(10)ひと時の平穏
旅芸人一座の公演を見終わったマグダレーナ達は、天幕から出ながら興奮気味に語り合っていた。
「本当に凄かったですわね!」
「ええ、あの方々の手の動きが全然見えなくて」
「あんなに数多くの物を、落とさずに次々空中に放り投げられるのかしら」
「あと、鳥や犬が凄く賢くて」
「あの投げナイフも、身体のすぐ横でしたよ?」
楽しげに感想を述べ合う彼女達の一歩後ろで、リロイ達が苦笑君に囁き合う。
「殿下、すみませんでした。席が前後に3席ずつ分かれていて。せっかく足を運ばれたのに、見えにくかったでしょう」
「リロイ殿、お気遣い無く。女性に前方を譲るのは当然ですから」
「それに最前列とその後ろの席でしたので、全く見るのに支障はありませんでした。良い席に座れて、却って恐縮しております」
そんなやり取りをしながら一同が足を進めると、リロイが前方を歩く妹たちに声をかけた。
「マグダレーナ、そろそろ何か食べないか? 屋台で簡単な物で済ませて、噴水の縁にでも座って食べよう」
平然とそんな提案をしてきた兄に、マグダレーナは若干責めるような視線を向けた。
「お兄様、随分手慣れていますのね。普段からそういう事をなさっておられるのですか?」
「まあ、固いことは言わずに。レベッカ、運ぶのを付き合ってくれるかい?」
「はい、お任せください」
「あ、私も運びます」
そしてリロイは、レベッカとマテルを引き連れて広場の隅の方にあった屋台に向かった。それを見送っていると、今度はネシーナが声をかけてくる。
「それでは私達は、食べる場所を確保しておきましょうか。あちらの噴水に行きましょう」
「はぁ……」
「分かりました」
こちらも相当手慣れていると、マグダレーナは遠い目をしながらエルネストと共にネシーナの後に続いた。
噴水に到着したネシーナは、手に提げていた布袋を閉じている紐を開け、中から三枚のハンカチを取り出した。そして何をするのだろうと訝しんでいるマグダレーナの前で、そのハンカチを水に触れないようにしながら次々に噴水の縁に敷く。続けて折りたたまれた布を取り出した彼女は、ハンカチを敷いた目の前の石畳の上に、その大判の布を広げながら敷いた。
「ネシーナさん? それは……」
目の前の光景が良く理解できなかったマグダレーナは、控え目に尋ねてみる。それにネシーナは笑顔で答えた。
「場所取りです」
「それはそれとして、こちらの地面に敷いた方は……」
「噴水の方は私達、そちらは殿方の座る場所です」
「…………」
(あの、ちょっと待ってください、ネシーナさん。これってすごく問題ではないでしょうか!?)
咄嗟に次の言葉が見つからないマグダレーナと、僅かに驚いたようにエルネストが無言のまま軽く目を見張ったところで、両手に荷物を抱えたリロイ達が戻ってきた。
「お待たせ。人数分持ってきたよ」
「ありがとうございます。レベッカさん、こちらにどうぞ」
さっさとハンカチの上に腰を下ろしながら、ネシーナが傍らのハンカチを手で示した。それにレベッカが礼を述べながら、持ってきた紙包みを彼女に手渡す。
「すみません。失礼します。ネシーナさん、こちらをどうぞ。マグダレーナ様も」
「ありがとう、いただきます。ところでこれは何?」
「甘く味をつけたパンの間に、薄切りの焼いた肉や野菜を挟んだ物です」
「あと果汁入りの水も持ってきたよ」
「ありがとうございます、お兄様」
レベッカに続いて、リロイが瓶からグラスに水を注いで手渡してきたため、マグダレーナはしげしげとこれを眺めた。
「でも、このグラス……。随分綺麗な物だけど、屋台って普段からこういう物を使っているの?」
「あ、ええと……、それは……」
自問自答するように呟いてから、マグダレーナは何気なくレベッカに視線を向けた。すると何故か彼女は口ごもり、視線を彷徨わせる。それでうっすらと真相を察した。
(分かったわ。恐らく普段は乱暴に扱っても壊れず、回収してすぐ使えるように木製のカップとかが使われているはず。だけどエルネスト殿下に飲食させたものに不備があって、万が一にも健康を損ねる事態になるわけにはいかないから、あの屋台は予めお兄様が手配させていた物で、問題ない物を出させたのでしょうね)
しかしそれを一々指摘するのも野暮だと思ったマグダレーナは、素知らぬふりで早速グラスの中身を味わうことにした。その目の前で、紙包みを受け取ったエルネストが、邪気の無い笑みでリロイに確認を入れる。
「ご苦労様。ところでリロイ殿、私はここに座って良いのかな?」
「はい、どうぞご遠慮なく」
「じゃあ失礼するよ」
「……殿下」
あっさりと石畳に敷かれた布の上に座ってしまったエルネストを見て、マテルは頭痛を堪える表情になった。しかし何も口には出さず、諦めきった表情で同様に彼の横に座る。
(遠慮無く地面に座るのを勧めるネシーナさんとお兄様はどうかと思いますけど、自分から嬉々として座ってしまう殿下もどうかと思います。仮にも王族としてのプライドは……、無いのでしょうね)
マテル殿は色々な意味で苦労されておられるようだわと、マグダレーナは密かに彼に同情した。それから気持ちを切り替え、しばらく空腹を満たすことに専念する。
「うん、こういうのを食べるのは初めてだけど、美味しいね」
「殿下のお口に合って良かったです。二つずつ食べられますので、おかわりしてください」
「ありがとう」
「確かに、美味しいですわね。お兄様の選択眼は確かなようですわ」
「もっと褒めて良いよ、マグダレーナ」
「調子に乗らないでください」
それなりに和やかに会話しながら食べ進め、全員が食べ終えて一息ついたところで、リロイが広い広場内を見回しながらしみじみとした口調で言い出した。
「それにしても平和だねぇ。陛下の治世が揺るぎない証だな」
「お兄様?」
「私達が生まれる前の話だが、この広場から人通りが一切失われた時代があったからね」
それだけで兄がいつの事に言及するつもりなのかを察したマグダレーナは、瞬時に気を引き締めて次の言葉を待った。




