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16話 荒野と何か

 城塞都市テッカを後にしてから、どれほどの時間が経っただろうか。背後に立ち昇っていた黒煙はもはや地平線の彼方に消え、俺たちの周囲には、ただただ乾いた風が吹き抜ける不毛な荒野が広がっていた。右を見ても岩。左を見ても砂。遮るもののない空はどこまでも高く、残酷なまでに青い。この世界に来てから、ギルドだ、依頼だ、キュプラだと目まぐるしく動き回っていた俺にとって、この「何もない」という風景は、あまりに不気味で、そして少しだけ救いでもあった。


 「……本当に、何もないな。」


 ピィちゃんの背に揺られながら、俺は独り言のように呟いた。テッカでの惨劇から数日。俺の心には、まだあの時の感触が残っている。マノンの心臓を貫いた時の抵抗感、崩れ落ちる騎士たちの金属音、そして、何も知らないままカソワランドの足に踏み潰された一般人の叫び声。目をつむれば、今でも鮮明に思い出せる。だが、今は立ち止まるわけにはいかなかった。


 「テオ、そろそろ休憩にしないか? こいつ(馬)も限界だ。」


 クリスが手綱を弾き、馬を止めた。彼女の馬はピィちゃんのような化け物スペックではない。廃墟となったテッカに残っていた、炭鉱に行く時にクリスが乗っていたギルドの馬である。荒野の強行軍に、鼻の穴を大きく膨らませて喘いでいる。


 「そうだな。……飯にしよう。」


 俺はピィちゃんの背から飛び降り、自分の「宝物袋」に意識を向けた。これが不幸中の幸いというやつか。テッカを脱出する直前、俺の「運極振り」な直感が働いたのか、あるいは前世で身についた「災害用備蓄」の癖が出たのか。俺は保存の利く乾パン、干し肉、それに数日分の野菜や果物を宝物袋の中に放り込んでいた。


 俺が袋から布を広げ、エール(の入った革袋)と干し肉、それに少し萎びたリンゴを取り出すと、クリスが目を丸くした。


 「お前……あんな修羅場の中で、よくこれだけのものを持ち出せたな。」

 「営業マンの基本だよ。外出先で何があるかわからないから、予備の資料……じゃなくて、食料は常に持ち歩くもんだ。」


 俺は苦笑いしながら、クリスにリンゴを放った。彼女はそれを器用に片手で受け止めると、自分の盾の上に置いた。あの防弾盾は今や、防具であり、テーブルでもあった。


 「ピィちゃんには、これだ。」


 俺が袋から取り出したのは、テッカで買い溜めていた「メガウルフの干し肉(特大)」だ。ピィちゃんは「ピィッ!」と嬉しそうに短く鳴くと、巨大な嘴でそれをひったくるようにして食べ始めた。その姿は、数千人を蹂躙した魔獣の王というより、ただの食いしん坊なペットに見える。


 俺たちは岩陰に腰を下ろし、乾いた肉を噛み締めながら、これからのことを話し合うことにした。


 「……で、これからどうする、テオ。当てもなく荒野を彷徨うわけにもいかないだろう。お前の『運』とやらで、黄金の城でも見つけてくれるなら話は別だが。」


 「そんな都合のいい話、あるわけないだろ。……一応、候補はあるんだ。」


 俺は地面にテッカで買った地図を置いた。


 「テッカから西へ向かえば、王国第二の都市『ファストファルト』があるはずだ。あそこなら規模も大きいし、俺たちの素性を隠して紛れ込むのも難しくない。ギルドの支部もあるし、ピィちゃんの厩舎だって……」


 「………嫌だ。そこだけはダメだ。」


 クリスの声が、氷のように冷たく響いた。俺は驚いて顔を上げた。いつもは俺の提案に「任せる」と答える彼女が、明確な拒絶を示したのだ。彼女の視線は、遠く西の空に向けられていた。その瞳には、かつて俺がテッカで見せたような、深い拒絶と嫌悪の色が混ざっているように見えた。


 「……理由を、聞いてもいいか?」


 聞きかけて、俺は言葉を飲み込んだ。彼女は、俺が前世の地獄を告白した時、何も否定せずに受け止めてくれた。俺の「触れられたくない過去」を、無理に暴こうとはしなかった。なら、俺も同じようにすべきだろう。誰にだって、地図に載せたくない場所の一つや二つ、あるはずだ。


