(26)転機
入学してからかなりの時間が過ぎ、そろそろ学年末の試験対策を始めようかと学園内が動き出す時期。マグダレーナは放課後に一人でカフェに赴き、難しい顔でお茶を飲み始めた。
(全く……、単なる一人の小娘に次期国王を選定させようとするなんて、本当に世も末よね。無駄に年だけ取った、怠け者じゃないの)
脳内で、密かに大叔父を筆頭とする国の重鎮達への恨み言を並べ立てたマグダレーナは、すっかり醒めてしまったお茶を一口飲んだ。
(悪口雑言を考えつくだけ考えたら、幾らか気分が落ち着いてきたわね。さて、これからどうするべきかしら……)
そのままカップの中の揺らがない液面を眺めていた彼女は、思わず溜め息を吐いてしまう。
(そもそも、国王に相応しいとか国王たる資質というのは、どういうものなのかしらね。今更な事ではあるけど。特に指示も制限もないわけだから、その辺りは自分で考えろというのでしょぷが)
そしてマグダレーナは、考えが纏まらないまま静かに立ち上がった。
「まあ、試されているみたいで正直気分は悪いけど、仕方がないわね」
独り言を呟いて歩き出した彼女は、飲み終えたカップを返却口に戻してカフェから出て行った。そのまま廊下を歩いて角を曲がると、予想もしていなかった光景に遭遇する。
「……殿下、そこで何をなさっておられますの?」
廊下の壁際に何やら作業用の布を敷いた上に、二人の男が座り込んで何かの作業をしていた。どうやら廊下の窓の一つを外して修理をしているように見えたが、れっきとした事務係官に見える男性はともかく、制服の上着を脱いだだけのエルネストが金槌を持っているのは問題がありすぎた。それでマグダレーナは思わず声をかけてしまったのだが、エルネストは呑気に言葉を返してくる。
「ああ、マグダレーナ嬢。こちらの事務係官に教わって、歪んだ窓枠の補修をしているところで」
「ああああのっ! 殿下! ここはもう結構ですから! お手伝いいただき、ありがとうございました!」
エルネストの言葉にかぶせるように礼を述べながら、事務係官が狼狽気味に彼から金槌を奪い取った。それに些か残念そうに、エルネストが謝罪する。
「そうですか? 最後までできなくて、申し訳なかったです」
「いえいえ、お気遣い無く!」
「それでは失礼します」
「はい、お気をつけて」
どこか安堵したような表情の事務係官に見送られ、エルネストとマグダレーナは自然に同じ方向に向かって歩き出した。すると半歩後ろを歩くマグダレーナに、エルネストが前を向いたまま愚痴っぽく呟く。
「タイミングが悪かったなぁ……、まさかあそこで君に声をかけられるだなんて。無視してくれれば良かったのに」
その物言いにカチンときたマグダレーナは、素っ気なく言い返した。
「あんな人通りのあるところで、人に見咎められないと本気で思っておられるのですか?」
「でも大抵の生徒は私に気がつかないし、気がついても面倒を避けて見なかった振りをすると思うのだけど」
「あいにくと、私は一般の生徒の枠には入りませんので。入学からのあれこれで、その辺りはご承知かと思っておりましたが」
「言われてみれば、確かにそうだね」
苦笑の気配が伝わってきたことで、マグダレーナの苛つきが増した。しかしそれをぐっと押さえ込みつつ、なるべく冷静に尋ねてみる。
「殿下は様々な方と交流するのが楽しいと仰っておられましたが、王族がしないことを率先して行うのはどうしてですか?」
「王族がしないのではなくて、する必要がない事だよ。だけど王族ではなくなったら、しなくてはいけないことが出てくるだろう?」
そこでマグダレーナは完全に苛立ちを忘れ、慎重に確認を入れた。
「……臣籍降下を念頭においてのご発言ですか?」
その問いかけに、エルネストは当然のごとく話を続ける。
「勿論そうだけど。私が立太子される筈はないだろう? そうなると王家直轄地から小さな領地を割譲されて形ばかりの大公に治まるか、どこかの家に押しつけられるか。そんなところが妥当だと思うけど」
「素直に考えれば、確かにそうですわね」
「その場合、自分が直接人を使って動かしていかなくてはいけないわけだ。身近な人間に丸投げして、成果だけ独り占めするようなわけにはいかないさ」
確かに王宮内で暮らす場合とは異なるとしても、あらゆる事を自分一人で処理するのは違うだろうとマグダレーナは考えた。
「そうは言いましても……、小さな大公家としても、使役する人間はそれなりの数になります。全ての人間の動向を把握したり、指図することなど不可能だと思いますが」
「それはそうだよ。君くらいの才媛だったら、できるかもしれないけど」
「……茶化すのは止めていただけませんか?」
「申し訳ない。つまり私が言いたいのは、なるべく多くの平民と交流して、その人達の生活や考え方を知っておきたいんだ。王宮の中で接してきたのは殆ど貴族だけだったし、使用人には平民もいたけど、一般的な庶民とは言いがたい人達だと思うし」
「それは確かにそうでしょうね」
「一家を立てて領地を運営していくのなら、そこに住まう領民の生活を守る必要があるだろう? 勿論私が直接領民と接する機会など殆ど無いだろうし、間に人を介することになる筈だ。だけど実際に領民がどんな生活をしてどんな暮らしをしているのか理解できていないと、本当にその人達のためになる領地運営ができないと思うから」
「…………」
淡々と口にする彼の様子を、マグダレーナは無言で凝視した。そこで急に口を閉ざした彼女を不審に思いながら、エルネストが声をかける。
「マグダレーナ嬢、どうかしたのかな?」
「殿下にお尋ねしたいことがあります」
「何かな?」
真剣な面持ちで問いを発したマグダレーナに、エルネストは冷静に頷いて応じた。




