17話 自由都市アルカ
城塞都市テッカが、石造りの「堅牢な会社」だとするなら、この町は、廃材を寄せ集めて作られた「不法占拠のタコ部屋」だった。地平線の彼方から揺らめいて見えたその影は、近づくにつれて異様な全貌を露わにしていった。砂塵に削られた石壁、継ぎ接ぎだらけの天幕、そして何より、町全体を覆うのは、生命の躍動ではなく、錆びた鉄と乾燥した泥、そして幾千もの溜息が混じり合ったような、重苦しい静寂だった。
「自由都市アルカ」という大層な名を聞かされたとき、俺は一瞬だけ、何にも縛られない楽園を想像した。だが、門を潜って目に入ってきたのは、楽園とは程遠い、徹底的に効率化された「作業場」の風景だった。メインストリートと呼ぶにはあまりに無機質な泥の道。その両脇には、風を避けるためというよりは、互いを監視しやすくするために整然と配置された、灰色のテントが並んでいる。風が吹くたび、布がはためく乾いた音が「パタパタ」と虚しく響いた。
「……テオ、あの子たちを見てくれ。」
クリスが馬を止め、沈痛な面持ちで指差す。道端では、まだ十歳にも満たない少年たちが、黙々と石を砕いていた。照りつける太陽の下、肌は土埃で白く汚れ、流れる汗が泥の筋を作っている。だが、彼らはそれを見向きもせず、鉄槌を振り下ろし続けていた。
カン、カン、カン。
等間隔で刻まれるその音には、一切の迷いも無駄もない。隣の少年と喋ることも、飛んできた砂を払うことさえせず、ただ眼前の岩を細かな砂利に変えることだけに特化した、生きた機械。彼らの瞳は、昨日死んだばかりの魚のように濁り、俺たちが通り過ぎても視線一つ動かさない。ただ、鉄が岩を叩く乾いた音が、逃げ場のない荒野に響き渡るだけだった。
「……この町、大人が少なすぎるだろ。」
俺は周囲を見渡した。歩いているのは、骨格が浮き出るほど痩せた少年少女ばかりだ。彼らは一様に、体格に合わない大きな籠を背負い、あるいは黒ずんだ布袋を引きずって、迷いのない足取りで「職場」から「職場」へと移動している。たまに見かける大人は、皆一様に槍や鞭を手にし、監視員のように角に立っている。彼らの視線は鋭く、子供たちが少しでも歩を緩めれば、その容赦のない眼光が背中に突き刺さる。町全体が、巨大な監獄の運動場のような緊張感に包まれていた。
「テオ、あの掲示板を見てみろ。」
ピィちゃんの背から降りた俺が目にしたのは、町の中心にある広場の掲示板だった。テッカなら、そこには賑やかな酒場の宣伝や、報酬の良い討伐依頼が並んでいたはずだ。だが、ここにあるのは、もっと生々しく、胸がムカムカするような「標語」だった。
『労働は自由への唯一の道』
『休まぬ手こそが、明日のパンを生む』
『不平を言う前に、己のノルマを数えよ』
「……うわ、最悪だ。前世のブラック企業の朝礼を思い出す。」
俺は思わず唾を吐き捨てた。かつてのオフィス。始業三十分前からの掃除、タイムカードを切ってからの残業、壁に貼られた「目標達成」の棒グラフ。あそこに漂っていた、精神をゆっくりと真綿で首を絞めるような空気が、この乾いた荒野の町に充満している。魔力だの魔法だのといった高尚な話じゃない。ここは、ただ「行き場のない子供」という弱みに付け込み、衣食住をエサにして限界まで働かせる、純然たる労働搾取の現場だ。
「いらっしゃい。旅人かい?」
声をかけてきたのは、案内役だという一人の青年だった。二十歳そこそこだろうが、その顔には深い隈があり、頬はこけている。名前はハンスと名乗った。
「ここはいいところだぜ。名前も身分もない俺たちに、役目を与えてくれる。毎日決まった時間にスープが出て、寝る場所がある。外の荒野で、よくわからない四つ足に食われるよりは、ずっとマシだ。」
ハンスは誇らしげに、自分たちの「職場」を案内し始めた。彼が指差す先、巨大な天幕の下では、数十人の少女たちがランプの光の下で、黙々と針を動かしていた。その光景は遠目に見れば秩序ある工房だが、近づけば、針を刺す音と、重苦しい呼吸の音しか聞こえない異様な空間だった。
