18話 塔での掃除
深夜の「自由都市アルカ」は、昼間よりも一層、墓場に近い静寂に包まれていた。唯一、町の北側にそびえ立つ「塔」だけが、不気味な脈動を続けている。煙突から吐き出される煤煙は、月光を遮るどろりとした黒雲となり、時折、風に乗って「キィィィン」と鼓膜を逆撫でする金属音が響いてくる。少女が言った「掃除」が何を意味するのか。それを確かめるために、俺たちは動き出した。
「テオ、正面には監視員が三人。手には槍、腰には警笛を持っている。鳴らされれば、町中の大人が集まってくるぞ。」
クリスが防弾盾の陰から、鋭い視線で塔の入り口を見据える。
「……正面突破だ。警笛を鳴らす暇なんて与えない。ピィちゃん、いけるか?」
「ピッ!」
暗闇に溶け込む漆黒の羽毛を震わせ、ピィちゃんが短く応えた。その瞳には、昼間のハンスに向けた冷めた視線ではなく、獲物を屠る魔獣の輝きが宿っている。
「よし……。業務開始だ。ただし、今回は残業代をきっちり命で払ってもらう。」
俺が合図を出すより先に、ピィちゃんが爆発的な加速で地面を蹴った。
ドォォォォン!!
静寂を切り裂く衝撃音。塔の入り口で欠伸をしていた監視員たちが、何が起きたのかを理解する前に、ピィちゃんの強靭な右脚が一人を壁ごと粉砕した。残る二人が驚愕に目を見開き、腰の警笛に手を伸ばそうとする。
「させない!」
クリスが影から飛び出し、重量のある盾をブーメランのように投げつけた。正確無比な一撃が監視員の腕を叩き折り、警笛が虚しく泥の上に転がる。俺はその隙を見逃さず、村雨を抜き放ちながら踏み込んだ。
「……お疲れ様。永遠に休め。」
一閃。脇差しから溢れる清らかな水が、監視員の首筋を音もなく撫でる。鮮血が噴き出す暇もなく、濁流のような勢いで溢れ出す水が傷口を塞ぎ、同時に命を奪い去った。
「……行くぞ。」
扉を蹴り開け、塔の内部へとなだれ込む。そこは、工場というよりも、巨大な「祭壇」であり「処理場」だった。塔の内部は異様に暑く、そして甘ったるい、鼻を突くような悪臭が充満していた。
「……な、なんだ、この匂いは。脂が焼けるような……」
クリスが顔を顰め、口元を腕で覆う。俺もこみ上げる吐き気を必死に抑えた。
中央の広間。そこには、巨大な「釜」が鎮座していた。その釜を囲むように、見覚えのある法衣を纏った数人の男たちが跪き、不気味な祝詞を唱えている。彼らの背後の壁には、どこかで見たものと同じ紋章が刻まれていた。
「テオ……見てくれ、あれを!」
クリスが指差した先。釜の上層には、何十もの小さな籠が吊るされていた。そこに入れられているのは、「廃棄」が決まった子供たちだ。彼らは身動きもできず、ただ恐怖に凍りつき、下で煮えたぎる炎を見つめている。
「……おい、ハンス。これが『掃除』の正体かよ。」
塔の奥から、複数の監視員を引き連れて現れたハンスに、俺は低い声をぶつけた。ハンスの顔は、塔の熱気に当てられたのか、それとも狂気に冒されたのか、異様に紅潮していた。
「そうだ! ここはただの町じゃない、神聖な供物の場だ!ノルマを果たせなくなったクズでも、最後にこうして『油』になれば、町のランプを灯す燃料になれる! 無駄な命など一つもない。これこそが究極の再利用だ!」
ハンスが笑う。その足元、釜の底部からは、どろりとした黄金色の液体が、いくつもの管を通って抽出されていた。
昼間、少女たちの手元を照らしていたあのランプ。ハンスが「干し肉付きの生活」と誇っていたその肉。すべては、仲間の「残骸」だったのだ。
「……反吐が出るな。効率化だの救済だの、聞こえのいい言葉を並べて、やってることはただの屠殺場かよ。」
