28話 トメイト酒、大反響。
自由都市アルカの朝は、かつてないほどの熱気に包まれていた。地下の恒温保管庫から引き上げられた二十四の樽。それらは昨日の試飲でその恐るべきポテンシャルを証明した「ルビー・メイト」の第一陣だ。バレンが「ドワーフの意地」で作り上げた樽は、一分の隙間もなくハニーメイトの精髄を閉じ込めている。
「テオ、本当に出荷するのか? この一樽が金貨に変わると考えたら、私の手が震えそうだぞ。」
クリスがどこか落ち着かない様子だった。それもそうである。この前は数千個のトメイトを売って金貨1枚にもならなかったのだが、今度はこの樽1個で金貨一枚なのである。
「ああ。鉄は熱いうちに打て、だ。クレメンス支配人が動いたなら、街の『空気』は一晩で変わっているはずだからな。」
俺は二十四樽の酒に加え、鮮度抜群のトメイト千五百個を宝物袋に詰め込んだ。酒は富裕層向けだが、トメイトそのものは依然としてポルタの市民たちの胃袋を掴む「最強の嗜好品」だ。この二段構えこそが、教会の封鎖を内側から食い破る楔になる。
「ピィちゃん、今日も頼むぞ。少し重いが、アルカの未来が懸かっているんだ。」
「ピィッ!」
カソワランドの咆哮が朝の荒野に響き渡る。超高速輸送。荒野を駆ける彼らの足音は、もはやアルカの進撃を告げる太鼓の音のようだった。
ポルタの街に入ると、クレメンス商会の私設地下倉庫には、支配人本人が首を長くして待っていた。その目は血走っており、一晩中寝ずに「何か」をしていたことが一目でわかった。
「来たか、テオ! 待ちわびたぞ、この悪魔の飲み物を!」
俺が二十四の樽を並べると、クレメンスはまるで聖遺物を扱うような手つきでそれらを撫でた。
「昨日、貴族やお得意様を呼んで試飲会を開いたのだ。」
「どうでしたか? その様子だと、かなり手応えがあったようですが。」
俺の問いに、クレメンスは震えるような笑い声を漏らした。
「『手応え』? そんな生易しい言葉で片付けるな。奴らは最初、野菜の酒だと鼻で笑っていたよ。だがな、一口飲んだ瞬間……部屋の中が凍りついたように静まり返り、次の瞬間には罵声に近い注文が飛び交ったよ。」
クレメンスは俺の肩を強く掴み、声を潜めた。
「テオ、信じられるか? 予約の段階で、酒の発注を一樽金貨50枚で受けた。それも、一箇所や二箇所じゃない。あの一杯には、それだけの価値があると断じられたのだ。」
俺は内心で計算した。一樽金貨50枚。二十四樽あれば金貨1200枚。前世の感覚なら数億円規模の商談だ。だが、クレメンスは少し申し訳なさそうな顔をして続けた。
「……テオ。昨日、私は君から一樽金貨1枚でこの酒を買った。だがな、昨夜の熱狂を見て、商人としての私の矜持がそれを許さなかった。一樽金貨50枚で売れる商品を、1枚で買い叩くのは、商売の神にツバを吐く行為だ。君との良好な関係を、私は目先の小金で失いたくない。」
彼は懐から、重厚な革袋を取り出した。
「定価は一樽金貨50枚に固定する。そして、君への卸値は再設定させてもらう。……一樽につき、金貨15枚だ。二十四樽分、ここに金貨360枚を用意した。これが、クレメンス商会が提示できる、君への最大限の敬意だ。」
金貨360枚。昨日までのアルカの総資産を軽く上回る額だ。俺は差し出された袋を受け取った。ずしりとくる、物理的な黄金の重み。
「金貨15枚。支配人、貴方は本当に『話のわかる』商人だ。これなら今後も、優先的に私の商品をここに回せますね。」
「がはは、そう言ってくれると助かるよ! さあ、この金で何を買う? 武器か? 傭兵か?」
俺はリストを書いた紙を差し出した。
