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13話 陰

 城塞都市テッカの朝は、今や「スライム電球」の淡い光に取って代わられつつあるが、太陽の光がそれを打ち消す時間帯こそが、冒険者たちが最も活発に動く刻だ。俺、テオは、漆黒の巨鳥ピィちゃんの背に揺られながら、冒険者ギルドの正面へと来ていた。隣には、栗毛の馬に跨り、相変わらず鈍く光る防弾盾を背負ったクリスがいる。

 

 「さて、昨日のスライムの報酬で、今日は贅沢に肉でも食うか。ピィちゃんの厩舎代も前払いしておきたいしな。」

 「そうだな。お前といると、報酬の桁が一つ……いや、二つは違う。だがテオ、あまり目立ちすぎるのも考えものだぞ。」


 クリスの言葉に、俺は苦笑いを返した。社畜時代、目立ちすぎる平社員は、上司に煙たがられるか、あるいは「便利屋」として過重労働の底なし沼に沈められるのが常だった。異世界に来てまで、その教訓を忘れるつもりはない。


 ギルドの重厚な扉を潜ろうと、俺がピィちゃんの鞍から身を乗り出した、その瞬間だった。


「ブゴォォォォォォッ!!!」


 鼓膜を劈くような咆哮。ピィちゃんが、これまでの従順な姿からは想像もつかない凶暴な眼差しで、俺の足元……正確には地面に伸びる「俺の影」を睨みつけた。


 「ピィちゃん!? どうしたんだ!」

 「テオ、下がれ!」


 彼女は馬から飛び降り、俺の前にあの防弾盾を叩きつけるように構えた。彼女の視線もまた、俺の背後の地面へと固定されている。俺は咄嗟に、腰の「村雨の脇差し」の柄を握った。わけがわからない。だが、この世界に来てから俺の命を繋いできた「運」が、かつてないほど激しい警鐘を鳴らしていた。


 「……そこに、誰かいるのか?」


 俺が声を絞り出した刹那、ピィちゃんが動いた。巨鳥はその鋭利な爪を、俺の影へと突き立てたのだ。コンクリートを砕くような音が響くはずが、聞こえてきたのは「ズブッ」という、肉を抉るような生々しい音だった。


 「ギャッ!?」


 影の中から、悲鳴が上がった。ピィちゃんはそのまま爪を深く潜らせ、俺の影という二次元の闇から、三次元の「実体」を力任せに引きずり出した。


 地面に転がったのは、全身を隙間なく黒い装束で包んだ男だった。その体の一部はまだ影に溶けており、まるで水面から無理やり引き上げられた魚のように、不自然な震えを見せている。これこそが、クリスが感じ取っていた「気配」なのかもしれない。


 「影の中に潜んでいたのか……。お前、何者だ。」


 俺は脇差しを抜き放つ。滴る水が、黒装束の男のマスクを濡らした。男はピィちゃんの爪で肩を深く抉られ、苦悶の表情を浮かべながらも、必死に手を挙げて降参の意を示した。


 「ま、待て……! 私は……監視役だ。命じられていた……だけだ……」

 「誰にだ!」

 「……教会の……マノン様だ。お前の『運』が……あまりに不自然で、危険すぎると……。だから、報告をしろと……」


 男が事情を説明しようと口を開く。マノン。あの慈愛に満ちた微笑みを見せていた神官。彼女が俺を疑い、影に潜る暗殺者を放っていたというのか。男は言葉を続けようとした。「殺すつもりはない」「ただ見ていただけだ」と、命乞いに近い言葉が溢れ出そうとしていた。


 だが、俺の脳内には、男の言い訳よりも先に、前世の記憶がフラッシュバックしていた。信頼していた親友。笑顔の裏で俺を使い潰した会社。


 またか。


 また、誰かが俺を監視し、管理し、都合よく支配しようとしている。この男を生かしておけば、どうなる?ギルドに突き出せば、司法の手が入る?いや、教会の影響力があれば、男はすぐに釈放され、俺は再び「影」を怯えて暮らすことになる。