俺の意識が、一瞬で前世の記憶と重なる。精神を病んで辞めていった同僚。使い潰され、ボロ雑巾のように捨てられた人々。彼らが去った後のデスクに、翌日には別の新人が座っている。その新人が、また同じようにすり減っていく。ここは、その「すり減らし」を、物理的な脂にまで昇華させた地獄だった。
「死んだ仲間の脂で、また仲間が働くための光を灯す……。そんな職場、存在しちゃいけねえんだよ。」
俺は一歩、踏み出した。
村雨から溢れる水の量が増していく。それはもはや滴る程度ではない。俺の足元から、渦を巻くような濁流となって塔の床を覆い始めていた。
「やれ! この不信心な闖入者供を、次の燃料にしてしまえ!」
ハンスの号令で、武装した監視員たちが一斉に襲いかかってくる。
「テオ、下がれ!」
クリスの防弾盾が、火花を散らしながら敵の槍を完璧に受け止める。
「テオ! ここは私とピィちゃんで食い止める! お前はあの忌々しい釜を……その根源を絶て!」
「……任せた。」
俺はクリスの肩を借りて跳躍した。ピィちゃんが、監視員たちの波に突っ込み、その巨体で人間をなぎ倒していく。その咆哮は、犠牲になった子供たちの怨嗟を代弁するかのような怒りに満ちていた。
俺は、釜を見下ろす教会の祭壇へと駆け抜けた。そこには、子供たちの悲鳴を封じるための重厚なバルブと、教会の祈祷書が置かれている。
俺は、その釜の心臓部……加熱を続ける炉に村雨を突き立てた。
「……業務終了だ。有給も退職金もねえが、クビにしてやるよ。二度と再就職できないようにな。」
脇差しから、かつてないほどの激流が噴き出した。ただの水ではない。それは、俺が前世で溜め込んできた不満、理不尽への憤り、そして、マノンを殺した時に感じた「支配されることへの根源的な恐怖」が混じり合った、濁流だった。
清らかな水が、煮えたぎる釜へと流れ込む。水蒸気爆発などという生温いものではない。村雨の水は、悪臭に満ちた「脂」を強引に洗い流し、その邪悪な熱源を芯から冷却し、粉砕していった。
ドォォォォォォォォン!!
塔の最深部で大爆発が起きた。中枢を失った釜が崩落し、塔全体が激しく揺動する。吊るされていた籠の鎖が次々と弾け、子供たちが地面へと放り出された。
「やめろぉぉぉ!俺たちの、俺たちの光が消えるぅぅ!」
ハンスが絶叫しながら、釜から溢れ出した「水」に飲み込まれていく。
塔の煙突から吐き出されていた黒煙が止まり、代わりに、建物全体から清らかな水が滝のように溢れ出した。
「……終わったな。」
俺は、膝をついたハンスの前に立った。
彼は空になった釜の残骸を、泣きながら見つめていた。
「どうしてくれる……。これで、明日から町は闇に沈む……。光がなければ、俺たちはただの野垂れ死にだ……。役目も、光も、教会からの保護もすべて失ってしまった……。」
「……仲間の脂で灯す光なんて、最初から闇より暗いんだよ。明日からは、自分の足で荒野を歩け。その方が、よっぽど明るいぜ。」
俺は冷たく言い放ち、脇差しを鞘に収めた。塔の外に出ると、夜明けの光が地平線から差し込み始めていた。塔から溢れ出した水は、町の泥と、焦げ付いた悪臭を洗い流し、荒野に小さな川を作っている。
宿舎から出てきた子供たちが、遠巻きに壊れた塔を見つめていた。町を照らしていた「ランプ」はすべて消え、代わりに、本物の太陽の光が彼らを照らし始めていた。その中の一人、あの少女が、よろよろと俺の元へ歩み寄ってくる。
彼女は俺の顔を見上げ、震える声で言った。
「……おじちゃん。もう、掃除に行かなくていいの?」
「ああ。もう掃除なんて仕事は、この世界からなくなったよ。」
俺は泣き崩れた彼女を静かに抱擁した。