「いいえ、まずは『生活必需品』を買わせてもらいます。」
金貨を大量にゲットした俺は、クレメンスの全面協力のもと、ポルタの市場で「爆買い」を開始した。教会の騎士団が門で見張っているが、街の内側にある商会の倉庫から物資を運び出すのを止める権利は彼らにはない。
まず選んだのは、子供たちのための服だ。エリックやルイーザ、そして避難してきた子供たちは、これまでボロボロの布を継ぎ接ぎして着ていた。俺は丈夫な綿と、冬の寒さに耐えられる上質な羊毛の服、そして頑丈な靴を、村の全員分買い占めた。
次に工具。バレンが欲しがっていた、ドワーフの特殊合金で作られた鑿や槌。そして、より効率的に石を切り出すための大型の鋸。これがあれば、アルカの壁はさらに高く、強くなる。
そして香辛料。塩、胡椒、そして滋養強壮に効く乾燥ハーブ。食生活の向上は、住民の免疫力と士気に直結する。
だが、俺が最も熱心に、そして大量に買い込んだのは、市場の片隅で「不恰好な観賞用植物」として見向きもされていなかった、大量のポテイトの種芋だった。前世の知識が囁いている。ジャガイモの普及がどれだけ歴史を動かしたか。そして、ジャガイモが採れなくなっただけで、どれだけの人が死んだか。トメイト酒という「贅沢」で稼いだ金で、俺たちは「飢え」という概念をアルカから完全に抹殺する。
夕刻。山のような物資と、黄金の袋を積んだピィちゃんたちが、アルカの城門をくぐった。
「おお、テオ。おかえり。どうだったか?」
「ああ。絶好調さ。樽1個で金貨15枚になった。」
「はあ?」
クリスは明らかに混乱している。目の焦点が合っていない。
「テオさん! お帰りなさい!」
エリックたちが駆け寄ってくる。俺は早速、買ってきたばかりの鮮やかな青や緑の服を子供たちに配り始めた。
「わあ……柔らかい! すごいよおじちゃん!全然チクチクしないよ!」
「テオさん、これ、本当に僕たちが着ていいの?」
目を輝かせる子供たちを見て、俺の胸の中に、営業成績を達成した時とは違う、もっと根源的な「仕事の喜び」が込み上げた。
「ああ、みんなの分だ。これからは、ボロを着る必要なんてない。俺たちは、自分たちの手で豊かさを掴んだんだからな。」
俺はバレンを呼び、ドワーフ合金の工具を渡した。
「……ほう。この鑿の刃筋、悪くない。小僧、これがあれば、保管庫の拡張もすぐ終わるぞ。がはは! さっさと次の酒を仕込めよ!」
バレンは上機嫌で工具を抱え、早々と作業場へと消えていった。流石である。
最後に、俺はエリックと共に、新しく開墾したばかりの農場に立った。俺は麻袋から泥だらけの種芋を一つ取り出し、土の中に深く埋めた。
「エリック、ここにポテイトを植える。これは俺たちの『命』を支える根っこになる。」
「はい、テオさん。僕たち、一生懸命育てます。」
「テオ、そんなものをこんなに大量にどうするんだ? トメイトがあるじゃないか。」
クリスが不思議そうに、大量の種芋が詰め込まれた麻袋を眺める。
「クリス、今やトメイトや酒は『外貨』を稼ぐための武器でもあり、アルカの食糧でもある。でも、トメイトばっかりだと栄養も偏るしな。子供達もトメイトばっかりで飽きてくるだろうし。」
俺は村雨の水を、優しくその場所に降らせる。トメイト酒というルビーがもたらした黄金が、今、ポテイトを通じて、アルカの土に「安心」という名の芽を吹かせようとしていた。
金貨360枚。重くなった懐を叩きながら、俺は夕日に染まるアルカを眺めた。教会の封鎖も、騎士団の剣も、この「満たされた腹」と「温かい服」を持つ民たちの心までは奪えないだろう。




