(8)苦労性達の意気投合
「たった今、互いの自己紹介を済ませたところだよ。殿下と乳兄弟のマテル殿は、今日はマテル殿の妹さんの買い物を頼まれたみたいでね」
「私の散策に付き合わせるのは悪いと言ったら、それならついでに立ち寄らせて欲しいと言われたものだから」
「ああ、マテル殿、紹介しよう。この二人は私の妹のマグダレーナと、妹の学友のレベッカ嬢だよ」
「二人とも、私のクラスメートなんだ」
「そう、でしたか……。初めてお目にかかります。マテル・トラヴィスと申します」
リロイとエルネストから交互に説明されて、エルネストの乳兄弟であるマテルは、緊張と困惑が入り交じった表情でマグダレーナ達に一礼してきた。それを受けて、マグダレーナも微笑み返す。
「初めまして。マグダレーナ・ヴァン・キャレイドです。トラヴィスと仰ると……、トラヴィス子爵家に縁の方ですのね?」
「はい。貴族簿には入っておりませんが、分家の末席をいただいております」
生真面目に軽く頷いた彼を見て、マグダレーナは記憶の海から該当する事柄を引っ張り出した。
(王妃様の国内基盤はほぼ無いから、通常なら殺到する側近とか乳母とかのなり手が無くて、確か当時の内務大臣の縁戚が任命されていたはず。普通だったら乳母なんて形式的なもので上級貴族の婦人が拝命するし、乳兄弟ってだけで大きな顔をする馬鹿も多いのに色々と苦労されていそう)
エルネストに関連する立ち位置では、これまで王宮内でも肩身の狭い思いをしてきたのだろうと、マグダレーナは思わず同情してしまった。そのままぼんやりと相手の顔を眺めていると、訝しげに声をかけられる。
「あの……、私の顔に何か付いておりますか?」
「申し訳ありません。学園内では殿下の側付きのような方はいらっしゃいませんので、あなたのようなお世話役らしき方が殿下の側におられるのが新鮮に見えましたので」
マグダレーナが咄嗟に口に出した内容を聞いて、思わずレベッカが突っ込みを入れた。
「マグダレーナ様。何を言っているんですか」
「いえ、あの……、申し訳ありません。大変失礼いたしました」
レベッカに注意されて、マグダレーナは即座に謝罪した。しかしエルネストは、楽しげに笑っただけだった。
「別に謝ることは無いよ。私に側付きがいないのは本当のことだし。それに、嫌々側に付かれるのも勘弁して欲しいしね。そんなのは鬱陶しいだけだから」
するとマテルが、溜め息交じりに口を挟んでくる。
「本当に、殿下は相変わらずですね。権力抗争に興味がないのはとっくに存じていますが、第三者にまで侮られるのは回避すべきでしょう。王子としての最低限の要求はするべきです」
「そんなことを本気で言っているのは、お前達くらいだよ」
「殿下……」
エルネストは平然としていたが、そんな主の姿にマテルは悔しげな表情になった。そこでリロイが、がらりと話題を変えてくる。
「ところで殿下。今日の予定はどうなっていますか?」
「今日、と言うと、これからの予定だよね。ここで頼まれた物を見繕ったらサザール広場に移動して、旅芸人一座の公演を見て、そこの屋台で軽く食べて、ミュラーバ教会で最近公開された壁画を見て帰るつもりだったけど。それがどうかしたのかな?」
「げっ!」
「嘘……」
不思議そうにエルネストが語った内容を聞いて、マグダレーナとレベッカは揃って顔色を変えた。そんな妹たちを含み笑いで見やってから、リロイは満面の笑みでエルネストに提案する。
「それは偶然ですね! 実は私達も、全く同じ内容と順序で回るつもりだったのですよ! ここでお会いしたのも、何かの縁。今日はご一緒しましょう!」
(この愚兄!! 冗談じゃないわ!! 私達のスケジュールに全乗りしてきた上に、何を企んでいるのよっ!?)
