(25)探り合い
さすがにマグダレーナが演奏を始めてから、それを妨げたりこき下ろすような暴挙をするはずもなく、その場全員が静かに聞き入った。しかし彼らの表情はすぐに驚きと感嘆のそれに変わり、刺々しかった室内の空気が忽ち和らぐ。演奏しながらもそれを感じ取れたマグダレーナは、安堵しながらなめらかに演奏を続けた。
そして一曲弾き終えた彼女はハンカチを弓と共に右手に持ち、バイオリンを肩から外して左手に持ちながら軽く一礼する。その直後、それまでの演奏に対してより熱心な拍手と賞賛の声が彼女に贈られた。
「マグダレーナ様、凄くお上手でしたのね! 私、全く存じ上げませんでしたわ! モニカ様の評価が大げさすぎるのではと思っておりましたが、真実でしたのね!」
「いや、本当に見事だった。本職の演奏家達の演奏にも、引けを取らないと思うぞ?」
「ありがとうございます。ご満足いただけたようでなによりでした」
熱心に褒め称えるメルリースと、上機嫌に口にするゼクターに続いて、他の参加者達も口々に言い合う。
「本当に素晴らしいです。本職の演奏家と比べても、遜色ないのではありませんか?」
「学年が違いますから知る機会もありませんでしたが、今日素晴らしい演奏を聴かせていただいてなによりでした」
「マグダレーナ嬢が学業に優れているとは知っておりましたが、音楽に関しても造詣が深くていらしたのですね」
「…………」
誰かが口を滑らせた事で、その場が瞬時に静まりかえった。皆が長期休暇前の騒動を思い出して気まずい空気が漂う中、マグダレーナは苦笑気味に話を続ける。
「確かに幼い頃から色々とさせられてきましたので、多方面でできることは多いですが、できないことも結構ございますのよ?」
それを聞いた面々は、揃って意外そうな顔つきになった。
「マグダレーナ嬢にですか? どのような事ができないのでしょう。想像がつきませんが……」
「そうですね、例えば……、乗馬が少々苦手です」
「は? 乗馬、ですか?」
「上級貴族のご令嬢なら常に馬車で移動するでしょうし、馬に乗れなくても支障はないのではありませんか?」
「確かにそうなのですが……、両親から『何事も試してみて、己の限界と不可能な事柄がどんなことか見極めるように』と言われておりまして。剣術を初めとした護身術の類いも、大して上達しませんでした」
「あ、いや……、それこそ公爵令嬢には不要なものでは……」
「キャレイド公爵夫妻は、独特な価値観をお持ちなのですね……」
深窓のご令嬢には似つかわしくない台詞が続いたことで、周囲は呆気に取られた。その反応を確認しつつ、マグダレーナは苦笑を深めてみせる。
「同じように兄も色々やってみましたが、兄は音楽に関しては全く駄目でしたわ。人それぞれ得意なことや苦手なことがあるのは当然だと、それで認識したようなものです」
「はぁ、なるほど……」
「ある意味自由で、ある意味厳しい育て方ですね……」
周囲は半ば感心し、半ば呆れるような顔つきなった。そんな中、ゼクターが笑いを堪える口調で口を開く。
「なるほど。キャレイド公爵がなかなか風変わりな思考をお持ちなのが良く分かったよ。どうりで誘いをかけても、旗色を鮮明にしないはずだ。他人の価値観など物ともしない家系らしい」
些か皮肉っぽく告げられた内容に、マグダレーナは平然と言葉を返す。
「父の考えを、私が全て把握しているということはありません。たとえ家族といえど、父とは別の人格ですから。ただ一つ言える事があるとするなら、陛下に対する父の忠誠心は、他のどなたと比べても遜色ないと断言できますわ」
真正面から見返してくるマグダレーナを見て、ゼクターは薄く笑いながら応じた。
「なるほど……、それでは私が国王に即位したら、キャレイド公爵家は私に追従してくれるというわけか」
「その暁には、そうなると思われます」
「良く分かった。君と腹を割って話す機会ができて良かったよ」
そこで話に一区切りついたため、マグダレーナは少し踏み込んでみることにした。
「ゼクター殿下が即位云々の話が出ましたので、ついでにお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「何を聞きたいのかな?」
「ゼクター殿下が国王に即位されたら、この国をどのように治めていくつもりなのか、心づもりがございますか?」
その問いかけに、ゼクターは一瞬考え込む素振りを見せたものの、すぐに素っ気なく言葉を返してくる。
「どのように、か……。それは即位してから考えれば良いことではないかな? 取りあえず私を支えてくれた者達に報いてやると同時に、目障りな者を排除してから、問題なく国政を行えるように官吏達を使えば良いだけの話だ」
それを聞いたマグダレーナは、色々と言いたいことを飲み込んで深く頭を下げた。
「そうでございますね。殿下のお考えは良く分かりました。お時間をいただき、ありがとうございます」
「別に構わない。ところで君は、一人で演奏か練習に出向いてきたのだろう? ここの使用時間はまだあるし、このままもう少し演奏を聴かせてもらえないか?」
「……畏まりました。私の演奏で良ければ喜んで」
正直に言えば即座に立ち去りたかったマグダレーナだったが、音楽室を使うつもりもないのに踏み込んだのかと疑念を呼び起こす可能性と、モニカ達が最後まで同席してくれと懇願の眼差しを送っていたことで、諦めて再度演奏を始めた。
(国政のビジョンもなにも、まずは論功行賞からとはね。そしてそれ以外はどうでも良いとか……。自分に都合の良いように他人をどれだけ利用するか、それしか考えられないらしいわ)
マグダレーナは万人が認める見事な演奏を披露しながら、内心で苛立ちが募るのを押さえ込んでいた。




