あなたの定義
三限の授業が休講になった。
研究室へ立ち寄ろうとも思ったが、午前中にやることは済ませてあった。教授へは「お疲れ様でした」とすがすがしい顔で挨拶してしまったし、彼もなんだか、私が帰ってから一息ついているように思えた。誇大妄想と信じたいが、自分への不信はもう十分だ。
私が所属している研究室は理論系なので、正味、わざわざ大学でやることは少ないのだ。それでいて、家に帰ったとて、私の背は気づけば布団に縛られている。視線はユーチューブのとりこだ。
……そんなわけで、大学の図書館が一番の居場所となっていた。この日も足早に向かっては、本棚の横に並んだ机に座り、ノートパソコンと睨めっこしていた。
その最中、何の取り留めもなしに、ある言葉が浮かんだ。
『実験は理論の母であり、理論は実験の父である』。
誰の言葉だったっけか。教授が「昔どこかで聞いた」と得意げに言っていた気もする。多分、彼の中でこねくりまわされた言い回しなのだろう。
では、私が取り組んでいる論文も、生産性のある優れた代物なのか。もちろん、そんなわけがない。Wordへ打ち込まれるのは、母親から何一つ学ばぬバカ息子であり、なんの実験も産むことなく、シュレッダーの中で孤独死するのだろう。
されど卒業のためには、いかなる紙くずであろうと、大学へ提出せねばならない。そんなわけで私は、足りない脳みそを懸命にひねり、足りない知恵で出来た文章を、日々生産し続けていた。
当然、飽きる。
休講のせいで時間は山ほどあった。私は大きく背伸びをした後、しばし天井のシミを数えてから、何の気なしに立ち上がった。特に目的地はなかった。ただ、本棚に並ぶ無数の文字たちを、何かの絵画のように思いながら見つめていた。
……さすがに阿呆らしい。
すると、通りすがった女学生が、ちらりと怪訝な目を向けてきた。私は、顔に浮かんだ熱に急かされ、とっさに一冊の本を取ってしまった。「ほら、これを探してたんですよ」。そう言わんばかりに彼女の方を見たが、すでに背中は遠く映っていた。
今さら戻してしまえば、それこそ動機の後付けが目立つように思えて、仕方なく、その本を連れて席へと戻った。
何げなくページを開くと、紙は思いのほか黄ばんでいた。表紙のデザインからして古典の類かと思ったが、どうやら量子物理の入門書らしい。図らずも、今の私が最も手を伸ばしたくない本であった。だが、こうして膝に載せてしまった以上、読まないという選択肢は、あたかも債務不履行のように感じられた。
ぱらり、ぱらりとめくっていく。
幸いなことに――そもそも不安感を抱いていたのがおかしいが――おおむねの内容は理解できていた。研究室でやっていた読み合わせが、思いのほか功を奏していたらしい。あれはまあ、「合わせ」ではなく、一方的な言葉の伝播だった。先輩と参考書を読んで、議論し、問題を解く……後半の二つはもはや、彼らからの指導に頼り切りであった。
そうして、人間の集中力の限界までは読み進めた。おおよそ三十分弱である。人間未満の私にしては頑張った方だろう。それでもまだ、入門書の半分も読み切れていなかった。こう見ると、量子物理の敷居が高いように思えるが――結局は私たちが生きる世界の原理なのだ。本を戻すことは、世界から目を逸らしてしまうのと同義に思えた。
だから、ページを閉じる行為は「小休止」ということにしておいた。ひとまず、これまでに読んだ内容を振り返ろうと思ったのである。研究からの逃避という可能性は、頭の隅に縛って置いておいた。
……あの本には、何度か印象的な問いが出てきた。一言一句は再現できやしないので、大方の要約である。
『「量子物理とは何か」と聞いたとき、人によって三者三様の答えが返ってくる。』
ある人は「不確定性原理こそが鍵だ」と言うだろう。
ある化学者は「運動量を -iħ∂/∂x に置換することだ」と言うだろう。
ある物理屋は「正準交換関係の成立が叶うものだ」と言うだろう。
そこで私は、重大な問いを突きつけられているように思えた。
『では、あなたの定義は?』
……言葉に詰まるほかなかった。
私は大学がこしらえた体系に則り、先輩方の知恵も授かって、量子物理を学んできたはずだった。個々の原理、性質、計算式は、なんとか思い浮かべることはできる。
では、その中で何が「核」なのか。あなたが目にしてきた大河の中で、どれが本流で、何が支流で、どこが湧水点なのか。 一体量子物理は、この先どこへ向かっていくのか? あなたはその大河を眺めているだけで、何がしたいんだ。むしろ、「あなたこそ」、どこへ辿り着こうとしているのか?
問いかけを前に、しばらく指先を宙に漂わせたまま、固まっていた。机に落ちた埃がふわりと揺れていた。静寂の中で、キーボードを叩く微かな音だけが、砂時計の砂のように時間を区切っていた。
紙面の問いは、あくまで著者が用意した「呼び水」にすぎないのだろう。けれど、こちらが勝手に深読みする自由までは奪えない。まして、私のように研究テーマさえ曖昧なまま、キャンパスを彷徨っている者にとっては、少々刺激が強すぎた。
……私って何がしたいんだ。
なぜここにいる。
それらの問いと向き合うのは無意味に思えた。答えは、もう嫌になるほど分かっている。「流れ」に身を任せて生きてきた結果が、今だからだ。大学も第一志望でないし、学部なんてどこでも良かったし、研究室はハズレくじで決まったのだ。
「なっさけねえなあ」
私は思わずぼやいてしまった。喉から絞り出すような、小さな言葉であった。ふと横を見れば、さっきの女学生が本棚の前にいて、何かの本を探しているようだった。どうやら私のセリフを聞いたみたいだが、その事実をひた隠しにしたがっているようだった。
今さら顔を赤くしても、もう彼女の中では「そういう人」なのだ。ならば、何を恥じる必要があるんだ。そう思っても、否応なしに熱っぽさを感じてしまうのだった。
――研究も同じだな。
心中で、嫌に冷静な私がつぶやいていた。
「流されて」今がある、それがどうした。どんな過去があろうと、遂行すべき課題の山は消えない。辛いならば、逃げ出したいならば、常にそうするべきというわけじゃない。その先には、選択に応じた未来があるだけだ。
でも、それでも苦しさはある。針のむしろに身を置くような日々だが、別に枷が付けられている訳じゃない。だからこそ、全ては自己責任になってしまう。
……こんな自分が、強いて「何がしたい」と言えば、「最悪の未来は避けたい」だけなのだ。それだけで、今は精一杯に生きているんだ。
じゃあ一旦、私にとっての量子物理はこうしよう。
『「量子物理とは何か」と聞いたとき、私は「曖昧なままでも進めと言ってくる学問だ」と答える。』
著者や協力者に聞かれたら、ひどくガッカリさせてしまうかもしれない。でも、まあ、一学生の身分なんだ。シュレーディンガーのような若き天才でもない。呆れ顔くらいで許して欲しい。
そうして私は、女学生と彼らから顔を隠すようにして、足早に本を持っていった。普段は閲覧だけで済ますが……珍しく、借りてやろうじゃないか。
今日は家でも、なんだか研究が進みそうな気がしていた。




