26話 袋の有用性
ポルタからの帰路、ピィちゃんの背に揺られながら、俺は懐に仕舞った三枚の布袋を何度も確かめていた。クレメンス商会から譲り受けた『時間経過袋』。容量は小樽一個分と控えめだがこれもきっと女神基準。それに中の時間を300倍にするという狂った性能。通常の【宝物袋】が「保存」に特化した冷蔵庫だとするなら、これは「加速」に特化した魔法のオーブンだ。
(600倍か……。一時間入れれば25日。一日入れれば約20ヶ月。使い道次第じゃ、アルカの経済をさらに一段階上に引き上げられる。)
荒野を切り裂くピィちゃんの脚力は、夕闇が本格的に降りる前に、アルカの無骨な土壁を視界に捉えていた。
「ブゴォォッ!」
ピィちゃんの帰還報告に呼応するように、見張り台の松明が大きく振られる。
門をくぐると、そこには意外な光景が広がっていた。バレンが指示を飛ばし、エステルたちが最後の仕上げとして、地下水路へと続く巨大な縦穴に石板を嵌め込んでいるところだった。
「がははは! 戻ったか小僧! ちょうどいいところだ、わしの最高傑作を拝んでいくがいい!」
バレンが汗を拭いながら、これでもかと胸を張る。彼が指差す先には、町の中央広場から一段下がった場所に作られた、重厚な石造りのハッチがあった。
「これが、『冷凍倉庫』か?」
俺が問いかけると、バレンは「冷凍ではない、『恒温保管庫』と呼べ」と不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「地下深くを流れる清らかな水路、その気化熱と、ドワーフ秘伝の『吸気循環構造』を組み合わせた。外がどんなに灼熱の荒野だろうと、この中は常にトメイトが最も心地よいと感じる温度に保たれる。……入ってみろ。」
ハッチを開け、梯子を下りて地下へと入る。一歩踏み出した瞬間、肌を撫でたのは、驚くほどひんやりとした、それでいて湿り気を帯びた清涼な空気だった。
「……涼しい。いや、半袖だと少し肌寒いくらいだ。」
続いて下りてきたクリスが、感心したように壁の石組みを指でなぞる。
「見ろ、テオ。石の隙間から常に微かな風が流れている。バレン、お前は本当にふんぞり返っているだけじゃなかったんだな。」
「当たり前だ! わしを誰だと思っておる! 構造の美学は、細部に宿るのだ!」
広大な地下空間には、すでに棚が整然と並べられていた。これなら【宝物袋】に頼らなくても、数千個単位のハニーメイトを理想的な状態でストックできる。アルカの食料自給、そして輸出拠点としての心臓部が、いま完成したのだ。
俺は、バレンの肩を叩いた。
「最高だ、棟梁。これでアルカは、もう餓えることも、腐ったものを食うこともなくなる。……報酬のハニーメイト、明はさらに『特別なもの』を振る舞うよ。」
次の日の朝、新築された俺らの家(バレン作の、妙に頑丈な木造家屋。正直雑魚寝でもよかったのだが、エリックがどうしても、と俺らに送ってくれた)に、クリスとバレン、そしてエリックとルイーザを招いた。
「さて、みんな。今日はポルタで見つけてきた、新しい『可能性』を試したい。」
俺はテーブルの上に、クレメンスから譲り受けた「時間経過袋」を取り出した。そして、傍らに置いたのは、アルカで採れた最高級のハニーメイトだったものが入った1樽。
「この匂いは………トメイトを……酒にしたのか?」
クリスが怪訝そうな顔をする。この世界では、トメイトはあくまで「安価な野菜」であり、それを醸造するという発想自体が珍しい。そもそも、通常のトメイトは糖度が低すぎて、酒にならない。
「ただの酒じゃない。ハニーメイトの糖度は、そこらの果実を凌駕している。これをじっくり発酵させ、熟成させれば、王族が喉を鳴らすような極上の『トメイト・ワイン』ができるはずだ。……本来なら数ヶ月かかるが、この袋を使えば……ってことで、昨日帰ってきてから仕込んでたんだ。」
