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XⅤ:嫉妬

 

 中央都市(セントラル)を形成する社会基盤施設(ソサイエティ)の中には、多くの顔が存在する。集結協和都市(クラスター)を行き交うすべての人間には個体識別用集積回路(IDチップ)が埋め込まれ、人口管理塔プリフロンタル・コーテックス人工知能(AI)によって、平等に統括管理が為されているが、その管理が“架空の”組織Quark(クォーク)地下巣本部(ケイヴ)に通じている者も少なくない。この徹底した管理社会のあらゆる顔に堂々と潜み、その繋がりの全貌すら明らかではない亡霊のような“彼ら”の存在は、彷徨さまよえる獣たちとも、夜の蜂とも囁かれる。夜行性の“彼ら”が、まだ陽の高いうちに社会基盤施設(ソサイエティ)彷徨(うろつ)くと、時にすれ違う雑踏の中から、或いは顔を突き合わせたその瞬間、はたと驚いたように立ち止まる視線がある。潔癖な鉢に植った人工植物(アーネシスプランツ)越しに、それとなく顔を確かめ血生臭い記憶を(さかのぼ)るも、これと言って思い当たる節はないのだが、もしかするとそれは“元の世界で生きる”道を選んだ、かつての幼き者たちなのかと疑念が()ぎる。万が一、Quark(クォーク)にとって危険因子となる選択を取れば、個体識別用集積回路(IDチップ)の制御装置が小脳付近で自動的に作動するか、もしくはこの場で止むを得ない選択を迫られる。しかし、近づくわけでもなく、声を掛けるでもなく、大抵は何事もなかったかのように視線は日常の中へと戻るのだ。


男は、首を掻く振りをして耳元まで上げていた手を、自然に白いカウンターの上へと戻した。その微細な空気の変化など意に介さず、着々と目の前で手を動かしていた受付の人造人間(ホムンクルス)が“診断結果を送信しました。本日はこれで終了です”と、朗らかな機械音で告げた。いつものように口の端に気のない愛想笑いを浮かべ、差し出された直感通信端末(ICD)をその硬い手から受け取るも、人造人間(ホムンクルス)は中身を抜き取られた手の形のまま、笑顔までもが硬直し、一切の反応がなくなった。不審な違和感を残して帰るに帰れず、(わずら)わしいながらも、硝子玉(がらすだま)の瞳を覗き込み、瞳孔のカメラに映る角度を変えてみたりしていると、不意に、まさか、と直感した。


「 ─── どうも」

“お気をつけてお帰りください、ルイス・フェニックスさま”


人造人間(ホムンクルス)は待ちかねたように晴々と応え、律儀に手を揃えて会釈で見送り、(ようや)くひとつのプログラムを終えた。男は突然裸にされたような居心地の悪さに見舞われ、紅いジャケットの襟を立て、辺りの人目を忍んで、そそくさと医療機関(カミーユ)を後にした。




「嫉妬ね」


マリー・マイトナーの音声データを分析し終えた女医は、こともなげに言いきった。集中するためにデスク(わき)に伏せておいた直感通信端末(ICD)を手に取り、視線でスクリーンを開くと、受信通知の最上段に“診断結果”の自動転送データが表示されている。少し躊躇(ためら)ったものの詳細を見ることはな く、カレンドラは足を揃えて椅子ごとくるりと振り向き、眼鏡を外して折り畳んだ。


「嫉妬が彼らを壊したの。でも、キースだけは特別だった。だから、また壊そうとしたのよ。無意識にね」

「無意識の、嫉妬か・・・」

「小さいままなら子どもの喧嘩だけど、大きくなれば戦争にもなる 。嫉妬はあなたが思っているより恐いものよ。身に覚えがあるでしょう?」


眉間に(しわ)を寄せて思案していたところに、見透かすような深い橄欖石(ペリドット)の瞳を向けられ、思わず逃げるように目を逸らした。そして、男が一生を懸けて探求しても辿り着けそうにないその思考の深さに、決して手の届かない孤高さを痛感し、多くは理解されないであろうその孤独さを想像した。


