22話 ハニーメイト
自由都市アルカの朝は、今や「水」の音で始まる。ピィちゃんが穿ち、エステルやエーテルたちが広げた水路を、清らかな地下水がさらさらと流れる。その水を受け、サウストウッズの黒い土で育ったトメイトたちは、朝露を浴びて宝石のように真っ赤に輝いていた。
「……よし、収穫量は十分。糖度も申し分ない。あとはこれを、どうやって『外貨』に変えるかだ。」
俺、テオは、木箱にぎっしりと詰められたトメイトを前に、前世の営業会議のような真剣な顔で腕を組んでいた。アルカは自給自足の段階を脱しつつある。だが、町を近代化し、建材や衣類、調味料、そして子供たちのための文房具などを揃えるには、この町だけで完結する物々交換ではなく、世界で通用する「現金」が必要だ。
「テオ、本当に街へ行くのか? テッカの件がある。教会の手回しで、お前の顔が手配書に載っている可能性もゼロではないぞ。」
クリスが心配そうに剣帯を締め直す。
「ああ。だからこそ、今回は慎重にいく。目立つピィちゃんはお留守番だ。ピィちゃんが動けば『怪鳥を連れた男』として一発でバレるからな。……あと、街では『アルカ』の名前は一切出さないことにした。産地を特定されたら、教会連中にこの場所がバレる。」
「ピッ……」と、置いていかれることを察したピィちゃんが、寂しそうに俺の袖を食んだ。俺は申し訳なさと、もしもの時の守護を込めて、その首筋を優しく叩く。
「留守番を頼むぞ、ピィちゃん。エリック町長とルイーザ、それにこの町を守れるのはお前らだけだ。」
俺とクリスは、ごく普通の、ただし顔は隠れる旅装に身を包み、アルカにあった荷馬車を馬に引かせた。目指すは、アルカから荒野を越えて数日の距離にある商業都市「ポルタ」だ。
数日後、たどり着いたポルタの街は、テッカのような威圧感はなく、商人の活気と家畜の匂いが混じり合う、文字通りの「商売の街」だった。
「さて、まずはショバ代の交渉だな。この街で一番力を持っているのは……『クレメンス商会』だったかな。」
俺は街で一番大きな商会の門を叩いた。出てきたのは、いかにも計算高そうな、贅沢な服を纏った中年の支配人だった。
「市場での販売権?ふん、どこの馬の骨ともわからぬ余所者が。今の市場は空きなどないよ。」
鼻であしらおうとする支配人。俺は前世で培った「嫌な上司を黙らせる営業スマイル」を最大出力で稼働させた。
「そうおっしゃらずに、支配人。これは場所代というより、ポルタの経済を活性化させるための『ご挨拶』として受け取っていただきたい。」
俺は懐から、大銀貨3枚をテーブルに置いた。一週間の露店権利としてはかなりの色をつけた金額だ。支配人の目が、カチリと音を立てて変わった。金貨を出すのは流石に悪目立ちしすぎるし、このあたりの相場なら大銀貨3枚が「話のわかる上客」としてのベストなラインだ。
「……ほう。礼儀を知っている男は嫌いではない。よかろう、市場の中央、時計塔の下の区画を一週間貸してやる。だが、売るものがガラクタならすぐに追い出すからな。」
「ご心配なく。売るのは『宝石』ですよ。」
市場のど真ん中に陣取った俺たちは、早速店開きをした。といっても、並べているのは真っ赤なトメイトだけだ。看板には大きく、こう書いた。
【高級果実:ハニーメイト】
「さあ、寄ってらっしゃい見てらっしゃい! これまでのトメイトの常識を覆す、究極の甘み『ハニーメイト』だ!」
俺の威勢のいい声に、買い物客たちが足を止める。だが、値札を見た瞬間、誰もが顔をしかめた。
「おいおい、兄ちゃん。トメイト1つで銅貨1枚だと?ふざけるなよ、相場は銅貨1枚で4つは買えるぜ!」
「ぼったくりだ! 見た目は綺麗だが、中身はただの野菜だろ!」
野次が飛ぶ。クリスが不安げに俺の横顔を伺うが、俺は不敵に笑った。
「皆さん、落ち着いて。高いと思うなら、まずは一口、試しに食べてみてください。金は取りません。もしこれを食べて、今まで食べてきたトメイトと同じだと思ったら、私は今すぐ荷物をまとめてこの街を去りましょう!」
俺はナイフでトメイトを切り分け、試食用の小皿に乗せて差し出した。最初に手を出したのは、不機嫌そうな主婦の一人だった。「どうせ酸っぱいに決まってる……」と呟きながら口に運んだ瞬間。
「……っ!?」
彼女の目が、限界まで見開かれた。
「な、何これ……!これ、本当にトメイト?果物みたいに甘くて、でも味が濃くて……口の中でとろけるわ!」
その一言が、導火線になった。次々と手が伸び、試食の皿は一瞬で空になった。
「うまい! なんだこの瑞々しさは!」
「トメイト嫌いのうちの息子が、もっとくれって泣いてるわよ!」
「皆さん、試食は終了です!これが選ばれた土と水で育った『ハニーメイト』です!一日の出荷量は決まっています。この価値がわかる方にだけ、手に取っていただきたい!」
俺はあえて「限定感」を強調した。するとどうだ。さっきまで「ぼったくり」と叫んでいた客たちが、今度は銅貨を握りしめて押し寄せてきた。
「俺に5個くれ!」
「私は10個! 近所のみんなにも配るわ!」
銅貨が木箱の中にジャラジャラと溜まっていく。原価はほぼゼロ。「大銀貨の投資」を除けば、とてつもない利益率だ。
夕暮れ時。初日分として用意していた五百個のトメイトはすべて完売した。俺とクリスは、ズシリと重くなった革袋を抱えて、宿屋の食事場で息をついた。
「……信じられん。あんな強気な価格で、これほど売れるとはな。」
クリスが呆れたように、銅貨を数え始める。
「マーケティングだよ、クリス。人はただのモノには金を払わないが、『特別な体験』には金を払う。ハニーメイトを食べることは、ポルタの住民にとってちょっとした贅沢……ステータスになったんだ。」
俺は窓から市場を眺め、満足げに頷いた。今回は前世と違い、純粋に商売の楽しさを味わえた気がする。社畜時代、上司に手柄を奪われ続けた日々とは大違いだ。
「テオ、このままいけば、アルカに必要なものは大抵揃うだけのお金が入るな。」
「ああ。そこでな、俺は手持ちのトメイトがなくなるまで商売しとくから、クリスに探してきて欲しいものがある。」
「何だ?」
「建築士。あんなボロ……って言ったらあいつらが可哀想だが、天幕で雑魚寝していたらあいつらの健康状態が悪くなる。せめて木造の家を作らないと……」
「わかったわかった。探してくるよ。」
「ああ、頼む。俺は先に部屋に行っておく。」
クリスは部屋に行く俺に何かを言っていたが、それは食事場の騒ぎ声に打ち消されていた。




