29話 迫り来る軍
アルカの朝は、かつての乾いた静寂を忘れたかのように活気に満ちていた。バレンが作り上げた五軒の木造家屋からは、朝食の準備をする煙が立ち上り、子供たちの笑い声が防壁の中に響く。だが、テオはその平和な光景を眺めながら、どこか落ち着かない胸騒ぎを覚えていた。
(今のアルカは、あまりにも「密」だ。人が増え、物資が増え、畑が増えた。今の300メートル四方の壁の中だけでは、これ以上の発展は望めない。)
俺は早朝から、壁の境界線に立ち、広大な荒野を指差しながらバレンに切り出した。
「棟梁、相談がある。この町を、もう一回り……いや、三回り以上大きくしたい。」
「ほう、小僧。またデカいことを言い出したな。今の壁が不満か?」
バレンは愛用のパイプをくゆらせながら、不敵に笑う。
「不満じゃない。最高だよ。だが、足りないんだ。これから入植者は増えるかもしれない。それに、ポテイトの大規模な農地も確保したい。だから……今の壁の外側に、もう一重、一キロメートル四方の外壁を作ってほしいんだ。」
「一キロだと!?」
バレンの目が一瞬見開かれた。
「今の壁の三倍以上の規模だぞ。しかも、ただ壁を立てりゃいいってもんじゃない。その広大なスペースに、上水と下水を通し、馬車が通れる道を整備し、地盤を固める……。小僧、お前、ドワーフを過労で殺す気か?」
「あんたならできると信じてる。それに、これは『攻められた時』の備えでもあるんだ。二重の壁があれば、もし外壁を突破されても、内側の旧市街で立て直せる。……もちろん、報酬のハニーメイトと酒、それにドワーフ好みの『強い酒』もポルタから買い付けてくる。」
バレンは鼻を大きく鳴らし、しばらくの間、荒野の地平線を睨みつけていた。そして、不敵な笑みを浮かべて地面にドカッと座り込む。
「がははは!面白い、やってやろうじゃないか!一キロの防壁、上下水道の完備、そして都市計画……。ドワーフの棟梁バレンの名にかけて、一週間で形にしてやるわ!」
「一週間!?いくらなんでもそれは……」
「抜かせ!俺様と、あのデカブツ鳥たちが本気を出せば不可能なことはない!ただし小僧、資材の搬入は休ませねえぞ。宝物袋をフル稼働させろ!」
テオは力強く頷いた。アルカの拡張工事は、その瞬間に決定した。工事をバレンとクリス、そしてピィちゃんを除くカソワランドたちに任せ、テオはピィちゃんの背に跨った。今回の荷物は、ハニーメイト千個と、さらに熟成を深めた「ルビー・メイト」五十樽。ポルタの街に入ると、クレメンス商会の地下倉庫は、もはや「秘密のサロン」のような熱気を帯びていた。
「テオ!待っていたぞ、この救世主め!」
クレメンスは、現れたテオを見るなり、まるで生き別れた兄弟に再会したかのような勢いで駆け寄ってきた。
「支配人、今日も最高の仕上がりです。トメイト千個に、酒を五十樽。……予約分は足りそうですか?」
「足りるものか!王都の公爵家からも使いが来たのだぞ。この酒一樽に、今や金貨70枚を積む連中まで現れ始めた。」
俺は驚きを隠せなかった。金貨15枚の卸値でも破格だと思っていたが、市場価格はさらに暴騰している。クレメンスは約束通り、一樽につき金貨15枚……合計で金貨750枚、そしてトメイトの代金を合わせ、山のような黄金をテオに手渡した。
だが、金貨を数えるクレメンスの手は、どこか震えていた。
「……テオ。商売の話はここまでだ。ここからは、君の命に関わる話をしなければならない。」
クレメンスは周囲の部下をすべて下がらせると、重苦しい声で切り出した。
「聖都の教会本部が動いた。……彼らは『不浄の魔酒』を根絶するという名目で、正式に軍を招集した。歩兵1500、弓兵400、そして重装騎兵100。合計2000規模の討伐軍だ。」
テオの心臓が、ドクンと大きく跳ねた。
「2000……。ただの『異端審問』の規模じゃない。完全に都市一つを潰すレベルの軍勢じゃないか。」
「奴らの狙いは、君の背後にある『生産拠点』だ。教会は、君がこの荒野のどこからか来ていることを突き止めている。軍はすでに聖都を発ち、このポルタを経由して荒野に進軍する予定だ。」
俺は冷や汗を拭った。2000の軍勢。対するアルカは、戦えるのはクリスとピィちゃんたち、そして村の若者が数人。バレンの壁があるとはいえ、圧倒的な物量差だ。
(逃げるか?いや、どこへ?あそこにはエリックたちが積み上げた生活がある。バレンが作ってくれた家がある。……これ以上、奪われてたまるか。)
俺は深く息を吐き、覚悟を決めた。
「支配人、貴方には俺がどこから来ているのか、その正体を明かしましょう。」
「……ほう。ついに話してくれるか。なんだかんだ気になっていたのだ。金貨を大量に産む土地について。」
「荒野の奥深く、誰も近寄らなかった場所に、ある町がありました。名は『自由都市アルカ』。そこには、教会に奴隷のように扱われている子供達が暮らし、何人も殺されたのです。そんなアルカに私はやってきて、教会勢力を排除しました。そして、子供達がちゃんと暮らせる町を作る事にしたのです。」
クレメンスは目を見開いた。
「子供達の自由都市……アルカ、か。どおりで、妙に子供用の服を大量に買っていた訳だ。」
「はい、支配人。教会が軍を出すなら、俺たちはそれを迎え撃つ。アルカはただの農村じゃない。……教会の腐った秩序をひっくり返す、新しい時代の拠点です。貴方は、どちらに賭けますか?」
テオの真っ直ぐな視線に、クレメンスは一瞬圧倒されたように沈黙した。そして、彼はニヤリと不敵に笑い、テーブルの上の「ルビー・メイト」を飲み干した。
「……商人は、常に勝つ方に賭けるものだ。………テオ、君に協力しよう。ポルタの街を通じて、軍の動きは逐一知らせる。それに、物資の調達も裏で手を回そう。」
「感謝します、支配人。……急ぎ、戻らなければ。アルカの住民に事態を伝えるために。」
俺は黄金の袋を抱え、地下倉庫を飛び出した。空は夕焼けに染まっている。その赤色は、アルカを彩るトメイトのようでもあり、これから流れる血の色のようでもあった。




