(4)余計なお世話
「マグダレーナ嬢。勉強を教えて貰いたいのだが」
授業の合間の休憩時間に、マグダレーナはディグレスから唐突に声をかけられた。驚いたのも束の間、彼女は真顔になって確認を入れる。
「……それは構いませんが、女生徒に教えて貰うことに対して、色々と思うところはないのでしょうか?」
「あったら、そもそも声をかけない」
「そうですわね……。それでは今日の放課後でしたら時間が空いておりますけど。自習室でどうですか?」
「構わない。よろしく頼む」
「因みに、内容は?」
「数学の、今度の小テスト範囲だ」
「ああ、なるほど。確かに少し難しそうですよね」
「君にとっては、さほど難しくはあるまい」
「そこまで余裕というわけではありませんが」
そんなやり取りをしているところで、他の声が割り込んできた。
「あ、なんか今、今度の数学の小テスト範囲がどうとか聞こえたんだが。ディグレス、お前彼女に教えて貰うのか? 黙って抜け駆けするなよ。そういうわけだから、俺にも教えてくれないかな?」
何がそういうわけなのだと思わないでもなかったが、イムランだけ拒否するのも面倒だと考えたマグダレーナは、淡々とした口調で了承する。
「真面目に学ぶつもりがあるなら、拒否などいたしません。どうぞご自由に」
「あれ? 何だか、俺には当たりが強くないかな?」
「気のせいです」
胡散臭い笑顔にマグダレーナは素っ気なく応じ、そこで一旦話は終わりになった。
※※※
放課後になり、三人は揃って自習室に移動した。
机を囲んだ後、マグダレーナは懇切丁寧に向かい側に座る二人に対し、試験範囲の内容を解説し始める。一通りの説明を済ませてから例題などを出してみて二人の理解度を確認しつつ、マグダレーナは難易度を高めた問題なども提示して指導を進めてみた。
「これで、授業中に提示された問題の解き直しは終わりましたし、応用問題も一通り解いて貰いましたので、後はこれを何回か繰り返して頭に入れていただければ良いかと。自力でやってみて分からなければ、また声をかけてください。分かるまで再度教えますので」
そう話を締めくくったマグダレーナに、ディグレスとイムランは素直に感謝の言葉を口にした。
「ありがとう。やってみる」
「意外に面倒見が良いんだね。助かったよ」
「『意外に』は一言余計です」
「おや、口が滑った」
それまで屈託のない笑顔を向けていたイムランが、ここで若干意地が悪そうな顔つきになって言葉を継いだ。
「ところで……、最近マグダレーナ嬢に関して、面白い噂を耳にしたんだが」
「あら、どんなお話でしょう?」
「どうやら君には、廊下に佇んで窓越しに木を凝視しながら、傑作な詩を作る嗜みがあるらしいね」
「……偶にはそういう気分になるのを否定しませんわ」
含み笑いのイムランから微妙に視線を逸らしつつ、マグダレーナは素っ気なく言葉を返した。すると今度は、ディグレスが真顔で意見を述べてくる。
「私も聞いている。庭園で絵画を描くそうだが、そこは公共の空間だ。視界に入り込んだ生徒を邪魔だと叱責して、追い払うのは筋違いだと思うが」
「そうですわね……。あの時は筆が乗っておりましたので、つい声を荒らげてしまいました。反省しております」
さすがに神妙な顔つきで反省の言葉を述べたマグダレーナだったが、彼らの追及は更に続いた。
「寮の自室で手芸もするようだけど、どうして講義棟の廊下で大量のビーズをぶちまけることになるのかな?」
ニヤニヤと笑いながら促してくるイムランに、マグダレーナは本気で苛ついてきた。しかし何とか怒りを抑え込みつつ、苦し紛れの嘘八百を口にする。
「あれは……、通常であれば屋敷からの荷物は寮の管理室に届けられるはずが、何かの手違いでそれだけ管理棟の受付に留め置かれていたのです。それで引き取り依頼の連絡が来たので、放課後にそこで受け取りました。それから寮に持ち帰る途中で忘れ物を思い出して講義棟に戻ったのですが、その時にうっかり人とぶつかって取り落としてしまいまして。その時、偶々入れていた布袋を縛っていた紐が緩んでいたものですから。ですからあれは、様々な偶然が重なった上での不幸な事故ですわ」
「……不幸な事故」
「事故です」
何か言いたげな顔のディグレスに向かって、マグダレーナは語気強く断言してみせた。しかしイムランが、容赦なく問いを重ねてくる。
「それから馬房付近の踏み固められた地面の石がどのような光沢を放つかを考察するとか、洗濯した衣類が乾く過程での生地の変化を観察するとか、他にも幾つか耳にしているが。どうも君はかなり偏屈、いや個性的な性格で、変なこだわりの持ち主らしいと噂になっているようだ。それに関しての感想は?」
「もうどうでも良いのではありません? 私の評判がどうなろうと、お二方には微塵も関係ございませんよね?」
半ば本気で腹を立てつつ、マグダレーナはイムランとディグレスを睨めつけた。それを受けて、彼らは顔を見合わせてから苦笑しながら告げてくる。
「本来ならそうなのだが……、君が予期せずこちらの視界に入って来るのでね」
「色々と気になってしまってね。エルネスト殿下の動向とか。殿下の割と近くに君がいるとか」
そこでマグダレーナは、彼らが言いたいことを正確に理解した。
(ああ、なるほど。この間、自分の周囲には気を配って尾行などは警戒していたけど、殿下の方をこの二人が探っていれば、その近くを私がうろうろしているのも把握できるわけよね。その辺りをすっかり失念していたわ)
自分が頻繁にエルネストの周辺にいるのを把握した上で、それを口外せずに自分と接触してきたのだろうと察した彼女は、冷静に尋ね返す。
「それで? お二人とも、何を仰りたいのかしら?」
すると彼らは再度一瞬顔を見合わせてからマグダレーナに向き直り、しみじみとした口調で告げてくる。
「隠蔽工作に苦労しているな」
「陰ながら応援している」
「人の神経を逆撫でする台詞を、面と向かって口にしないでいただけますか?」
両手で拳を握りしめたマグダレーナは、なんとか怒りをやり過ごして話を進めることにした。