 

 論理的思考が、感情を置き去りにして結論を導き出した。リスクは、その芽が出る前に摘み取らなければならない。それが、泥沼の不運を脱した俺が決めた「自己防衛」だ。


 「……そうか。お疲れ様。」


 事務的な、あまりに冷淡な声だった。俺自身もこんな声が出るなんて、思ってもいなかった。俺は、男が次の言葉を発する前に、脇差しを振り下ろした。


 村雨の刃は、抵抗もなく男の首を断った。鮮血が噴き出すが、刀身から溢れる清らかな水がそれを一瞬で洗い流し、俺の服に一滴の汚れも残さない。


 「テオ……!?」


 クリスの驚愕の声。地面には、ピクリとも動かなくなった死体。俺はそれを眺めながら、自分でも驚くほど冷静な思考を続けていた。

 

 (……ああ、こんなもんか)


 人を殺したという実感は、意外なほど希薄だった。かつて、不眠不休で働かされた深夜、パソコンのキーボードを叩き壊した時の方が、よっぽど心臓が激しく波打っていた。生きるために邪魔なものを排除した。ただそれだけの、効率的な業務処理に過ぎない。


 「……冷たいのね。まるで、最初からそうすると決めていたみたい。」


 ギルドの影から、凛とした、しかし冷徹な声が響いた。現れたのは、マノンだった。しかし、その背後には、抜き身の剣を構え、全身を重厚な甲冑で包んだ騎士たちが五十人ほど控えている。城塞都市テッカの守備隊だ。


 「マノンさん。……あなたが黒幕でしたか。」


 俺は脇差しの水を払い、彼女を直視した。マノンは悲しげに首を縦に振るが、その瞳には慈愛など一欠片も残っていない。


 「テオさん。あなたは『運がいい』という言葉では片付けられないほど、この街の均衡を乱してしまいました。メガウルフを殺し、希少な素材を無限に持ち込み、挙句にはBランク以上の変異種をペットにする。……その力がテッカのために正しく管理されるなら、あなたは聖者になれたでしょう。でも、あなたは今、私の忠実な部下を、躊躇いもなく殺した。」


 騎士たちが、半円形に展開し、俺とクリス、そしてピィちゃんを包囲する。

 

 「究極の選択を差し上げます。テオ。その強大すぎる力を、永久に私の管理下に置きなさい。教会の地下で、テッカの繁栄のために一生働き続けるか。……あるいは、ここで『テッカの脅威』として処分されるか。どちらかを選んでください。」


 管理。一生。働き続ける。その言葉が、俺の耳の中で「社畜」という言葉に変換された。せっかく転生したんだ。せっかく、運を掴んだんだ。あのカビ臭い四畳半。死ぬために働いていた地獄のような日々。もう、誰かの下で、命令されて生きるなんて真っ平だ。


 「マノンさん。一つ、重大なことを言い忘れていました」


 俺はゆっくりと歩き出す。五十人の騎士が槍の穂先を向けてくるが、不思議と恐怖はない。前世の上司の方がよっぽど怖い。俺の「運」が、俺に勝利への最短ルートを提示していた。


 「監視つけるなら先に言っておいてください。死んどけクソアマ。」


 「……残念です。騎士団、突撃!あの男を殺しなさい!」


 マノンの号令。俺の脇差しからは、すでに濁流のような水が溢れ出していた。

 

 かつての俺は、会社のために、誰かの人生のために死んだ。でも、テオとしての俺は、俺自身のために、コイツを殺すことに決めた。


 「ピィちゃん、悪いが、もうひと仕事だ。俺がこいつを殺して、『会社テッカ』を倒す。」

 「ブゴォッ!」


 俺の目は、慈悲深い神官の皮を被った「上司」の喉元だけを見据えていた。

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