(32)想定外の事態
放課後、終礼が終ると同時に教室から何人かの生徒が廊下に駆け出して行ったのを見て、シェリーを初めとする何人かがマグダレーナを囲みながら首を傾げていた。
「なんだか今日は、ざわついていますわね。先程から何人か、急いで教室を出て行かれたみたいですし。何かあったでしょうか?」
「そういえば今日の放課後に、この前の定期試験での成績優秀者が掲示されるのではなかったかしら?」
一人が何げなくそう口にすると、周囲が納得したように頷く。
「ああ、そうでしたわね。ですが学年で上位五十位までの方と聞いていますから、自分には関係ないと聞き流しておりました」
「そうですわね。大抵は官吏科への進級を目指す平民の方の名前が殆どでしょうから。レベッカさんやローニャさんの名前は、出ていると思いますけど」
「ですが五十位までだと、貴族の方も優秀な方は名前が挙がりますよね?」
「そうですわ。マグダレーナ様のお名前も挙がっているかもしれませんわね。皆で見に行きませんか?」
「どのみち寮に戻るには、あそこのホールを通りますしね」
そんな話をしながら全員が私物を鞄に纏めて歩き出したところで、レベッカが教室に駆け込んできた。
「マグダレーナ様! 大変です!」
「レベッカ? そんなに慌てて、どうかしたの?」
「とにかく、急いで来てください!」
「え? あ、レベッカ!? ちょっと待って!」
血相を変えて駆け寄ったと思ったら、レベッカはマグダレーナの手首を掴んで有無を言わさず再び駆け出して行った。それを呆気に取られて見送った周囲は、遅れて彼女達の後を追う。
「何事でしょうか?」
「私達も行ってみましょう」
「ええ」
わけが分からないまま連れ出されたマグダレーナは、廊下を早歩きで進む間にも一歩先を進むレベッカに説明を求めてみたが、要領を得ない言葉だけ返されて詳細を聞き出すのを諦めた。
そうこうしているうちに校舎の正面玄関ホールに到達し、そこの奥まった壁に向かう。
「……おい」
「あれが?」
壁の一角に人だかりができており、そこに近付くにつれて無遠慮な視線がマグダレーナに集まった。そしてあまり好意的ではない囁き声に彼女が僅かに顔を顰める中、レベッカが足を止める。
「レベッカ? 一体何事なの? 説明して欲しいのだけど」
「あれをご覧ください」
「あれって? ああ、この前の定期試験の成績優秀者の発表……」
強張った表情のレベッカから指し示された場所に視線を向けたマグダレーナは、教養科学年の成績優秀者リストの最上位に自分の名前を認めて口を閉ざした。
(全力で取り組んではいたけど、さすがに平民の優秀な方には及ばないと思っていたのに。嬉しい誤算と言うか、想定外の悪目立ちと言うか……)
併記されている総合点数では僅差ながらも二位のグレンを制しており、マグダレーナは思わず遠い目をしてしまった。遅れてやって来たシェリー達もその掲示を目にして、驚くのを通り越して呆然となる。
「嘘……、え? 本当?」
「マグダレーナ様、凄すぎます……」
周囲がざわつく中、ここで甲高い声が響き渡った。
「まぁあ……、マグダレーナ様は普段から傍若無人な方だとは思っていましたが、恥というものをご存じなかったようですわね」
「全くですわね。あなたのような方が公爵家のご令嬢だとは、キャレイド公爵家のお家柄が知れますわ」
すっかり聞き飽きてしまったその声に、マグダレーナがうんざりして背後を振り返る。すると例に漏れず、フレイアとメルリースが取り巻き達を従えて挑戦的な態度で佇んでいた。
(相も変わらず、私に突っかかる時だけは気が合うみたいね。まあ、何を言いたいのかは、大方予想が付くけど)
そこでマグダレーナは頭の中で素早く計算を巡らし、不敵な笑みを浮かべながら口を開く。
「フレイア様、メルリース様。お二人とも、今何と仰いました? 何やら私が恥知らずだとの発言のように聞こえましたが、責任のあるお立場なら万人にその意図が伝わるように、お言葉は慎重に選んだ方がよろしいかと存じます」
その言葉に、二人は高飛車に言葉を返した。
「勿論、言葉選びを間違ってなどおりませんわよ? あなたが鼻持ちならない厚顔無恥な人間だと言いましたもの」
「そもそもキャレイド公爵家自身に、問題があるのかもしれませんわね」
(そう……。面と向かって喧嘩を売って来るなら、試験と同様に全力で二人まとめてお相手して差し上げてよ!?)
ここでマグダレーナの精神状態は、徹底抗戦モードに切り替わった。横で彼女の表情を窺っていたレベッカは、ここで気配を消しながら慎重にその場から立ち去る。そんな彼女の不在にも気付かないまま、マグダレーナは口調こそ穏やかに二人に語りかけた。
「フレイア様、メルリース様。今の台詞は私に対する誹謗中傷の類だと、理解しておられますか? ご友人の皆さんも、こういう場合は指摘して差し上げるべきではないでしょうか?」
「あら。どこが誹謗中傷だと仰るの?」
「本当に、どこまでも図々しいこと」
「私の言動の何を以て、厚顔無恥だと仰るのですか?」
「れっきとした貴族のあなたが、平民を押し退けて一位の成績を取れるはずないではありませんか!!」
「陰で教授達に賄賂を渡して、成績の改竄を命じたのでしょう! これを恥知らずと言って何が悪いのです!!」
揃って声を荒らげ、一方的に決めつけた上で糾弾の言葉を放った二人を目にして、マグダレーナは笑いの発作に襲われた。
(これはこれは……。どちらも大して頭は良くないとは思ってはいたけれど、ここまでとはね。しかもこんなに大勢の目のある所で、堂々とは。恐れ入ったわ)
「あらあら、図星のようで言葉も出ないとみえ」
「ぶふっ! あ、あははははっ!! お、おかしいぃっ!! やだ、笑えるっ!!」
何とか堪えようと思ったものの、すぐにお腹を抱えて爆笑してしまったマグダレーナを見て、二人は呆気に取られた。しかしすぐに怒気を露わに叱責してくる。
「なっ、何がおかしいのです!?」
「人を馬鹿にするのもいい加減になさったら!?」
そこでなんとか笑いを抑えたマグダレーナは、目尻に浮かぶ涙を指で拭いながら笑顔で言い放った。
「貴族は、平民よりも良い成績は取れないと仰るわけですね。そう思うのは個人の勝手ですが、ご自分の成績を基準に考えないでいただけますか? はっきり言わせていただければ、迷惑極まりないですわ」
「何ですって!?」
「失礼にも程があるわよ!?」
「失礼ですか? 私に言わせれば、お二方の方が先程から余程失礼な言動をされているのですが」
突如勃発した女同士の言い争いに誰も割って入れず、成り行きを固唾を飲んで見守るのみだった。




