(11)知られざる暗躍
「婚約者、義理の姉って……」
完全に思考が停止し、空しく口を開閉させているマグダレーナを気の毒そうに見やってから、ネシーナが詳細について説明し始めた。
「順を追って説明しますと、私が五歳、リロイ様が六歳の時に某伯爵家の子どもの集まりに参加しました。そこであの方いわく『運命の出会い』をいたしました」
そこでなんとか正気に戻ったマグダレーナが、鋭く突っ込みを入れる。
「お待ちください。今、五歳と六歳とか聞こえたのですが、私の聞き間違いでしょうか?」
「いえ、間違っておりません。五歳と六歳です。そして初対面での第一声が『ついに出会えたね、私の女神』でしたので、当時の私のあの方に対する第一印象は、『何を言っているのかしら、この変な子』でした」
どこか遠い目をしながら語る未来の兄嫁を見て、マグダレーナは早くも頭痛がしてきた。
「申し訳ありません。当時から続く兄の非常識と変人っぷりに関して、妹として深くお詫び申し上げます。もしかしたら……、いえ、もしかしなくても、その後も色々な面でご迷惑やご心労をおかけしてきたのでは……」
「大丈夫です。あれから十何年も経過して、今ではもう慣れましたから」
「本当に申し訳ございません!!」
(お兄様!! いかにも常識人っぽい女性にここまで言わせるなんて、一体これまでどんな非常識な言動でこの方を振り回してこられたのですか!? 家族ならともかく赤の他人に対して、手加減とか配慮とかを全くされてこなかったのなら、流石に兄妹の縁を切りますわよ!?)
ネシーナの一見穏やかな微笑みに、この境地に達するまでどれだけの苦労と困惑と鬱屈を乗り越えてきたのだろうかと、マグダレーナは本気で泣きたくなってきた。しかし泣くより先にしなければいけない事があると気を引き締め、慎重に問いを重ねる。
「ネシーナ様、一つお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「はい、どんな事でしょうか?」
「先程仰られた通り、かなり前から兄との婚約が成立していたようですが、それが一切表に出なかったのはどうしてでしょうか? それに、妹の私にも知らされていなかったのはなぜでしょう? まさか両親も、この事実を知らないのでしょうか?」
本人同士の口約束だけなど、貴族同士の縁組として非常識極まる事態であれば、さすがに制裁を加える気満々でマグダレーナが確認を入れた。それに対しネシーナは小さく首を振ってから、順を追って説明してくる。
「まず一つ目の質問に対する答えですが、それは私の家が裕福とは程遠い子爵家で、公爵家嫡男との縁組など傍目には釣り合わない事。それと両親の資質に問題があったせいです」
「家格の違いについては、確かに周囲が妬んで横槍を入れてくるとか、ネシーナ様を排除しようとする心得違いな者が出てくるかもしれません。それで対外的には秘密にしたというのは分からないでもありませんが……。ご両親の資質とは?」
「正式にキャレイド公爵家から縁組の申し入れがあったのは私が十歳の時ですが、その時に両親が狂喜乱舞して周囲の人間に吹聴したり、キャレイド公爵家と縁続きになるからと言って借金の申し込みをしたりしたのです」
そこまで聞いたマグダレーナは、本気で呆れ返った。
「はぁ? 下手をすると貴族社会でネシーナ様がつま弾きにあったり、危害を加えられる可能性すらあるのに、根回しも何もせずそんな事を? しかも我が家と縁続きになるからと言って、借金の申し込みとか正気ですか?」
「ええ。実の娘である私から見てもありえません。それでリロイ様が、静かに激怒されました」
「……ちなみに、兄がどう静かに激怒したのか、伺っても良いですか?」
ここで既に穏便な話で終わるわけがないのを、マグダレーナは悟ってしまった。そして予想通り、当時まだ少年だった筈のリロイの暗躍ぶりは容赦がなかった。
「私との婚約話は事実無根と綺麗に消し去り、両親は正常な判断力を持たない妄想を垂れ流す廃人として、あれ以来領地の片隅の屋敷で蟄居しています。それで我が家の領地は、この間キャレイド公爵家差し回しの管理人にしっかり治めていただきました。私や兄姉の教育も問題なくご配慮いただき、兄が当主として昨年管理人から引継ぎを受け、正式に領地の差配を始めています」
「あの……、その噂が立ったのは、兄が十一歳の時、ということですよね?」
「はい、その通りです。もう本当に、色々な意味で容赦なかったですわね」
「兄の……、周囲の目を欺く擬態と容赦の無さは、以前から良く存じていたつもりでしたが……」
まだまだ自分の認識が甘かったらしいと、マグダレーナはがっくりと肩を落とした。
「それで二つ目の質問ですが、『マグダレーナには、ギリギリまで内緒で。面白そうだから』とリロイ様が仰られたのです。最後の質問ですが、勿論キャレイド公爵夫妻はご存知です。特に奥様からは、次期公爵夫人としてこれくらいの教養は身に着けておくようにと、指導する方々を派遣していただきました」
(全然聞いていないのだけど。お母様まで、涼しい顔をしてそんな事を……。時折私に対して『リロイの相手が決まらなくて、本当に心配よ』などと愚痴を零していたのが、完璧に演技だったわけですのね!? 実の娘にまでしらを切る必要が、どこにあるのですか!?)
家族の中で自分だけが除け者だったのかと、事ここに至って、マグレーナは呆れるのを通り越して怒りを感じ始めてきた。するとその微妙な変化を感じ取ったのか、ネシーナが幾分心配そうに声をかけてくる。
「あの……、マグダレーナ様。黙っていて、申し訳ありません。気を悪くなさいました?」
そこでマグレーナ我に返り、苦笑いで彼女に応じる。
「いえ、内緒も何も、これまでネシーナ様とは面識はありませんでしたし、気を悪くしたりはいたしません。寧ろ、あの性格破綻者の兄が相手で本当に良いのかと、妹として申し訳なく思っているくらいです」
「性格が破綻しているのは否定しませんが、ああ見えて情が深い方なのは存じ上げています。それに先程も申し上げましたが、もうすっかり慣れましたから」
「慣れてはいけないと思います!」
マグダレーナが反射的に力説すると、ネシーナとユニシアは一瞬呆気に取られてから、揃って笑い出した。マグダレーナもそれに釣られて笑い出し、隠し部屋の中には少しの間、楽しげな笑い声が響いていた。