「ちなみに、今のは貸しよ」


女医は、赤い口紅を引いた形の良い唇で悪戯(いたずら)に微笑んだ。つられて曖昧な笑みを返しながら新たな謎かけに頭を捻っていると、窓の向こうから豊かな黒髪を綿毛のようにふさふさと揺らして近づく人影がある。目が合うと、カサブランカは硝子(ガラス)越しに陽気な笑顔を見せた。湯気の立つ黒いタンブラーと白いマグカップをそれぞれ手にしている。


「気が利くな」


出入口の壁に寄り掛かっていた男は、顎をしゃくって挨拶を交わした。


「久しぶりね、ジャッカル。難しい顔して、何話してたの?」

「さあな、俺にはさっぱりな心理学の授学(エチュード)だ」


(かぐわ)しい薫りに惹かれて男が自然に手を延ばすと、立ち上がっていたカレンドラがさっと割り込み、カサブランカの手からコーヒーを二つとも奪い取った。


「いつもありがとう、ブランカ」


口惜しそうに湯気を追うジャッカルに笑いを(こら)えきれず、カサブランカは白い歯を見せてカレンドラにウインクを飛ばすと、やんちゃな笑顔を残して颯爽と持ち場へ戻っていった。


「あら妬いてるの?まだ治療中でしょ」


どうせ、カレンドラのことだ。暇とあらばコーヒーカップを持ち歩く、療養とは名ばかりの食生活まで見抜かれているに違いない。明け透けに肩を(すく)めてみせる男を尻目に、席に戻った女医はタンブラーをひとつデスクに置いた。そして、あたたかいマグカップをこれ見よがしに口元に運び、まろやかな舌触りと、深い森のようなほろ苦さに満足すると、ほっこりとひと息ついた。


「それからこれ、ラブレターよ。サーペントから、あなたに」


女医はふと思い立ち、直感通信端末(ICD)をさっと操作して、追い討ちを掛けるようにデータを送信すると、両手でマグカップを包んで脚を伸ばし、少し椅子を回して何食わぬ顔で窓の外を眺めはじめた。硝子(ガラス)張りの作業用個室(ステム・セル)と機材が蜂の巣のように並ぶ、幾何学的で美しい地下巣本部(ケイヴ)のいつもの風景だ。ジャッカルは渋々手元で受信したデータを開き、スカベンジャーズ(掃除屋)からの小言が詰まっているに違いないサーペントの音声データを無視し、文字情報だけに軽く目を通した。獲物(クァリー)の散骨処理は完了。終末医療病棟(ホスピス)の修復と痕跡の払拭(ふっしょく)は困難と判断され、修繕と運営はすべて地上巣本部(ハイヴ)が引き継ぐこととなった、とある。その下の“至急対応されたし”と銘打たれた添付データを開くと、防弾繊維(ケヴラー)製の高級スーツカタログが表示され、スリーピースのスーツと靴についての弁償依頼がつらつらと記載されていた。


 みるみる眉間に皺を掘り込んでいく男の表情をいつものように楽しみながら、カレンドラは少し気重な吐息を漏らした。例に漏れず、ジャッカルの復帰に際して行った適性検査の結果、精神面に|心的外傷後ストレス障害《PTSD》の兆候があったと報告を受けている。“彼ら”全員を見護る保安人事部のヘッドとして、旧き友として、これを見逃すわけには行かない。しかし、これを当人に告げるべきかどうか、葛藤を繰り返す女医を悩ませる情報が、今朝、もう一つ入った。それは、議会(パーラメント)を通した(おおやけ)の対処法では不可能なまでに侵食した、地上都市(フィロス)の存続を脅かす深刻な事案だ。つまり、Quark(我々)が動くしかない。せめて外科治療の診断結果が延びてくれればと切に願ったが、それも虚しく今日で終わった。技能を駆使していくらデータを改竄(かいざん)したとしても、この男の本能はすぐに気づくだろう。いずれこの道を、避けては通れない。


「アヴィス・インフェリス」


ジャッカルは、顔を上げた。凛と澄ました女医を見る目が、次第に険しくなる。その名は誰も口にしないが、知らない者はまずいない。


マリー・マイトナー(彼女)の言っていたことが事実なら、確かめる必要がある」

「 ─── 俺たちが手を出したら均衡が崩れる。地下都市(マリス)相手に喧嘩をふっかけることになるぞ」

「隠してる(おお)いを剥ぐだけよ。ここまで浮上して来た以上、もう目を(つむ)ってはいられないわ」


“ すべては、地下都市(マリス)の言いなり─── ”


