(3)捨て身の裏工作
放課後にマグダレーナが一人で廊下を歩いていると、前方から歩いてきたレベッカを認めた。そのまま笑みを深めながら足を進め、至近距離まで近づいたところで足を止める。
「レベッカさん、こんにちは。官吏科の雰囲気はどうかしら?」
「マグダレーナ様。なかなか大変ですよ。周りに付いていくのがやっとですね」
「あら、そんなことはないでしょう。去年も官吏科志望の生徒の中では、学年で平均以上の位置にいましたし」
「いえ、油断しているとすぐ順位が下がりそうですから」
笑顔でそんな他愛もない話をしながら周囲の様子を伺ったレベッカは、特に自分達を注視している者がいないのを確認してから、ノートの間に挟んでいた用紙をさりげなく引き出した。
「ところで、これが例の物です。グレンからノートの貸し借りに紛れてやり取りする時、もの凄く物言いたげな顔をされましたよ。一体、殿下は彼に、どんな話をしたんでしょうね。周囲の目があるので、詳しくは聞けませんでしたが」
素早く用紙を受け取ってノートの間に紛れ込ませたマグダレーナは、苦笑しながら礼を述べる。
「ありがとう。これからも、それなりに受け渡しがあるかと思うわ。よろしくお願いします」
「分かりました。今後もあの部屋で会う以外にも、世間話をしたり、試験に向けての勉強を一緒にする感じでご一緒しましょう。貴族科に進級されても、学年トップを譲る気などありませんよね?」
「ええ。勿論、試験には毎回全力で取り組むつもりですから」
「いつまでもマグダレーナ様に学年一位を押さえられたままだと官吏科の面子が丸潰だと、皆も気合いが入っていますので覚悟していてください」
「まあ、怖い」
そこで笑い合って、マグダレーナはレベッカと別れた。そのまま寮の自室に戻ったマグダレーナは、受け取ったばかりの用紙を取り出して広げてみる。
(さてと……、どんな予定になっているのかしら。こっそり後をつけなくても良くなったのは助かるけど……)
そこでかなり書き込まれている内容に目を落とした彼女は、無意識に溜め息を吐いた。
(思っていたより盛りだくさんだわ……。意外な交友関係の広さに目眩がするわね。まあ、連日と言うわけではないし、週に一、二回程度であればまだ許容範囲内だけど)
自分を納得させながらその内容を頭に叩き込んだマグダレーナは、念のためにスケジュールを控えておく箇所にその内容を転記し始めた。
※※※
放課後に予定通りエルネストが印刷室に出向いたのを確認したマグダレーナは、その直後からドアの前で佇んでいた。
(全く……。人の気も知らないで、呑気なものだわ)
室内で和気藹々と作業に勤しんでいるであろうエルネストを想像しながら、マグダレーナは廊下の窓から外を眺める。そうしているうちにある程度の時間が経過したが、ここで廊下の奥から一人の生徒が自分の方に向かって来るのを認めた。
(あら、そろそろ終わりそうなのに。書類を持っているし、どこかの教授に頼まれたのかしら。仕方がないわね……)
マグダレーナが頭の中で段取りを考えているうちに、その生徒はどんどん近づいてきた。そして印刷室のドアの前で仁王立ちになっている彼女に、困惑顔で声をかけてくる。
「ええと……、マグダレーナ嬢? こんな所で、何をなさっておいでなのですか?」
そこでマグダレーナは、廊下の窓から彼に視線を向けて言葉を返した。
「確か、キルヴィー伯爵家のデニアス様ですわね。ごきげんよう」
「はぁ……、名前を覚えていただいて光栄です。あの……、それでマグダレーナ嬢は、こんな所で何をされているのですか?」
その問いかけに、マグダレーナは真顔で問い返す。
「見てお分かりになりません?」
「……申し訳ありません」
「詩を作っております」
「はい?」
戸惑いを隠しきれない彼から窓の外に視線を戻したマグダレーナは、視線の先を指さしながら説明しようとした。
「あそこの窓から木立が見えますでしょう? 一番手前の枝振りが良い木ですが、こちら側の枝の先に付いている葉に鳥が嘴で、あぁあぁぁぁ――っ!!」
「どっ、どうかしたのですか!?」
いきなり叫び声を上げたマグダレーナに、度肝を抜かれたデニアスが焦って尋ねた。そんな彼に向かって、彼女が非難の声を上げる。
「鳥が嘴で葉をつついて戯れていたのをずっと眺めておりましたのに、あなたが話しかけてきた間に、鳥が葉を落として飛び去ってしまったではありませんか!! あの愛らしい風情と、葉が落ちる瞬間の儚さ、その両方を余すところなく表現できる世紀の傑作が、もう少しでこの世に生み出せそうでしたのに!! この膨大な損失をどうしてくれますの!?」
「いえ、あの……、どうしてくれると言われても……」
「もうよろしいですわ! 興が削がれました! 失礼します!」
怒り狂うといった表現がピッタリなマグダレーナは、一方的に言うだけ言って憤然としてその場を離れた。
「……一体、何だったんだ?」
呆然と彼女を見送ったデニアスは、少ししてから気を取り直して印刷室のドアをノックする。
「失礼します。ユーリアス教授から頼まれた、講義資料の印刷をお願いします」
その呼びかけに、ドルツは作業台から手を放さないまま、入り口近くに設置してある机の上を指さしながら応じる。
「ああ、そこのリストに依頼者名と題名、印刷枚数を書いて、原稿には左上にリストの番号を書いておいてくれ。そしてそこの箱に原稿を入れておいてくれれば、順番に印刷して教授室に届けるから」
「分かりました」
指示通り処理を済ませたデニアスは、原稿の束を箱に入れて声をかけた。
「それではよろしくお願いします」
「ああ。ご苦労さん」
そしてデニアスが元通りドアを閉めて廊下に姿を消してから、ドルツが机の下に声をかける。
「行ったぜ、エルネスト」
「ぶっふぁっ! 詩作って……、傑作……、ぐふっ……」
ドルツが声をかけた瞬間、机の下に潜り込んで姿を隠していたエルネストは、椅子の座面に突っ伏したまま押し殺した笑い声を漏らし始めた。警告のためわざと揉めたマグダレーナの叫びは、室内にいるエルネスト達に当然聞こえており、彼は先程から必至に笑いを堪えていたのだった。
「あのお嬢さん、生真面目なのが災いして、苦労してるよなぁ……」
お腹を抱えながら爆笑したいのを必死に堪えているエルネストを見下ろしたドルツは、マグダレーナに対して憐憫の情を覚えていた。




