(6)辣腕
「リロイ殿、マグダレーナ嬢。お邪魔してもよろしいですか?」
背後から聞き覚えがある声が聞こえた事で、マグダレーナは戦慄した。
(は? ちょっと!? どうしてこんな所に、自分からのこのこやって来るのよ! せっかくあなたと紐付けした噂を打ち消すのに一芝居打った後なのに、台無しじゃない!!)
僅かに顔を引き攣らせながら、マグダレーナはゆっくりと振り返った。対するリロイは彼女の肩越しに彼が歩み寄ってくるのを目にしていたため、余裕の笑みで応じる。
「おや、エルネスト殿下。まさか殿下のお声がけを無にする者など、この場にはおりますまい。どうぞお気遣いなく」
「そうかな? マグダレーナ嬢は結構嫌そうだけど」
チラッとマグダレーナに視線を向けたエルネストは、おかしそうに笑った。それに彼女が言い返す間もなく、リロイが笑みを深めながら断言する。
「妹は気にしないでください。常日頃から私が奔放な分、気難しいタチなので」
「そうなのか。色々と大変だね」
「殿下ほどではありませんよ」
リロイの台詞には、軽い皮肉が含まれていた。しかしそれに気付いているのかいないのか、エルネストは笑顔のまま話を続ける。
「それもそうだね。これだけ楽しくて、仲の良い兄がいるなら」
「マグダレーナの下には妹が二人いましてね。姉妹で集まると賑やか過ぎて困るぐらいです」
「本当に仲が良くて結構だね。羨ましいよ」
(この人、一体何をしに出向いてきたのよ……)
徐々に周囲からの視線を集めているのを感じたマグダレーナは、気が気ではなかった。そこで世間話から一転、リロイがさりげなく彼に尋ねる。
「それはそうと、殿下は私達に何か話でもおありなのですか?」
「特に話したいことがあったわけでは無いけど、さっきここで何やら揉めていなかったかい?」
その問いかけに、リロイは不思議そうに首を傾げてみせた。
「揉めたとは? 先ほどと仰いますと、バナン殿とルーラン殿とのやり取りでしょうか? 特に揉めた記憶は無いのですが。マグダレーナ、そうだろう?」
「はい。お互いの認識と意見に少々の相違があったのは確かですが、お二人は揉めることなくお引き取りになりましたし」
「そうか。それなら良いよ」
あっさりと話を終わらせたエルネストに、マグダレーナは安堵しつつも、更に面倒な事態になったりはしないか、慎重に相手の出方を窺った。するとここで、リロイが予想外の事を言い出す。
「ところで、殿下は今回もお一人での参加ですね。そろそろ公式行事の場合には、適当な女性に同伴をお願いしてはいかがですか? 同伴者がおられなくとも、こういう舞踏会では女性にダンスを申し込むものですよ。パートナーとしか踊れないわけではありませんし、王族たるもの交友関係を広く持たなくては」
(ちょっと、お兄様!? いきなり何を言い出すの!! それなら私と踊るとか言い出されたら、困るのはこちらですけど!?)