地下都市(マリス)だ。セラは、おそらく下にいる”


やはり、見逃してはくれないか ─── 。


ジャッカルは自らの運命を諦観し、眉間を(ゆる)めて項垂(うなだ)れた。気丈さを保っていたカレンドラは、予想に反して沈んでしまった“ジャッカル”のその表情(かお)を見て、わずかに心が振れた。


「“ルイス”もう、あなたの知るひとたちじゃないの」


珍しく見せた女医の同情的な瞳に、ルイスは自嘲を浮かべた。カレンドラは羞恥心から、咄嗟に視線を逸らした。同情はこの男が嫌う最たるものだと理解していながら、つい情に流されてしまったのだ。

言葉が憎い。一度記憶されてしまえば、データのようには取り消せない。

自棄(やけ)を起こしたのか、腹を決めたのか、女医が伏目がちに様子を窺う傍で、ジャッカルは壁に頭を(もた)げ、横柄にも取れる態度で荒くため息を吐いた。


「フェンリルには?」

「 ─── 呉天室(クイン・セル)で、あなたを待ってるわ」


ジャッカルは一度だけ軽く頷くと、壁から背を離し、黙ってカレンドラに背を向けた。常時開放中の出入口を一歩踏み出したとしたところで、仕事中毒(ワーカホリック)を自称する多忙なはずの女医が、また珍しく呼び止めた。


「キース、元気にしてる?」


振り返ると、姿勢を正し膝を揃えて澄ました女医が薄く微笑みかけている。ジャッカルは今朝、食卓に出された未知の料理を思い浮かべ、(とざし)た心がいくらか和んだ。キース本人の希望により、技術開発部へは籍を置くだけとなり、地下巣本部(ケイヴ)へは見学がてら時々遊びに来る程度だ。つまり、キースはここでも“キース”のままだ。


「近頃は料理に夢中だ。あいつにしてみれば科学の実験と同じらしい」


カレンドラは、名残惜しそうに目を細めた。


「あなたが羨ましいわ」


睫毛の長い猫目を少し伏せたその横顔に惹かれながら、またその言葉の意味を探りかけ、男はすぐに打ち切った。かつて、カレンドラが誰も愛さないと心に決めたその理由を、今そこに見たような気がした。


「ねぇ、ルイス」


懐かしい声が後ろ髪を引くように呉天室(クイン・セル)に向かおうとする足を、またも止める。

しかし、もう振り返るつもりはない。


「あのお店、キースにプレゼントしたら?どうせほったらかしにしてるんでしょ?」




 少年が夕食の支度をしていると、突然ルイスのぶっきらぼうな呼び声が聞こえてきた。ヴァルスと顔を見合わせ、手にしていた皿を預けて玄関に向かうと、顔を見るなり「ついて来いよ」と言い放ち、さっさと自分ひとりで出て行った。紅いジャケットのその背中を追って、針葉樹の間を縫い、石畳の上を歩いて行くと、以前“物置”だと教えられた扉の前で、ルイスは何処から取り出したのか、古びた古金色(こきんいろ)の鍵を握ってドアノブを弄っていた。そして何かの手応えを感じると、追いついた少年をニヤリと一瞥し、幾何学的な直線と優雅な曲線で描かれた美しいステンドグラスの扉を開けた。


カランカラン。


見上げると、馬を(かたど)ったドアベルが、待ち侘びていた店主の帰りを悦び揺れていた。


「俺の、宝物だ」


重厚な木製の家具のしっとりとした樹々の薫りに包まれ、少年は眠っていたその“博物館“に言葉を忘れた。蔦が絡まり合う琥珀色(こはくいろ)のランプ、金属と木製が輪を織り成す渾天儀(こんてんぎ)、華やかな流線の屋根を持つ三面の飾り棚には、壁画のような壺や、神話を描いたものらしき食器、動物のシルエットを思わせる抽象的な置物が、美しい余白を置いて並んでいる。右手には深みのある薔薇色(ばらいろ)のカウンターテーブルと、その向かいには宝石のような瓶たちが所狭しと並んでいた。少年は感嘆の吐息を漏らし、目を丸くして、そのひとつひとつに顔を寄せた。肩の高さほどの透かし棚には、いびつ黒鉄くろがねの乗り物や、擦れて燻んだ手彫りのすずの置物たちが座っていて、小さくも愛された記憶を刻んでいるのが見て取れた。