「あっちの天幕は金属加工場。西の都市に出す鎧を作ってる。こっちの地下道は、荒野から採取した鉱石の選別場だ。……あんた、いい鳥を持ってるな。それだけデカけりゃ、一度に百キロは石を運べるだろう? ここに登録すれば、一日三食、干し肉付きの生活を約束してやるよ。」
「断る。こいつは俺の仲間であって、重機じゃない。」
俺が冷たく突き放すと、ハンスは不思議そうな顔をした。彼の目には、生命ある生き物さえも、どれだけの利益を生むかという「数値」でしか映っていないようだった。
「相棒? そんな生産性のない関係、この町じゃ理解されないぜ。……ま、いいさ。一晩泊まるだけなら、あそこの『宿舎』を使いな。金貨一枚で、一週間は居させてやる。」
「金貨一枚? 高すぎだろ。」
俺が抗議しても、ハンスは「相場だ」と吐き捨てるように言って背を向けた。
案内された「宿舎」は、ただの大きな倉庫に藁が敷き詰められただけの場所だった。窓は小さく、埃が舞う空気は淀んでいる。夕暮れの光が僅かに差し込む床には、仕事を終えた子供たちが、まるで糸の切れた人形のように、あるいは死体のように重なり合って眠っていた。そこには子供らしい寝息はなく、ただ、使い古された雑巾が放置されているような、無機質な静寂があった。
「……ひどいな。」
クリスが盾を壁に立てかけ、低く呟いた。
「テオ、さっきの男の言葉……聞いたか? 『役目を与えてくれる』。あいつ、本気でそう思わされているんだ。自分が絞り取られていることに、気づきもしない。」
「ああ。一番タチの悪いやり方だ。『お前は他じゃ生きていけない』『ここでお前の居場所を作ってやった』。そうやって精神的に追い詰めて、搾取を恩恵だと思い込ませる。俺も、あんな顔をしてパソコンを叩いてた時期があるからわかるよ。」
前世の俺もそうだった。終電を逃し、会社に泊まり込みながら「必要とされている」と自分を騙した。そう思わなければ、心が壊れてしまうからだ。この町の子供たちも、そうやって自分を殺して、明日も鉄槌を振るう理由を無理やり作っている。
俺が藁の上に腰を下ろすと、背後でカサリと小さな音がした。振り返ると、一人の少女が、俺の服の裾を震える手で掴んでいた。年齢は六歳か七歳ほどか。ボロボロの布を纏い、片足を引きずっている。その瞳には、ハンスのような「感謝」という名の洗脳ではなく、まだ消え切っていない、剥き出しの「恐怖」があった。
「……おじちゃん、たすけて。」
小さな、消え入りそうな声。周囲の子供たちが死んだように眠る中、彼女は、明日という絶望を見つめていた。
「明日、わたし……『廃棄』されるの。ノルマに届かなかったから……次は、あの塔の掃除に行かされるの。行った子は、みんな帰ってこないんだ……。」
少女の指差した先。宿舎の小さな隙間から見える、町の北側にそびえ立つ窓のない高い塔。夕闇の中で、その塔はまるで巨大な墓標のように鎮座していた。煙突からは重苦しい黒い煙が絶えず吐き出されており、風に乗って、金属が擦れるような、あるいは悲鳴のような、嫌な音が途切れることなく聞こえてくる。
「……廃棄、だと?」
クリスの拳が、ミシミシと音を立てて握り込まれた。甲冑の隙間から漏れる彼女の怒気は、今にも爆発しそうなほど高まっていた。
「テオ、私は……もう我慢できそうにない。」
俺は、少女の細すぎる腕を見た。浮き出た骨、泥で汚れた指先。前世の俺は、誰にも助けを求められなかった。自分の不運を呪うだけで精一杯で、隣で倒れていく同僚の手を握ることもなかった。「これは仕方のないことだ」「自分にはどうすることもできない」……そう言って目を逸らし続けることが「大人」の処世術だと信じていた。だが、今の俺はあの時の俺じゃない。
俺は少女の頭を不器用に撫で、彼女の目線に合わせて腰を落とした。
「安心しろ。……おじちゃんは、運だけは無駄に良いんだ。」
俺は立ち上がり、ゆっくりと脇差しの柄を握った。ジャリ、と藁を踏みしめる。村雨の鞘から、清らかな水が音もなく溢れ出し、宿舎の汚れた床を、静かに、しかし力強く濡らしていた。