したり顔で意見を述べた兄の横面を、マグダレーナは本気で殴り倒したくなった。するとリロイの話を聞いたエルネストは、苦笑いの表情になりながら告げる。
「う~ん、リロイ殿の言い分は尤もなのだけど、普通に考えて私が頼んでも引き受けてくれるような女性がいないものでね」
エルネストがそう口にした瞬間、リロイが勢いよく彼の手首を掴んだ。そのまま有無を言わさず、会場の一角を目指して歩き出す。
「それはいけませんね。それでは私がダンスへの誘い方を間近で実演して見せましょう。さあ、行きますよ!」
「え? あの、リロイ殿?」
「さあさあ、こちらにどうぞ! 遠慮なさらず!」
「はぁ……」
満面の笑みで、エルネストを半ば引きずっていく兄を見送ったマグダレーナは、変な緊張から解放されて深い溜息を吐いた。
(焦った……。そしてお兄様、強引すぎます。でも、力業でも自分のペースに持ち込んでしまう辺り、さすがと言えばさすがだわ……)
自分はまだあの域には達していないわねと少々自虐的に考えていると、控え目に声がかけられる。
「マグダレーナ様、少しご一緒させていただいてもよろしいでしょうか?」
振り返ったマグダレーナは、家がゼクター王子派に属しているせいで近年交流が途絶えていた女性の顔を認め、笑顔で頷いた。
「あ、エミリー様、ご無沙汰しております。久しぶりにお会いできて嬉しいです」
「私もですわ」
挨拶の後にいくつかの世間話をした後、エミリーが恐縮気味に尋ねてくる。
「先ほどの話が漏れ聞こえてきたのですが……、キャレイド公爵家の家督相続のお話は本当のことですの?」
その問いかけに、さきほどのエルネスト殿下とのことは大して意識されていないと判断したマグダレーナは、穏やかな笑みを浮かべながら応じた。
「そのような可能性もあるという話ですわ。両親がまだまだ当主夫妻として立っているのですから、可能性を早々に狭めてしまうのは勿体ないと思いませんか?」
「それもそうですわね。それで……、国王陛下のお考えに関してですが……」
「それこそ一臣下にすぎない若輩者が、陛下のお考えを代弁するなどと不遜な物言いはしませんわ。あくまでもこういう可能性があるのではないかと、一例を挙げてみただけです。誤解なさらないで」
「ええ、分かりましたわ。……あら?」
「どうかされましたか……」
ふと会場の一角に目を向けたエミリーが、怪訝な顔つきで口ごもった。反射的に彼女の視線の先を確認したマグダレーナも、何とも言えない表情になって押し黙る。先ほど離れていった二人が若い女性達の集団に混ざり、何やら会話しているらしいのが目に入ったからだった。正確に言えばリロイが一方的に話しかけているように見えたが、相手の女性達は若干引き気味ではあっても、王子と公爵令息を真っ向から拒否できずに難儀している様子が見て取れた。
「あの集団は、ユージン殿下派のご令嬢の集まりですね」
「何やらヘラヘラと話しかけているように見えますが……、あそこで何をしているのやら……」
怪訝な顔で彼女達が離れた場所から様子を伺っていると、少しして事態が動いた。
「ええと……、リロイ様が踊られるのは構いませんし、女性をとっかえひっかえ踊っておられるのはいつもの事で、あ、いえ。申し訳ありません……」
「お気遣いなく……。ですがどうしてエルネスト殿下まで、あの中の一人と踊ることになったのでしょう」
「私、エルネスト殿下がどなたかと踊るのを、始めて目にした気がするのですが……」
「そうですか。実は私もです……」
うっかり本音を漏らしてしまったエミリーを宥めつつ、マグダレーナも見慣れない光景に唖然とするばかりだった。更に一曲踊り終えた二人は、再び一緒に移動して他の女性達が集まっている場所に押しかけていく。
「……今度はゼクター王子派の集団ですわね」
「我が兄ながら、あの行動力と攻略手腕には呆れてものが言えませんわ」
そうこうしているうちにリロイとエルネストが、それぞれ女性の手を取って大広間の中央に向かって歩き出していく。
「そして、またお二人とも相手が決まりましたわね……」
「一体、どんな手段を使ったのよ。あの天然性悪詐欺師」
マグダレーナが思わず悪態を吐くと、それを聞いたエミリーは一瞬驚いた表情になったものの、すぐに楽しげに囁いてきた。
「マグダレーナ様も、そういう物言いをなさいますのね」
それで我に返ったマグダレーナは、幾分決まり悪げに懇願する。
「今のは、聞かなかったことにしていただければ助かります」
「はい。私達だけの秘密ですね」
にっこりと穏やかに笑って応じてくれたエミリーを見て、マグダレーナも自然と笑顔になった。そして舞踏会は複数の噂や話題が錯綜し、マグダレーナとエルネストを紐付けるような噂は完全に埋没してしまったのだった。