ルイスは満足気にその様子を眺め、まだ残る夕陽の漏れる窓際へと歩み寄った。


「いいだろ」

「これ、全部ルイスが集めたの?」

「どれも誰かの落とし物だ。預かったものもあるが、持ち主はもういない」


その少ししゃがれた渋い声を追って、キースは吸い寄せられるように、まだ見ぬ奥へとついて行く。透かし棚を越えたところには、玉座のようなビロード張りの椅子と、球根が連なったような艶のある低いテーブルが品良く揃えてあった。


ヴァルス(あいつ)は素っ気ないし、俺は忙しくてな、手が回らないんだ」

「どういう意味?」

「ここを、お前に任せる」


ルイスは、横に並んだ少年を見下ろして、そばかすの目立つあどけない顔を沁み入るように眺めた。夕暮れが誘う郷愁にしばらくの間浸っていたが、やがて別れを告げ、ニヤリと片頬を持ち上げた。その感慨に満ちた、あたたかな天色(あまいろ)の微笑みに、少年の胸の奥から悦びがみるみる(あふ)れてくる。黒い瞳を潤ませながら、美しいジャカード織の重たいカーテンを開けた。橙色(だいだいいろ)の斜光に、夕陽が融け込んだ男の横顔が照らされる。その横顔はふと、空を見上げて腕を伸ばした。


「いいか、ここを押さえて、こうやって開けるんだ」


身に染みた手順通り、カーテンの中央を押さえて両端を(たゆ)ませ、太く光沢のあるタッセルで留め、形を整ええた。その出来栄えを自慢気に振り向くと、何かがきらりと(きらめ)いた。見ると、キースの左耳に小さな“飾り”が光っている。


「そんなもの、してたか?」

「カレンがくれたんだよ」


無邪気に微笑む少年の顔もおぼろげに、ルイスは、疲れ果てたあの永い、永い一日に思いを馳せた。

あれは夢の記憶か、それとも生死の境を漂っていたのか。検査と治療が(ようや)く終わり、麻酔の曖昧な波打ち際に横たわっていた男の耳元で無線が鳴った。無意識に右手が上がり、感覚のない指先が耳に触れると、名乗ることもなく言葉が流れてくる。その何処か懐かしい、穏やかで知的な低い声に意識を呼び戻し、薄らと目を開けた。導かれるままに頭を傾けると、硝子がらす張りの個室が鏡のように映っていた。同じように横たわる、傷つき疲れ果てた少年の枕元に、白衣の女性が顔を寄せ、頭を撫でながら、愛おしく寄り添っている。




「不安になったら、いいえ、どんな時でもいい、いつでも声をかけて。必ず“応え”が聞こえるわ。あなたが生きているかぎり、絶対に、私たちはあなたを見捨てない。見えなくても繋がっているの。私たちはいつも、あなたの傍で見護ってるわ」




「ルイス、見て」


その声に気がつくと、あの少年の顔がある。すぐ目の前に手を持ち上げて、無邪気に瞳を輝かせて、その反応を待っていた。せがまれるままに少し屈んで眼を凝らすと、艶のない黒いイヤーカフの中で極小さなランプが光っていた。


振動充電(ウェィヴチャージ)式に改造したんだ。そうすれば心配しなくていいでしょ?」


呆れた男は、救い求めて目が合った黒猫の置物相手に、独りおどけてみせた。


「お前にこの店は、まだ早すぎたな」


少年は、期待外れにため息をついた男を不思議そうに見上げた。


支配と紛争を捨てた平和を象徴する都市に生きながら、歩んで来た道を疑わない夜はない。

それでも、いつかは偏狂と嗤われた、この大切なガラクタたちが、誰かに愛され、その絶望を悦びに変えて受け継いでくれるのなら、この道は確かに間違ってはいなかったのだと、あの日を生きた自分に、少しは誇らしく告げてやっても良いのかも知れない。


その力強く、憂いを帯びた瞳の向く先には、人知れず歯車を廻し、重い振り子を揺らし続ける大時計が、今も静かに佇んでいた。

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