第二話:永遠の綻び~律花、二〇一五年初夏~②
「終わったああああ!」
三限終了のチャイムが鳴り響くと同時に、あたしは握っていたシャーペンを放り出し、机の上に突っ伏した。「藤間、うるさいぞー」教卓で試験監督をしていた教師があたしを咎める声が飛んできたけれど、気にしない。
(いやー、ついにやっちゃったよー!)
あたしは後ろから回されてきた答案用紙に自分の答案用紙を重ねながら、口元を綻ばせる。今回はいつもと違ってしっかりと手応えを感じられたと思う。
英語のテストを空欄なくすべて埋められたのはこれが初めてだ。ゴールデンウィーク中にLI-NGで通話しながら勉強を教えてくれたトワのおかげだ。
(トワは確か、テスト明日までって言ってたっけ……)
あたしは答案用紙を前の席に回しながらそんなことを思う。すぐにでもLI-NGでトワにお礼を言いたかったけれど、彼の邪魔になりたくなくてあたしは思いとどまる。それにそもそも学校でスマホ出すの禁止だし。
「今日はこれで終わりだ、帰ってええでー。テスト終わったからってはしゃぎ過ぎないようにしいや」
試験監督をしていた榎本は、答案用紙の枚数を数え終えると、解散を告げた。健康サンダルをぺたぺたと鳴らしながら、榎本は教室を出ると、職員室へと向かって去っていく。
あたしが半透明のホログラムのペンケースにシャーペンと消しゴムをしまっていると、最後尾の席からボブヘアをお団子ハーフアップにした女子が近づいてきた。去年から仲のいい葉山瑚夏だ。
「瑚夏、お疲れ」
「律花、最後の英語どうやったー? って、さっきの感じだと聞くまでもないか。珍しいやん、何かあった?」
「ネットの友達に勉強教えてもらった」
「それって例のSSってゲームの人? 東京の中学生」
「そそ」
あたしが頷くと、ふうんと何か言いたげに瑚夏はこちらを見た。
「律花ぁ、ゲームもええけどさー。たまにはリアルのうちらとも遊ぼうよー。楓佳ともテスト終わったら遊び行こって話しててさ」
「ええけど、今日?」
スクールバッグにテストの問題用紙と筆記用具をしまうと、あたしは立ち上がる。瑚夏と一緒に教室を出ると、髪を編み込みツインにした同じクラスの女子――友人の尾花楓佳が廊下の窓辺で佇んでいた。彼女はあたしと瑚夏に気づくと声をかけてきた。
「律花ー! 瑚夏ー!」
「楓佳、お待たせー!」
瑚夏は楓佳へと飛びついた。テスト明けだっていうのに元気だなあと思いながら、あたしは楓佳へと軽く手を上げて応じてみせる。
「それで、瑚夏。律花のことは上手いこと籠絡できたん?」
「籠絡って……」
たぶんさっきの遊びに行こう云々のことだろうなあと思いながら、過激な言葉をあえて選んだ楓佳へとあたしは突っ込む。瑚夏は楓佳に抱きついたまま、
「それがさあ、あともう一押しって感じなんよ。楓佳からも何か言ってやってよ」
「律花、たまにはわたしたちとも遊び行こうよ。ゴールデンウィークはテスト勉強あったから仕方ないにせよ、春休みは忙しいの一点張りで全然遊べなかったやん。明日からはわたしたちもまた部活始まるし、今日くらい付き合ってくれてもええんと違う?」
楓佳は吹奏楽部、瑚夏はバスケ部で日々忙しくしている。こうして、テストの関係で部活が中止になっている今は、二人と遊べる稀有な機会でもあった。
「いや、行かないとは言うてへんやん。それに、まあ……春休みのことは悪かったと思ってないわけやないし……」
あたしが口の中でごにょごにょと言っていると、作戦成功、と瑚夏はにんまりと笑った。
「それじゃ、決まりね。今日、帰ったら十三時に駅集合。JRじゃなく、市営地下鉄の方ね」
「了解。今日はどこ行くん? カラオケ?」
あたしが聞くと、楓佳は纏わりつく瑚夏を引き剥がしながら、
「それもやけど、その前に河原町のスイーツ食べ放題行こうと思って。ええ加減いちごのスイーツフェア終わっちゃうやろし。……ほーら、瑚夏、離れてってば。暑い」
あたしは瑚夏の制服のブラウスの襟ぐりを掴むと、彼女を楓佳から引き剥がすのを手伝ってやる。瑚夏は何やらぶうたれていたが、帰ろ、とあたしは彼女と楓佳を促して歩き出した。
窓の外、昇降口前のアスファルトが夏めいた日差しでじりじりと灼かれている。今日何着ていくー、などとあたしは友達二人と一緒に他愛のない会話に花を咲かせながら階段を降りた。
デニムジャケットに英字ロゴが入った白のパーカー、膝丈の黒いガウチョパンツ。白いレースの半袖ブラウスに大判の花柄のスカート。
十二時五十八分、市営地下鉄の切符売り場横に私服姿の見慣れた少女二人を認め、あたしはざっと自分の姿を見下ろした。
今日のあたしの服装は、オレンジのギンガムチェックのオフショルダーのブラウスとスキニージーンズだ。普段、制服ということもあって、あまり服装に頓着しないあたしのブラウスは去年買ったものだし、スキニージーンズに関してはいつ買ったものなのか判然としない。ただ、瑚夏と楓佳に比べて、流行遅れの格好なのは明らかだ。
「お待たせー」
あたしが声をかけると、もー遅ーい、と瑚夏が口を尖らせた。
「五十五分の電車乗ろうと思ってたのにー」
「……いや、待ち合わせ、十三時やったよね?」
半眼で突っ込みながら、あたしはICカードを改札に翳す。階段を降り、ホームへと向かうと、次の電車は十三時五分に来るらしいことが、天井から吊るされた電光掲示板に表示されていた。
五分後、オレンジと臙脂のラインが入った太秦天神川行きの列車が一番線に入線してきた。列車とホームドアが開くと、あたしたちは列車に乗り込んだ。
平日の真っ昼間ということもあってか、列車の中は空いていた。あたしたちは三人並んで座席へと座る。電車のドアとホームのドアが閉まり、発車音とともに列車が横へと滑り始めた。
真ん中に座った楓佳がスマホでスイーツ食べ放題の公式サイトを開く。あたしと瑚夏は両脇から彼女のスマホを覗き込む。
「どのコースにしよか?」
楓佳に聞かれ、あたしはサイトの一番下に記載されていた通常コースを指さした。
「これでええんとちがう? 一番安いし」
「あ、待ってよ。一個上のスペシャルコース、学割きくから値段変わらへんよ」
サイト下部に小さく書かれていた学割適用の文字を見咎めて、瑚夏が口を挟む。
ああでもないこうでもないと言い合いながら、あたしたちは乗り換え駅の烏丸御池まで列車に揺られ続けた。