予想外の展開に、マグダレーナは本気で兄を叱りつけた。
「ちょっとお兄様!? 初対面の方に、いきなり何を言い出すのですか!?」
「別に構わないだろう? 偶々行き先が同じだし。大勢の方が楽しいじゃないか。それにマグダレーナ達も、行き先は同じじゃないのかい? 一座の公演は今週末までの予定だし、それに合わせて屋台も数多く出るから、サザール広場に出向くと思ったんだけどね。それにミュラーバ教会の壁画は限定公開で、アストーン画伯の作品を見る機会はそうそう無いと思うのだけど?」
「いえ、あの、それは確かにそうですが!?」
「……誠に申し訳ありません、マグダレーナ様」
せっかくだからマグダレーナに楽しんで貰おうと色々調べ、スケジュールを組んで公爵邸に連絡してしまったレベッカは、己の好意が完全に裏目に出てしまったのを目の当たりにして項垂れた。するとリロイは続けてマテルに向き直り、優しげな笑顔を装いながら申し出る。
「それに、マテル殿。先ほど、エルネスト殿下から学園での話を殆ど聞けないので、不安だという事を漏らしておられましたし。妹達から色々と話を聞きたくはありませんか?」
「あ、いえ……、それは確かにそうですが、そんな厚かましい事は……」
「そう言えば、妹からの手紙に書いてあったのですが、殿下は選択授業で剣術を希望して、某貴族令息に叩きのめされて怪我を負わされたとか。その辺りを詳しく知りたくはありませんか?」
うっすらと笑いながらリロイが語った内容を耳にしたマテルは、激しく動揺しながらエルネストに説明を求める。
「剣術!? 怪我!? 一体どういう事ですか、殿下!!」
「マテル。声が大きいし、店の迷惑だから」
「それどころではありません! そんなこと一言も聞いておりませんし、手紙でもお知らせいただいておりませんよね!? どういう事ですか!?」
「ああ、それから、ごく最近もマグダレーナが豪腕ぶりを発揮して、王子達三人とその婚約者を纏めて、ぐはっ!」
どう見ても面白がっているようにしか見えないリロイが、更なる暴露をしようとした瞬間、彼の顔面に下から飛来した物が激突した。その衝撃でリロイは呻き声を上げ、片手で顔を押さえて蹲る。その横でネシーナが、直前に彼の顔面に見事に激突させた布袋を手に提げながら心配そうに声をかけた。
「あら、リロイ様、ごめんなさい。顔の周りに虫が寄ってきて、払おうとしたら当たってしまいましたわ。中に硬い物が入っていましたし、痛かったですか?」
「……い、いや、大丈夫だ」
「良かった。それでは私達の買い物は済んでいるので、表に出ていますから。皆さんはゆっくり買い物を楽しんでくださいね。さあ、リロイ様」
「ははは、年々私への愛が重くなってくるね、ネシーナ」
「世迷い言を言っていないで、行きますよ」
半ば強引にリロイを立たせたネシーナは、まだ幾分よろめいているリロイの手を引いて店の外に出て行った。残された四人は、そんな彼らを呆気に取られて見送る。それからいち早く気を取り直したマテルが、真顔でマグダレーナ達に申し出た。
「誠に申し訳ありません。そちらのお邪魔は極力しないようにいたしますので、移動の間にでも殿下の日常生活について、お話を伺わせていただけないでしょうか?」
「マテル、幾ら何でもご迷惑だから」
エルネストは明らかに困惑していたが、マテルが彼のことを本心から案じているのが見て取れた二人は、顔を見合わせて囁き合う。
「マグダレーナ様、どうしましょう……」
「まあ、行き先も一緒だし。わざわざ別行動するのも変だし、する必要もないわよね。別にこちらが悪い事をしているわけでもないのだから」
「それはそうですよね。それに、なんかあのマテルさんって、これまで色々とご苦労されているみたいで、見ていて気の毒で」
「本当にそうよね。私達と、それほど年齢差はないと思うのに……」
そこで小さく頷き合った二人は、マテルに笑顔を向けた。
「構いませんわ。行き先が同じですし、その合間にお答えすることくらい」
「マテルさんは、本当に殿下が心配なんですね。私達では大したお話はできないと思いますけど、それでも良かったらご一緒しましょう」
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
そんな意気投合した三人を横目で眺めたエルネストは、小さく溜め息を吐いた。