栓を抜いた瞬間、部屋中に広がったのは——鼻腔をくすぐる、濃厚で芳醇な、それでいて瑞々しさを失わない不思議な香りだった。
「……なんだ、この香りは。野菜の匂いじゃない。」
クリスが思わず身を乗り出す。
俺はそれを、木製のカップに注ぎ分けた。色は透き通ったルビー色。ハニーメイトの赤が、アルコールという魔法を経て、宝石のような輝きを放っている。
「さあ、試飲だ。アルカの発展に乾杯しよう。」
皆が一口、その液体を口に含んだ。
……沈黙が流れる。
最初に声を上げたのは、酒にうるさいドワーフだった。
「……なんじゃ……こりゃあ……!! 甘い! だが、後味がキリリと引き締まっておる。それにこの喉越し、まるで絹を飲んでいるようだ! 小僧、これは酒ではない、液体になった宝物だぞ!」
バレンは一気にカップを空け、おかわりを要求するようにテーブルを叩いた。エリックとルイーザも、指に少しだけつけて舐め、「おいしい……」と顔を綻ばせている。
「テオ……これ、ポルタに持っていったら、ハニーメイト以上の騒ぎになるぞ。教会の連中が『呪い』なんて言っても、この一杯を飲ませれば全員黙る。」
クリスも、その芳醇な余韻に酔いしれるように目を細めた。
俺は、手の中のカップを見つめた。前世の営業会議では、数字のために酒を飲み、上司の機嫌を伺うためのツールでしかなかった。だが今は違う。自分の手で作り、仲間と共に喜び、そして町を豊かにするための武器だ。
「この『トメイト酒』を、アルカの第二の名産品にする。ハニーメイトは庶民の贅沢として、この酒は富裕層や貴族を落とすための切り札だ。……時間はほんの少しかかるが、この袋があれば、ヴィンテージ(年代物)の酒さえ瞬時に作り出せる。」
数日経つと自由都市アルカに、新しい「香り」が加わっていた。それは、土の匂いや水の清涼感とは異なる、どこか官能的で、それでいて生命の躍動を感じさせる芳醇な果実酒の香りだ。
「よし、このロットもいい上がりだ。」
俺、テオは新設された「アルカ醸造所」の薄暗い一角で、三枚の『時間経過袋』から次々と小樽を取り出していた。クレメンス支配人から譲り受けたこの袋は、まさにチートという言葉がふさわしい。袋の中の時間は外の世界の600倍。一晩——約8時間入れておくだけで、袋の中では200日、つまり半年以上の月日が経過している計算になる。
ハニーメイトを潰し、秘伝の酵母(といっても、前世の知識を総動員して環境を整えたものだが)を加え、樽に詰めて袋に入れる。それだけで、本来なら年単位の時間を要する「ヴィンテージ」の領域に、一足飛びで到達できるのだ。
「テオ、また樽を出しているのか。……正直、その袋を見ていると、時間の概念が壊れそうで怖くなるな。」
クリスが、冷えた地下倉庫の入り口で腕を組んでいた。彼女の背後には、バレンが作った堅牢な棚が整然と並んでいる。
「ああ。1日以上袋に入れておいた樽は、もう十分に熟成している。これ以上袋に入れておくと、今度は酢になってしまう可能性もあるからな。これからは、この『恒温保管庫』に移して、ゆっくりと寝かせることにするよ。」
俺たちは、熟成が終わったばかりの樽を、バレン自慢の保管庫へと運び込んだ。ハニーメイトそのものは生鮮食品だ。どれだけバレンの技術が凄くても、あるいは俺の宝物袋があっても、物理的な「量」の限界がある。だが、酒に加工してしまえば話は別だ。
「アルコール度数が高まれば、腐敗の心配はほぼなくなる。むしろ、寝かせれば寝かせるほど価値が上がる『資産』になるんだ。クリス、これはアルカにとっての『銀行』なんだよ。」
「ギンコウ?……まあ、お前の言うことだ。この赤い液体が、将来的に金貨の山に化けるということだけは理解した。」
クリスは呆れたように笑いながらも、運搬を手伝ってくれた。保管庫の棚が、深いルビー色の液体を湛えた樽で埋まっていく。それは、単なる飲料ではない。アルカが外の世界、特に教会の権威に対抗するための、最も純度の高い「経済的暴力」の結晶だった。