 「……いや、いい。ファストファルトはやめよう。別の場所を探す。」


 俺がそう言うと、クリスは少しだけ驚いたように俺を見つめ、それから小さく「すまない」と呟いて、視線を落とした。


 沈黙が流れる。俺たちはそれぞれの思いを抱えたまま、残りのリンゴをかじった。その静寂を破ったのは、風の音ではなかった。

 

 ククク、クケケケ……。


 岩場の影から、不快な笑い声のような鳴き声が聞こえてくる。俺たちは反射的に立ち上がった。クリスは盾を構え、俺は『村雨の脇差し』の柄に手をかける。


 現れたのは、十数匹の四足歩行の獣だった。体長は一メートルほど。斑模様の汚れた毛並みに、異様に発達した前脚。そして、死肉を貪るために進化したような、厚く逞しい顎。


 「ハイエナ……? いや、少し違うか?」


 前世の知識にあるハイエナに似ているが、その瞳は血走っており、口からは緑色の粘着質な涎が垂れている。


 「なんだ、こいつらは。……私の知る魔物のリストにはないな。この荒野の固有種か?」


 それらに虫眼鏡を向ける。


  【cytctvyctvyftfvygyygbygfrccdexse】

 詳細:rddbfykhhkkhmgemgdxxdewkw


 (なに?虫眼鏡がバグった?こんなこと、一度もなかったはずだぞ!)


 クリスも困惑したように眉を寄せた。謎は俺たちの周囲を円を描くように囲み、じりじりと距離を詰めてくる。その動きは統制されており、弱った獲物を確実に仕留めようとする狩人のそれだった。


 「クリス、やるか?」

 「ああ。だが、この数だと少し面倒……」


 ブゴォッ!!


 俺たちが構えるより先に、俺の「愛鳥」が動いた。ピィちゃんにとって、自分の食事(干し肉)の時間を邪魔されることほど許し難いことはなかったらしい。


 ドォォォン!!


 爆発音。ピィちゃんがその場で一回転するように脚を振り抜くと、正面にいた三匹の「ハイエナらしきもの」が、文字通り肉塊となって消し飛んだ。残った獣たちが驚愕で動きを止めた瞬間、ピィちゃんはさらに踏み込む。

 

 バキィッ! グシャッ!


 それは戦闘というより、害虫駆除に近かった。時速百キロを超える回し蹴りが、獣たちの頭部を、胴体を、面白いように粉砕していく。


 「……ピィ、ピィッ!」


 わずか十数秒後。そこには、かつて獣だったものが点在する、より一層血生臭い荒野だけが残っていた。ピィちゃんは嘴についた汚れを岩で拭うと、「邪魔するな」と言わんばかりに再び干し肉の残りに顔を埋めた。


 「……テオ。お前のペット、私が守る必要ないんじゃないか?」

 「……俺もそう思うよ。むしろ俺たちが守られてる気がする。」


 俺は冷や汗を拭いながら、脇差しを鞘に収めた。

 

 「とりあえず、ここを離れよう。血の匂いに誘われて、もっとヤバいのが来るかもしれない。」


 俺たちは再び移動を開始した。当てもなく、ただピィちゃんの気の向くままに荒野を歩く。

 

 一時間ほど歩いた頃だろうか、地平線の向こうに蜃気楼ではない「人工物」の影が見え始めた。


 「……村か?地図にはこんな村、なかった気がするが。」

 「地図にはない町か。ブラック企業の隠れ蓑にするには絶好のロケーションだな。」

 「またお前の世界の話か?……まあいい。今は屋根と水が優先だ。行ってみよう。」


 テッカのような壮大な城壁はない。あるのは、石と泥を固めて作った粗末な壁と、使い古された布を繋ぎ合わせた天幕の群れだ。だが、その門らしき場所には、数人の男たちが槍を持って立っているのが見えた。


 「運極振りの俺がたどり着いた場所だ。……お宝か、それとも新たなトラブルか。」


 俺はピィちゃんの首を叩き、ゆっくりとその「地図にない町」へと足を進めた。

Thank you for reading!

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