(15)大公夫人の憂鬱
長期休暇も残り少なくなった時期。キャレイド公爵邸を、ある客人が訪れた。
「お姉様、いらっしゃいませ」
「伯母様、ご無沙汰しております」
単身で訪れた女性は、ジュリエラの実姉であるテニアス大公夫人サリーマであった。暫くぶりの対面ということもあって、マグダレーナは若干の緊張を覚えながら母と共に彼女を出迎える。しかし当の彼女は、以前と変わらない笑顔を振り撒いた。
「ジュリエラ、お招きありがとう。マグダレーナも元気そうで何よりだわ」
挨拶を済ませて応接室のソファーに落ち着くと、ジュリエラが幾分心配そうに姉に尋ねる。
「それにしても、どうかされました? 急に『申し訳ないけれど、何日か滞在させてもらえないか』という連絡が来たので、心配していました。これまでそのような頼み事をされたことはありませんでしたし、詳細が分かりませんでしたので」
するとサリーマが、僅かに表情を曇らせながら愚痴を零す。
「余計な心配をかけてしまって、悪いことをしてしまったわね。単に屋敷にいるのに嫌気が差しただけなの。お客様の対応をするのが煩わしくて。それ以上に、馬鹿馬鹿しいものだから」
それだけでジュリエラとマグダレーナは、うっすらと事情を察した。
「それは、この前の夜会以来ですか?」
「ええ。その後、少ししてからね」
「まさか、お義兄様が変な気を起こしているのですか?」
ジュリエラが慎重に確認を入れたが、サリーマはその懸念を明るく笑い飛ばした。
「まさか。あの人は実弟である陛下が実権を握った直後に、すっぱり権勢に対する欲は捨てたわ。元々、才能も野望も大してない人でしたしね。それが父には我慢できなかったのだけど」
「本当にお父様は、色々と余計なことをする方で……、あら、まさかお姉様?」
安心しかけたのも束の間、ジュリエラは姉が唐突に父親について言及したことで、新たな懸念を抱いた。するとサリーマが、苦々しい顔つきになって告げる。
「あの人は勝手に妄想を膨らませて、愚息と一緒になって愚者のダンスを踊っているわ。鬱陶しいことこの上なくてね」
(実の父親を「あの人」呼ばわりとは、伯母様も相当腹に据えかねているみたいね)
確かに、聡明とは言い難い母方の祖父を脳裏に思い浮かべながら、マグダレーナは密かに伯母に同情した。それはジュリエラも同様だったらしく、溜め息を吐いてから話を続ける。
「……血の繋がった父親の愚行を目の当たりにしないといけないとは、お姉様も災難ですわね」
「本当にそうなの。元はと言えば、貴女の子供達がやらかしてくれたことが発端だから、責任を取って何日か滞在させて貰えないかしら?」
「…………」
にっこり微笑みつつチラッと視線を向けられたマグダレーナは、僅かに顔を強張らせた。しかしジュリエラは全く動じず、寧ろ楽しげに姉に申し出る。
「お姉様でしたら、幾らでも滞在していただいて構いませんわ。どうせなら体調を崩した事にして、1ヶ月くらいいらしてください。どうせならお義兄様もご一緒にどうぞ」
そんな歓迎の台詞を聞いたサリーマは、呆れ顔で苦言を呈した。
「ジュリエラ。あなた……、そんな事を軽々しく口にするのは止めなさい。変な者に長々と居座られたらどうするの。それにキャレイド公爵に無断でそんなことを気安く口にするなんて、褒められたことではありませんよ?」
「あら、お姉様は変な人間ではありませんし、ランタスは反対なんかしませんもの」
「全く、相変わらずね」
自信に満ちた妹の物言いに、サリーマは苦笑するしかできなかった。ここでマグダレーナが、控え目に会話に加わる。
「あの……、伯母様。この度は兄ともどもご迷惑をおかけしてしまって、申し訳ありませんでした」
舞踏会で兄と共に噂を拡散させたのは事実であり、それによってこれまで社交界でほとんど無視されていた大公家を巻き込んでしまった事について、マグダレーナは真摯に頭を下げた。しかしそれを目にしたサリーマは、少し困ったように弁解する。
「マグダレーナ。先程はあのように口にしたけれど、本当に腹を立てているわけではありませんよ? 誤解しないでくださいね?」
「それなら良かったですが……、伯母様が煩わしく思われる事態になっているのは、確かなようですし」
「それは単なる噂を真にうける父と息子が愚か過ぎるのと、そんな人間を利用しようとする不届者のせいですから」
「そういう人間がいるのですか……」
「残念な事にね。夫もうんざりしていて、社交シーズンだけどさっさと領地に戻ってしまったの。私もそうしようかと思ったのだけど……」
そこで姉の懸念が理解できたジュリエラが、真顔で頷きながら応じる。
「お父様達を野放しにするのも、不安がありますよね」
「ええ。少し時間が経てば周囲も冷静になると思うから、それから領地の屋敷に戻ろうと考えているの。ただ本当に、この数日は不愉快な事ばかりでね」
普段は世捨て人のように領地で隠遁生活を送っている大公夫妻にしてみれば、たまに出て来た王都でいきなり権力闘争に巻き込まれてしまっては不快に思わないはずがなく、ジュリエラとマグダレーナは心の底から同情した。
「お姉様。これまでこういう機会はありませんでしたし、本当に気にしないで何日かのんびりなさってください」
「我が家全員、歓迎いたします」
「ありがとう。お邪魔させて貰うわね」
そこで三人揃って笑顔になり、それから暫く和やかに世間話をして過ごした。
「伯母様。この機会に、少し遠慮なくお尋ねしてもよろしいでしょうか?」
「あら、何かしら? 勿論、私に答えられる事ならお話ししますよ?」
快く応じてくれた伯母に、マグダレーナは前々から尋ねてみたかった内容を口にした。




