(30)一日の長
そのまま少しの間ディグレスの行動を観察してみたマグダレーナは、思わず溜め息を吐いた。
(それにしても、動きがぎこちないというか……。立場が立場だし、これまで他人を尾行するような真似は皆無だったでしょうね。入学してからそれなりに場数を踏んだ私から見ると今にも殿下に気付かれそうで、見ているこちらが不安になるわ)
あまり他人に対して誇れない内容を考えながら、マグダレーナは密かに彼の後を付いて行った。するとエルネストが厩舎の中に入っていたのを見届けたディグレスが、そこから少し離れた樹で身体を隠すようにして動きを止める。そんな彼の背後に音も無く近寄ったマグダレーナは、その耳元で囁いた。
「ディグレス様、ごきげんよう」
「……っ!?」
「こんな所で奇遇ですわね」
「……って、なんっ!?」
「はいはい、大声で叫ばなくて正解ですわ。下手をすると厩舎まで響いて、殿下に気付かれますから。それは避けたいですわね?」
「…………」
呑気にマグダレーナが声をかけた瞬間、完全に不意を衝かれたディグレスは、勢いよく背後を振り向いた。そして叫び声を上げようとした口を、自分の手で反射的に塞ぐ。そんな彼を宥めるように、マグダレーナは言い聞かせた。
そのまま十数秒無言で見つめ合ってから、彼女は落ち着き払って声をかける。
「落ち着かれました?」
その問いかけに、ディグレスは何回か深呼吸してからいつもの口調で応じた。
「ええ、何とか。人が悪いにも程がありますよ」
「その自覚はあります。申し訳ありませんでした」
「ところで、マグダレーナ嬢はどうしてこちらに?」
ここで彼が、探るような視線を向けてくる。それにマグダレーナは、苦笑まじりに告げた。
「こちらの方で静寂を楽しもうと思っていましたら、ディグレス様の背中が見えたもので。つい好奇心で後をつけてしまいましたの」
「それだけですか?」
「そうしましたら、ディグレス様はエルネスト殿下を尾行しておられるみたいでしたので。その慣れない動作を見て、殿下に気付かれはしないかとハラハラしてしまいましたわ」
どこか茶化すような物言いに、ディグレスは憮然としながら謝罪の言葉を口にした。
「……ご心配をおかけして、申し訳ありません」
「あら、気を悪くされました?」
「多少は」
「それで、殿下を観察されていた理由を伺ってもよろしいかしら?」
顔つきを改めてから、マグダレーナは切り込んでみた。すると彼も真顔になり、変に誤魔化したりせずに告げてくる。
「端的に言えば、他の選択肢はないのかと考えまして」
「何の選択肢ですか?」
「白々しいですね。兄妹揃って、わざと社交界の混迷を深められたのに」
舌打ちを堪えるような表情に、マグダレーナは同情するような口調で話を続けた。
「シェーグレン公爵家もなかなか悩みが深そうですわね。それで? エルネスト殿下は、あなたにはどう見えていますの?」
その問いに、ディグレスは幾分悩みながら思うところを口にした。
「そうですね……、とらえどころがない方です。ですが、明確なところもありますよ」
「例えば?」
「あの人は他者の悪口を口にしませんし、他人を妬むような言動も見受けられません」
ディグレスが断言したが、マグダレーナは一応反論してみた。
「単に、育ちが良いだけではありませんか?」
「育ちが良くてもそうではない実例が、確実に二人存在しています」
「確かにそうですわね」
実例を脳裏に思い浮かべたのか、ディグレスが不機嫌そうに述べる。それにマグダレーナは苦笑しながら同意した。そして話を進めてみる。
「どれくらい前から、殿下の観察をされておいでですの?」
「試験期間やその直前は控えていましたが、三週間くらい前からでしょうか」
「なるほど……、それでどう思われます?」
「現時点では、何とも判断しかねます」
「そうでしょうね。もうすぐユージン王子が卒業されますから、その後に公務を任されるようになって陛下の覚えがめでたくなるかもと、ゼクター王子が焦っていらっしゃるのかしら?」
気持ちは分からないでもないわと、マグダレーナは考えを巡らせた。しかしそれに対し、ディグレスは語気強く断言する。
「だからと言って、他人を貶めたり陥れたりして良いと言うことにはなりません」
「……苦労していらっしゃるのね」
その顔つきと声音に、真っ直ぐな気性の彼が普段どれだけ不平不満を溜めているのかと、マグダレーナは思わず同情してしまった。すると彼が、再度声を潜めて問いを発する。
「キャレイド公爵家は中立派だと見なされていますが、そうではないと判断してよろしいですか?」
真摯な面持ちでの問いかけだったが、マグダレーナは薄く笑いながらそれに応じる。
「私はディグレス様の人間性と観察力を、かなり買っておりますのよ? あなたにどう見えているのかは分かりませんが、あなたの判断が正しいと思われますが」
しかしはぐらかすような物言いをされても、ディグレスは気を悪くはしなかった。寧ろ、納得したように深く頷く。
「分かりました。自分の目で判断していきます。『次代に忠誠を誓うのはお前だから、お前が判断しろ』と父にも言われておりますので」
「それでよろしいかと。それではお邪魔なようなので、私はこれで失礼します」
そこでマグダレーナは会釈し、踵を返して歩き出した。背後でディグレスが再び厩舎の様子を窺い始めたのを感じながら、彼女は満足そうに笑う。
(ゼクター殿下も下手を打ったものだわ。なりふり構わず敵を蹴落としたつもりが、味方まで手放す真似をしているなんて)
呆れ気味に軽く首を振りながら、マグダレーナは寮に戻るべく無言で足を進めた。




