(28)愚痴
いよいよ学年末試験が迫ってきた時期。マグダレーナはレベッカと二人で、放課後に図書館の片隅で試験勉強に勤しんでいた。すると机に並んで座っていたレベッカが、怪訝な顔で声をかけてくる。
「マグダレーナ様。難しい顔をして、どうかされたのですか? それほど難しい問題ではないと思うのですが……」
それで我に返ったマグダレーナは、苦笑しながら弁解の言葉を口にする。
「ごめんなさい、試験勉強とは全然関係の無いことを考えていたわ」
「そうですか? それにしては、随分深刻な表情でおられたので」
「そうね……、強いて言えば、予想外のところでなんとなく負けた気分になったのが、悔しいというか何というか……」
直前まで考えていた内容を思い返しつつ、独り言のようにマグダレーナが口にした。それを聞いたレベッカが不思議そうに応じる。
「何に関して、そんな風に思われたのですか。珍しいというか、想像もできませんね」
「取りあえず、間近の学年末試験に集中する事にするわ。それが終わったら、レベッカに是非とも協力して欲しいことがあるの」
「何をでしょう? 勿論、全力で協力いたしますが」
「あなたと初めて会った時、巷での悪口雑言について教えて貰ったでしょう? 色々なパターンで、また教えて貰いたいの」
大真面目にそんな事を請われてしまったレベッカは、その時の事を思い返して盛大に顔を引き攣らせた。
「マグダレーナ様。一体、どなたに対しての鬱屈を、それほど溜め込んでおられるのですか?」
「その辺りは、深く追及しないで頂戴」
「分かりました。それでは試験が終わったら、どんな方に対する悪口雑言を知りたいのか伺って、バリエーション豊かにお伝えします」
「ありがとう。頼りにしているわ」
そんなやり取りをしているうちに、図書館に入ってきた生徒が自分達の方に歩み寄ってくるのを認めたマグダレーナは、意外に思いながら彼を見やった。
(あら? あちらから近づいてくるなんて、初めてではないかしら?)
もしかしたら偶々こちらに来ただけかもと考えた彼女だったが、イムランはまっすぐ彼女達がいる机に到達し、声をかけてきた。
「マグダレーナ嬢、勉強中に申し訳ない。お邪魔しても構わないかな?」
「ええ、イムラン様。ちょうど一区切りつけたところでしたので。どうかされましたか?」
「今度の試験範囲で分からないところがあるので、教えていただけないでしょうか」
「構いません。遠慮無くお尋ねください」
「ありがとうございます」
許可を得たイムランは、マグダレーナとは机を挟んで正面の席に落ち着いた。そして彼女の前に教科書とノートを差し出し、早速分からない箇所について尋ねる。
「それでは、ここの図表の解釈についてなのですが」
「ああ、ここですね。これは……」
マグダレーナはできるだけ分かりやすく説明し、いくつかのやり取りを経てからイムランは笑顔で頭を下げた。
「ありがとうございました。良く分かりました」
「統計学のここの部分は、分類や計算が煩雑になって分かりにくいですわね。教授は意地でも満点など取らせるかと、前回も目立たないように罠を仕掛けてきましたし」
「私にしてみれば、罠が仕掛けてあることすら分かりませんよ」
「それで? イムラン様は、私に授業で分からない事をお聞きになりたかっただけですか?」
笑顔のまま、マグダレーナはサラリと核心に触れる。すると顔つきを改めたイムランは、さりげなく周囲に視線を向けてから低い声で囁いてくる。
「……少々雑談をしてもよろしいですか?」
それにマグダレーナは声をひそめ、横目でレベッカを見ながら応じた。
「私は構いませんし、彼女は口が堅いのでこのまま同席して貰うのが条件ですが」
「それで結構です。早速ですが、マグダレーナ嬢は、ユージン殿下の資質についてどうお考えですか?」
「資質、ですか……。何に対する、とお聞きしてもよろしいですか?」
「…………」
単刀直入に切り込んだイムランだったが、マグダレーナに即座に返されて思わず口を噤んだ。彼が答えないことを気にせず、マグダレーナは冷静に話を続ける。
「それに、資質というのは生まれついて持っているもの。寧ろ、成長する過程での教育や努力によって身につけた、能力の有る無しをお尋ねになった方がよろしいのではありませんか?」
その物言いに、イムランは思わず苦笑してしまった。
「相変わらず辛辣ですね」
「どなたにも忖度するつもりはありませんから」
「羨ましいですよ。他者に対して、そこまで明言できるとは」
「イムラン様の立場は、理解しているつもりです。無理に言及せずとも良いでしょう」
「あれは駄目ですね」
唐突に口にされた内容が理解できない筈がなく、マグダレーナは呆れながら脱力した。
「……いきなり何を口走っておられるのです。口にせずとも良いと言いましたのに」
「あなたと彼女の前だからですよ。愚痴ぐらい零させてください」
僅かに懇願する響きが混ざったその台詞に、マグダレーナとレベッカは同情しながら言葉を返す。
「ご苦労なさっているのは分かっております」
「絶対に口外しませんので」
「ありがとうございます」
軽く頭をさげたイムランに、マグダレーナは慎重に問いかける。
「それでローガルド公爵家としては、今後どうなさるおつもりですの?」
それを聞いたイムランは、うっすらと笑った。
「我が家の当主は父です。ですが、私の考えとそれほど相違は無いかと」
「そう思っているのは、あなただけかもしれませんわよ?」
「そうかもしれません。ですが今度の学年末で、ユージン殿下はこの学園を卒業されます。そうなると必然的に、私が側付きの任から外れるわけです。本当に清々しますよ」
遠慮も何もない台詞に、マグダレーナは笑い出しそうになった。
「ですが、卒業後にユージン殿下が公務を任されるようになって、立太子に向けて大きく前進する可能性もありますわよ? 本当に繋がりが切れてもよろしいのですか?」
「あの殿下の手足になって、身を粉にして働いてくれる有能な部下がいれば良いですね」
「……意外にお人が悪いのですね」
ユージン王子派に人材が揃っていないのを暗に告げたイムランに、マグダレーナは苦笑を返した。そこで彼は話を切り上げ、教えて貰ったことに改めて礼を述べて、何事も無かったように立ち去って行く。
「取りあえず、ローガルド公爵家は除外できそうね……」
マグダレーナは満足そうに微笑みながら、彼の背中を見送った。




