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境界線の向こう側

 4月1日、それは突然始まった。ある朝、世界中の人間から「男」と「女」の生物学的境界が消えた。原因は謎のナノ技術だと後で知ったが、その日は誰もそんなことまで考えられなかった。


 鏡を見ても違いはなく、声も体型も、すべてが中性的で曖昧な「何か」に変わっていた。人々は最初、驚きと好奇心でざわめいたが、すぐに日常生活がそれを飲み込んだ。服屋は混乱し、スポーツ大会はルールを見直し始めた。


 ただ、一つだけ、どうしても解決しない問題があった。トイレだ。


 駅の公衆トイレの前で、サラリーマンも学生も、主婦らしき人も、全員が立ち尽くしていた。左右に並ぶ「男性用」「女性用」の看板は、ただの飾り物と化していた。「どっちに入ればいいんだ?」誰かが呟くと、隣の人が「そもそも『どっち』って何だ?」と返した。


 笑いもののはずが、誰も笑わなかった。列は伸び、誰も動かず、膀胱が限界を迎えた者だけが覚悟を決めて右のドアに突入した。すると、左にいた別の誰かが「いや、俺は左だ!」と叫び、まるで戦争のような押し合いが始まった。


 混乱の中、一人の老人が静かに言った。「昔は性別なんてなかった時代もあるって、歴史で読んだよ」。周りが「何?」と聞き返すと、彼は続けた。「人類がまだ単細胞だった頃さ。分裂するだけだった。あの頃に戻っただけかもな」。


 その言葉に、誰もが黙り込んだ。トイレの前で立ち尽くす人々の顔に、妙な納得と諦めが浮かんだ。


 結局、その日からトイレの看板はすべて撤去された。新しい法律では「個室ならどれでも可」と定まり、人々は慣れていった。でも、誰かがふと言った。「体の境界は消えても、心の中じゃまだ『右か左か』って迷ってるんだな」。


 隣の人は笑って答えた。「次は心までナノマシンで消すのかもね」。その冗談に、誰もが少しだけ背筋を冷やした。

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