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11話 社畜、駆る

 老店主の仕事は早かった。翌々日の朝、指定された厩舎へ向かうと、そこには誇らしげに胸を張る老人と、見たこともない重厚な革製品が並んでいた。厩舎の冷え切った空気の中に、新調されたばかりの革が放つ独特の野性味のある香りと、磨き上げられた金属の匂いが混じり合っている。


 「完成だ。王家の聖馬に施す装飾技術と、軍用猛獣の制御理論を融合させた、私の最高傑作……名付けて『飛天のスカイ・サドル』だ!」


 ピィちゃんの漆黒の背に装着されたのは、深く腰を沈められるバケットシートのような形状の鞍だった。カソワランドの爆発的な脚力が生む激しい前後運動でも体が浮かないよう、太腿をがっしりと固定するサイドサポートと厚手のベルトが付いている。その造形は機能美の極致でありながら、どこか禍々しさすら感じさせた。老店主の職人魂が、変異種の巨鳥という素材に触発されて暴走した結果なのだろう。


 「これなら、あいつの脚力でも振り落とされることはない。……それと、若造。これを持って行け。先代の蔵を整理していたら出てきた、使い道のわからん『ガラクタ』だ。お前のその奇妙な短剣と同じ、異国の気配がするからな。」


 老人が手渡してきたのは、首周りに巻くための細い鎖の先に付いた、数個の真鍮色の物体だった。店主は「黄金の牙」とか呼んでいたが、俺はそれを見た瞬間、背筋に鋭い悪寒が走った。


 「……これ、45ACP弾じゃないか。」


 指先に伝わる冷たくて重い感触。真鍮の薬莢に包まれたそのフォルムは、かつての日本で嫌というほど資料として眺めた、あの銃弾そのものだった。


 【黄金の牙(未発火)】

 詳細:オーパーツ化した.45ACP弾。


 「使い方……わかるんだよなあ……。」


 前世、漆黒の労働環境から逃避するために没頭した数少ない趣味の一つ、ミリタリー知識が疼く。だが、今は肝心の「銃本体」がない。ただの「非常に危険なアクセサリー」として、とりあえずピィちゃんの首に巻いておくことにした。黒い羽毛に黄金の弾丸が映える。それはお守りというより、いつ爆発するかわからない時限爆弾を首から下げているような気分だった。


 厩舎の外に出ると、朝の柔らかな陽光が石畳を照らしていた。


 「よし、テオ。準備はいいか?」


 クリスが自分の馬(ギルドで安く借りたらしい、落ち着いた栗毛の馬)に跨り、こちらを見ている。彼女の背中には相変わらずあの防弾盾が背負われ、太陽の光を鈍く跳ね返している。馬はピィちゃんの威圧感に怯えているようだが、クリスの卓越した手綱さばきでなんとか平静を保っていた。


 「ああ。……正直、少し怖い。乗馬の経験なんて、社員旅行の牧場でポニーに跨ったのが最後だからな。」

 「社員旅行?」

 「……ああ、何でもないよ。こちらの言葉で言えば『集団旅』みたいなものだと思ってくれ。」

 

 俺は恐る恐る、特注の鞍に足をかけた。ピィちゃんは「ピィッ!」と短く鳴き、俺を歓迎するように背中を丸めてくれる。跨ってみると、視界が異様に高い。二階建ての家の屋根から見下ろしているような感覚に、思わず足がすくんだ。


 「意外と安定感はあるな……。よし、ピィちゃん。ゆっくり歩いてくれ。」


 俺が手綱を軽く引くと、ピィちゃんは従順に一歩を踏み出した。ザッ、ザッ、と力強く地面を噛む音。カソワランド特有の、強靭なバネを内蔵したかのような歩様。一歩の歩幅が馬とは比較にならないほど大きい。……お、いける。案外いけるぞ。


 「ふふ、様になっているじゃないか。では、少し速度を上げよう。今日の依頼は隣町、ブルックの近くにある炭鉱の調査だ。街道を飛ばせば昼前には着く。」


 クリスが馬の腹を蹴り、軽やかに駆け出した。蹄の音がリズミカルに遠ざかっていく。


 「よし! ピィちゃん、追うんだ!」


 それが、すべての間違いだった。


 ピィちゃんにとっての「追う」は、俺の貧弱な想像力が生み出した「駆け足」の定義を、音速で置き去りにするものだった。


 ……ドォン!!


