(27)主観と客観
「先ほど殿下は、領民のためになる領地運営をしたいと仰いましたが、具体的に考えている事がございますか?」
「まだまだ先のことだから、さすがに具体的な内容までは無理だね」
「それはそうですね……」
エルネストは、苦笑しながら首を振った。あまり期待していなかったマグダレーナは素直に頷いたが、彼は少し考え込んでから慎重に口を開く。
「ただ、何というか……、自分の生活が平穏無事そのものだと、意識させない生活を送って貰いたいとは思うよ」
それを聞いたマグダレーナは、本気で困惑しながら詳細について尋ねた。
「はい? 殿下、申し訳ありません。仰った言葉の意味が、良く分からなかったのですが……」
するとエルネストは真顔になり、自分なりの言葉で解説する。
「回りくどい言い方をして、申し訳ない。つまり人々は、生活に余裕がなかったり危機的状況に陥ることで、それ以外の平穏な生活をありがたく思うものだと思うんだ。だから自分の生活が凄く恵まれていると自覚しないまま、多少の不平不満を漏らすくらいの生活が送れれば、その人にとっては凄く幸せな事なのではないかと思う」
「…………」
彼の台詞を聞き終えたマグダレーナは、口を噤んだまま相手の顔を凝視した。そのまま微動だにしない彼女を見て、エルネストが声をかける。
「マグダレーナ嬢? どうかしたのかな?」
そこで我に返ったマグダレーナは、何事も無かったように会話を続けた。
「いえ、何でもありません。殿下としては、そのように領地を治めていく手段を、まだ実際に考えてはおられませんのね?」
「勿論そうだよ。でも幸いこのクレランス学園には、優秀な人材が揃っているからね。在学中に繋がりを作って、優秀な人や各方面の技術を持つ人を紹介して貰えたら幸いだと思っているけど」
素直にそんなことを告げたエルネストを見て、マグダレーナは何を考えているのかと半ば呆れた。
「殿下は意外に策略家でしたのね。純粋に交流を深めたいだけと思っておりましたが、あわよくば将来の人脈構築を目論んでいらしたとは」
「誤解の無いように言っておくけど、本当に親交を深めたい気持ちに変わりはないよ」
「分かりました。将来の人脈云々は、二次的なものですね」
色々と言いたいことはあったものの、マグダレーナは余計な事は口にせずに話を進めた。
「殿下のお時間があれば、もう少しお尋ねしたいことがあるのですが」
「構わないよ」
「殿下は陛下を、どのような人物だと思っていらっしゃいますか?」
マグダレーナは、彼から見た国王像がどのような代物なのかを知りたくなった。それで発作的に尋ねたのだが、対するエルネストは真剣な面持ちで考え込む。そして悩むような素振りを見せながら、静かに口を開いた。
「どのような、と言われても……。一言で言えば、賢明で公正な人だね。でもそれだけではなくてある意味厳格な人で、ある意味捉えどころがない人だよ」
「それでは殿下は、陛下のような人間になりたいと思いますか?」
その質問に対する彼の答えは、先ほどのそれとは違って即答だった。
「なりたいとは間違っても思わないし、なれるとは微塵も思わないね。だけど、どうしてそんなことを聞くのかな?」
「普通の男子が憧れて目標とするのは、己の父親かと思っていましたので。ついでにお尋ねしてみただけです」
「聡明な君にしては、随分間抜けなことを尋ねてきたね。私と陛下が、世間一般の父親と息子の枠に入ると本気で思っているのかい?」
心底呆れたような顔つきで問い返されたマグダレーナは、微妙にプライドが傷ついた。しかしそれは面には出さず、淡々と応じる。
「……ええ、愚問でしたわね。今、はっきりと自覚しました」
「気分を害したのなら悪かった。それじゃあ、私はここで」
「はい。お引き留めして、申し訳ありませんでした」
話をしている間、二人は人気の無い廊下で立ち止まっていたが、エルネストが断りを入れて再び歩き出す。頭を下げて彼を見送ったマグダレーナは、再び頭を上げて彼が廊下の曲がり角を折れて姿を消してから、視線を窓に移した。そして窓越しに青い空を見上げながら、無意識に呟く。
「平穏無事だと意識させない生活、ですか……」
その声音には疲労感と敗北感が微妙に入り交じっており、遅れてそれを自覚してしまったマグダレーナは、深い溜息を吐いてから重い足を踏み出したのだった。




