き置いた。
「傭兵を雇う。もう、それしかない。」
翌朝、俺は再びピィちゃんの背にいた。宝物袋に入れているのは「ルビー・メイト」十樽。これは今回、クレメンスへの礼、そして「交渉の潤滑油」として持ってきたものだ。
ポルタのクレメンス商会。俺は支配人の執務室に入るなり、単刀直入に切り出した。
「支配人。国中の傭兵を、一週間以内にポルタに集めてください。」
クレメンスは驚きで酒を吹き出しそうになった。
「……正気か、テオ。傭兵を雇うのは金がかかる。教会の正規軍に対抗できるだけの数となれば、すごい量の金貨が吹っ飛ぶぞ。」
「条件はこうです。」
テオは一枚の書面を差し出した。
「前金として、大銀貨一枚。そして依頼達成金……つまり教会の軍を退けた暁には、金貨一枚を支払う。」
クレメンスの目が、カチリと商人の計算モードに切り替わった。
「……破格だな。今の相場なら、命懸けの戦争でも達成金は大銀貨3枚が関の山だ。金貨一枚(大銀貨十枚分)となれば、食い詰めた浪人から、王都の腕利きまで、血眼になって集まってくるだろう。……よし、前金と手数料等は我が商会で負担しよう。」
「ありがたい。そこそこ大規模な戦になるから、できれば傭兵団がいい。指揮系統もしっかりしてそうだし。」
クレメンスは、俺が持ってきた「ルビー・メイト」の樽を見つめ、それから不敵な笑みを浮かべた。
「面白い。……一週間で軍勢を作ってやろうじゃないか。幸い、今のポルタには、この酒の噂を聞きつけた荒くれ者が溢れている。彼らにとって、金貨一枚は『新しい人生』を買える額だ。」
「お願いします。俺はアルカに戻り、バレンに『傭兵たちの寝床』を作らせます。一週間後、俺はここに、彼らを迎えに来る。」
アルカへの帰り道、俺は自分の中に不思議な冷徹さが宿っているのを感じていた。前世では、予算の確保や人員の配置に奔走し、上司の顔色を伺う日々だった。だが今は、自分の金で、自分の意志で、大規模な軍隊を動かそうとしている。
(教会よ。お前たちは『神の名』で人を従わせるだろう。だが、俺は『黄金』と『自由』で人を動かす。)
アルカに戻った俺を待っていたのは、夕日に照らされた巨大な城壁だった。それはもはや、この町の、不屈の象徴となっていた。
「バレン! クリス! エリック! 準備をしてくれ!一週間後、ここには大量の傭兵がやってくる。彼らを収容する天幕、食料、そして……戦うための『熱』を用意するんだ!」
アルカの朝が、再びやってくる。だが、次の朝からは、もはやただの開拓の朝ではない。教会の白銀の鎧を、黄金で叩き潰すための、戦争へのカウントダウンが始まった。




