23話 組織
商業都市ポルタの朝は、テッカの重々しい静寂や、アルカの乾いた孤独とは異なり、どこか浮き足立った喧騒に包まれている。宿屋「豊穣の角笛亭」の二階、俺、テオは、ベッドに深く腰を沈め、机の上に広げた革袋の中身を改めて検分していた。ジャラリ、と重厚な金属音が鳴る。中には、7日間の戦利品である銅貨と銀貨が、まるでトメイトの種のようにぎっしりと詰まっていた。
「……7日の売上でこれか。前世の年収を7日で稼ぐなんて、あながち夢じゃないな。」
俺は自嘲気味に笑った。だが、その笑いはすぐに消えた。窓の外、市場の時計塔が日光に照らされている。ビジネスの世界において、「一人勝ち」ほど危険な状態はない。前世でもそうだった。画期的な新製品を出せば、翌週には競合他社が劣悪なコピー品を出し、あるいは特許侵害を盾に大手が潰しにかかってくる。ポルタの支配層や、既存の野菜ギルドが、この「ハニーメイト」という金の卵を産むガチョウを、指をくわえて見ているはずがないのだ。
コンコン、と扉が叩かれた。
「テオ、入るぞ」
クリスの声は少し強張っている。
「建築士の件はどうだった?」
「……ああ、腕のいい『ドワーフの棟梁』を見つけた。」
「ドワーフ?この世界にはドワーフがいるのか?」
俺は今まで、人間しか見てこなかったため、この世界には亜人はいないと思っていたが、亜人はいるらしい。それを聞いて、この世界の異世界感が増したように思えた。
「ああ、普通にいるぞ。そうか、テオの世界には人間しかいないんだったか?」
「そうだ。異世界といったら、亜人枠としてドワーフ、エルフ、獣人なんかがよくいるイメージがあるな。こっちには普通にいるのか?」
「うーん。普通にいるのはドワーフだけだな。エルフは美形すぎて奴隷にされやすいし、獣人は差別が酷い。ドワーフは鍛治や建築を得意としていて、唯一亜人として人間と対等な立場にある。」
「そうか………。で、ドワーフの棟梁を見つけたんだっけ?」
「そうだ。名前はバレン。腕は確かだと思うが、金にうるさくて偏屈な男だ。ハニーメイト三箱と銀貨十枚で、アルカの視察と設計図作成を承諾させた。だが、それよりも……」
クリスは部屋の灯りを少し絞り、声を低くした。
「……街の空気が変わった。昨日私たちがハニーメイトを完売させた直後から、怪しげな連中がこちらを探っている。それも、ただのこそ泥じゃない。装備や身のこなしからして、どこかの商会の私兵、あるいは……教会の連中の可能性が高い。」
俺の背筋に、冷たい氷の粒が走った。
「……足がつくのが早すぎるな。産地は伏せていたはずだが…」
「テオ、お前は商売人としては一流だが、この世界の『執念』を甘く見すぎている。数千個規模のトメイトがどこから来たか、轍を辿り、門番を買収すれば、荒野の方向まではすぐに絞られる。アルカが『見つかる』のは時間の問題だ。」
クリスの言葉は、冷徹な現実を突きつけていた。せっかく手に入れた安住の地、エリックたちがようやく手に入れた「自分たちの場所」。それを、またしても「管理」や「利権」の名の下に奪われるわけにはいかない。
「……予防線をポルタまで広げる必要があるな。」
「どういう意味だ?」
「直接戦うんじゃない。敵の『土俵』をこちらでコントロールするんだ」
翌朝。俺は昨日のボロを纏った行商人ではなく、ポルタで一番高級なテーラーで仕立てさせた上質な商服に身を包んでいた。向かう先は、街で最大勢力を誇る「クレメンス商会」の本部だ。
「……また君かね。『ハニーメイト』とやらの噂は聞いているよ」
支配人のクレメンスは、皮肉めいた笑みを浮かべながら俺を迎えた。俺は単刀直入に、ポルタでのハニーメイト独占販売権の全面譲渡と、それに対する「身辺の安全確保」を提案した。
「ほう、私に用心棒になれと? だが、君を狙っているのがもし『教会』の連中だとしたら、首を突っ込むメリットが薄いな。」
クレメンスが探るような目を向ける。俺はここで、賭けに出ることにした。
「支配人、貴方は信心深い方ですか?」
「……ハッ、冗談を。あいつらは神の名を借りて、商売のあがりを『寄付金』という名で掠め取っていく。ポルタの流通にまで教義を持ち込もうとするあいつらを、私が好きだと思うかね?」
