(12)疲労困憊
ミュラーバ教会に到着した一行は案内表示に従って進み、奥まった一室の前で入場料を支払った。そして担当者に案内されて、扉の奥に足を踏み入れる。そして正面の壁一面に描き出されている主神の祝福の場面を目にしたマグダレーナは、無意識に感嘆の溜め息を漏らした。
(さすがは当代一の画家と称されるアストーン氏の作品。荘厳さが伝わってくるわ。周囲も庶民の方が殆どだけど、皆感激したり真剣な面持ちで見入っているし。仰々しいドレス姿で、同伴者を引き連れてきたりしなくて良かった)
そこでマグダレーナは、この場に庶民しか存在しない理由を考えてみる。
(もしかして入場料が小銭程度だったのは、庶民に対して安価で公開するようでは大した物では無いと、変に権威におもねる貴族達の興味を削がせる意味もあったのかしら? それで庶民の方達に、ゆっくりと鑑賞して貰いたいと考えたとか。もしそうだとしたら、ここの教会の上層部にはなかなか面白い考えの方がおられるわね)
密かに色々な推測を始めたマグダレーナだったが、傍らに立っている人物達の会話が、否応なしに聞こえてきた。
「ふぅん? 国教会が大々的に宣伝していた割には、思っていた程ではないかな?」
僅かに馬鹿にする風情で感想を述べたリロイに、エルネストが苦笑交じりに言葉を返す。
「そうでしょうか? それなりに名画だと思いますが」
「確かにそうかもしれませんが、限定公開といって入場料を取るほどではないかと思ったものですから」
「先ほど支払いましたが、入場料は庶民にも支払い可能な銅貨で設定されていましたよ?」
「それはそうでしょうね。国教会の権威をアピールする機会なのですから、庶民を広く呼び込める額でないと意味がありません」
「それならいっそのこと、いつでも無償で公開すれば良いだけの話では?」
「それでは全くありがたみがありませんから」
「そういうものですか?」
淡々と会話を続けるリロイに、エルネストは怪訝な面持ちで応じる。そんな二人のやり取りを聞き流していると、横に立ったネシーナが囁いてくる。
「マグダレーナ。随分疲れた顔をしているけど、大丈夫?」
「はい、何とか。あの二人の、広場でのやり取りを耳にして、少々疲れましたが」
それが何を意味しているのか瞬時に分かったネシーナは、苦笑いで小さく頷く。
「本当に予想外だったわ。てっきりリロイの方が、王太子になるようエルネスト殿下を唆すかと思っていたのに。まさか、その逆とはね」
「それを聞いても、ネシーナさんは微塵も動じていなかったようですが」
「それくらいで、リロイが動揺するとは思えませんから。そんな可愛げがあるくらいなら、これまでの人生がもっと平穏なものだったと断言できます」
ここでネシーナは、自嘲気味の笑みを浮かべた。それを目の当たりにしたマグダレーナは、咄嗟に頭を下げる。
「本当に、これまで愚兄がネシーナさんにおかけしてきた心労をお詫びします」
しかしここでネシーナは、全く気にしていない様子で話題を変えた。
「それはそうと、先ほどから二人で話が盛り上がっているようだけど、意気投合しているかどうかあなたには分かるかしら?」
「ええと……」
そこで注意深く彼らの様子を伺ったマグダレーナは、少しして正直に思うところを述べた。
「そうですね……。何やら壁画の話を通り越して、今は国教会や互いの宗教観について意見を述べ合っているようですが……、なんとなく和やかに会話をしているという雰囲気とは、微妙にずれているような気がします」
「あなたもそう思う? エルネスト殿下の方は笑顔でも微妙に警戒している雰囲気だし、リロイの方は笑顔そのものが胡散臭いわ。あれは、相手を色々と推し量っている時の顔よね」
「もうネシーナさんが未来の義姉であることが、心強くてたまりません」
ネシーナが自分と全く同じ見解だったことで、マグダレーナは不覚にも落涙しそうになった。そんな未来の義妹を見て、ネシーナの笑みが深まる。
「リロイったら、今日のことを随分楽しみにしていたのよ。『マグダレーナに任せきりにさせられない。直に殿下と接触できる良い機会だ』と言って」
ここでマグダレーナは、ネシーナに意見を求めた。
「因みに、殿下は兄のお眼鏡に適ったと思いますか?」
その問いかけに、ネシーナは二人を観察してから、幾分自信なさげに答える。
「そうね……、私が見るところ、微妙、かしら? リロイが一番分かりにくいし」
「そうですよね……。可も無く不可も無くではありませんが、好感度か嫌悪感かどちらかに傾きましたよね。それ以上は分かりませんが」
そこでネシーナと困惑顔を見合わせてから、マグダレーナはお互いの主そっちのけで会話している二人に視線を向けた。
「ところで、レベッカとマテル殿も、何やら仕事の話で盛り上がっていますね」
「レベッカさんは官吏志望と聞いていますし、現役官吏の方が目の前に現れたら、質問攻めにしたくなるのも無理ありませんわ」
「まさかここに来て、彼が現役官吏と分かって驚きましたよ。絶対、お兄様は把握していた筈ですが」
「そうよね。この機会に、あの二人経由でも情報収集をするつもりかしら」
「やりかねないわ……」
そして壁画を堪能した一同は頃合いを見て部屋から出て行き、教会の出入り口へと進んだ。
「それでは殿下。今日は思いもかけずご同行できて、有意義な時間を過ごせました。ありがとうございます」
リロイが恭しく頭を下げると、エルネストが笑いながら頷く。
「こちらこそ、楽しく過ごせたよ。皆さん、お邪魔してしまって申し訳ありませんでした」
エルネストが向き直って、女性陣に謝罪してきた。それでマグダレーナ達が笑顔で言葉を返す。
「いえ、こちらこそ、殿下と同行できて光栄でしたわ」
「お気遣い無く。大勢で賑やかに過ごせましたし」
「色々なお話が聞けて、こちらこそありがたかったです」
「それは良かった。それではここで失礼します」
「はい、お気をつけて」
そこで踵を返して、エルネストとマテルが離れていった。その背中を見送りながら、リロイが不敵に笑う。
「ある程度予想はしていたが、随分面白そうだな」
それを聞いたマグダレーナは、不思議そうに兄に尋ねた。
「お兄様? あの方に、そこまで興味を引くことがありましたか?」
「やはり伝聞より、直にこの目で見た方が確実だというだけの話だ」
「それではお兄様は、あの方を推すつもりですか?」
「いや? それとこれとは話が別だ。あれはそんな器ではないだろう」
素っ気なく告げたリロイを見上げながら、マグダレーナは本気で困惑した。
「はぁ? それなのに興味があるのですか? 損得勘定抜きで? お兄様が?」
しかしその疑問に答えないまま、リロイはさっさとその場を離れていく。
「それでは私達も帰るか。ネシーナ、送っていく」
「分かりました。それではマグダレーナ、レベッカさん、またね」
「あ、はい、失礼します」
「お疲れ様でした」
リロイとネシーナは、実にあっさりとその場を立ち去った。その背中が見えなくなってから、マグダレーナは半ば呆然としながら自問自答する。
「……結局、今日のあれこれって何だったの?」
「さぁ……、何だったんでしょう?」
レベッカも同様に困惑しきった台詞を漏らしたが、それもすぐに雑踏の中に消えていった。