 鼓膜を叩いたのは、空気が爆発したかのような衝撃音。ピィちゃんの強靭な二本脚が石畳を蹴った瞬間、俺の視界から「色」が消え、景色はすべて後方へ流れる無数の光の筋へと変貌した。


 「う、うおおおおおおおおっ!? 痛い痛い! 空気が痛い! 目が乾く!」


 風圧。というより、見えない物理的な壁が顔面に連続で叩きつけられている感覚だ。頬の肉が波打ち、目は強制的に細められ、呼吸をしようと口を開けば、喉の奥まで猛烈な空気の塊が一気に流し込まれて窒息しそうになる。肺が強制的に過給機スーパーチャージャーを突っ込まれたような惨状だ。


 (やばい! 顔が……顔の形がバラバラになる!!)


 特注の鞍と太腿のベルトのおかげで落馬だけは免れているが、剥き出しの上半身は猛烈なG(重力加速度)に晒されている。首が後ろに持っていかれそうになり、俺は必死にピィちゃんの羽毛を掴んだ。ふと横を見ると、全速力で疾走しているはずのクリスの馬が、まるで時が止まった静止画のように、コンマ数秒で視界の端へと消え去っていった。


 「テ、テオーーーー!? 速すぎ……っ!!」


 遥か、絶望的なほど後方から、裏返ったクリスの絶叫が聞こえた気がしたが、それすらも暴力的な風の音にかき消されて判別不能だ。


 (ヘルメット……! 頼む、バイク用のフルフェイスヘルメットを今すぐ召喚してくれ……!!)


 極振りの「運」は、俺に世界最高峰の移動手段を与えてくれたが、同時に「乗り手はただの軟弱な人間である」という物理法則を完全に無視していた。

 

 街道沿いでは、数人の旅人が休憩していたが、彼らが見たのは「漆黒の何か」と、その上で「うわあああ」と情けなく叫びながら引き攣った顔で通り過ぎる若者の姿だった。後に聞いた話では、あまりの残像と轟音に恐れをなした旅人たちが、「未知の魔獣が出現した」とテッカの冒険者ギルドに緊急の調査依頼を叩き込んだらしい。それに対し、受付のミラさんは「ああ、多分それテオさん達ですね。気にしないでください」と、死んだ魚のような目で答えたという。俺たちは一体、ギルド内でどういうカテゴリーに分類され始めているのだろうか。


 数分後。目的地の炭鉱入り口に辿り着いた時、ピィちゃんは汗一つかかぬ涼しい顔で「ピィ♪」と愛らしく鳴いて停止した。一方の俺は、鞍の上で全身の力を失い、白目を剥いて固まっていた。


 「……テオ! 大丈夫か!?」


 それから数分(いや、体感では数時間)遅れてクリスが肩で息をしながら駆けつけてきた。俺は震える手で自分の鼻や耳がもげていないか確認し、顔の輪郭が存続していることを確信してから、地面に崩れ落ちた。


 「クリス……次からは、ゴーグルとヘルメット……いや、フルプレートの兜かグレートヘルムを買うよ。金ならある……。命が足りない……。」


 運がいいのも考えものだ。このままでは、クエストの目的地に着く前に、俺の顔面の皮膚がすべて耐えきれずに「定時退社(剥離)」してしまいそうだった。


 周囲の風景は、テッカの賑わいとは対照的に、荒涼とした岩肌が露出する山岳地帯へと変わっていた。炭鉱の入り口は巨大な口を開けた怪物のようで、そこからは冷たく湿った風が絶えず吹き出している。


 「さて……。クリス、顔は痛いが仕事は別だ。この炭鉱、中に『何か』いるんだろう?」


 俺は震える足に鞭を打って立ち上がり、腰の『村雨の脇差し』を握り直した。手に力が全く入っていないのを感じる。運が極振りなら、この暗闇の先にあるのは目も眩むようなお宝か。それとも、さらに過酷な「サービス残業」という名の死闘か。

Thank you for reading!

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