ビンゴだ。実利を重んじる大商人にとって、特権階級を振りかざす教会は、ただの邪魔でしかない。
「なら話は早いです。このトメイトは、教会が最も嫌う『自由都市』の種です。これを流通させ、富を築くことは、教会の支配が届かない経済圏を作ることと同義だ。支配人、貴方は教会の顔色を窺う小商人か、それとも市場のルールを自分で決める『王』か、どちらですか?」
一瞬の静寂の後、クレメンスは腹の底から笑い出した。
「……面白い。そのトメイトの味、そして君の不遜な考え、気に入ったよ。いいだろう、我が商会の『特別契約者』として、君の身の安全は私の兵が保証しよう。」
商談が終わり、商会の建物を後にした。裏通りを抜け、バレンの仕事場へと向かう途中、クリスがポツリと口を開いた。
「……なあ、テオ。正直、驚いたぞ。あんな腹黒そうな商会の保護を受けるなんて、お前らしくない。自分の『運』で切り抜けると思っていたが。」
「クリス、俺たちは二人しかいない。いくら俺に運があって、お前の腕が立っても、物量で押されたら最後は潰される。前世で学んだんだよ。……『組織を倒すには、別の大きな組織に管理させるのが一番手っ取り早い』ってな。」
「別の大きな組織?」
「そうさ。教会は自分たちの正義を押し付けてくるが、商会は『利益』という共通言語で動く。クレメンスにとって、俺は金の卵だ。それに、彼は教会を嫌っている。俺たちが直接戦うより、商会という盾を使って、ポルタの経済ルールという網の中に教会を絡め取らせる。それが一番、アルカを安全に保てるコストの低い戦い方なんだよ。」
だが、その会話を遮るように、シュンッ、という鋭い風切り音が響いた。俺たちのすぐ横、木柱に深々と「黒いボルト」が突き刺さる。
「……やはり来たか。教会の掃除屋だ。」
路地の入り口と屋根の上に、黒色の外套を纏った男たちが四人。手にはクロスボウを構えている。
「見つけましたよ、大罪人テオ。……神の裁きを受けなさい。」
男たちが引き金を引こうとした瞬間、背後の曲がり角から重々しい足音が響いた。
「おいおい、そこまでだ。この道はクレメンス商会の管理区域だぞ。許可なく『商談相手』に手出しをされては困るんだよ。」
現れたのは、クレメンス商会お抱えの用心棒たちだった。鋼のフルプレートに身を包んだ重装歩兵と、長弓を構えた手練れの猟兵たちだ。
「チッ、商会の犬どもが……! 邪魔をするな、これは神の御意志だ!」
「神様はポルタの市場に税金を払ってねえんだよ。……やるぞ、野郎ども!」
乱戦が始まった。
クリスは迷わず前に出ると、盾を構えてボルトを弾き飛ばす。俺は脇差しを抜き放ち、刀身から溢れる水を石畳にぶちまけた。
「おっと、滑るぞ」
絶妙なタイミングで濡れた石畳に、暗殺者の足がとられる。バランスを崩した彼の喉元へ、クリスの盾の縁が叩き込まれた。
「ごふっ……!?」
商会の用心棒たちが前線を維持し、クリスが遊撃として暗殺者を追い詰める。俺は彼らの動きが最も効果的になるよう、水流で敵の退路を塞ぎ、あるいは「偶然」を装って敵の足元に転がる樽を蹴飛ばした。
数分後、路地に立っていたのは俺たちと商会の用心棒だけだった。三人の暗殺者は沈黙し、最後の一人は商会の兵士に組み伏せられている。
「……助かったよ。クレメンス支配人は仕事が早いな。」
俺が声をかけると、用心棒のリーダー格がニヤリと笑った。
「支配人からは『教会の不潔な連中から、最高級のトメイトを守れ』と厳命されてますんでね。……あんた、意外と度胸があるな。」
商会の連中が暗殺者を連行していくのを見送り、俺とクリスは大きく息を吐いた。
「……テオ。お前の言った通りになったな。商会の『実利』が、教会の『狂信』を力ずくでねじ伏せた。」
クリスが脇差しの汚れを祓う俺を、少しだけ見直したような目で見ていた。
「ああ。これで少しの間、ポルタでの安全は買えたはずだ。……さあ、急ごう。バレン棟梁を連れてアルカに戻るぞ。」
俺たちは夕闇が迫るポルタの街を駆け、ドワーフの工房へと向かった。俺の心には、初めてこの世界で、いや、前世と今世で「組織の力」を味方につけた確かな手応えが宿っていた。




