最終話:きみとキミの境界線~晴翔、二〇一九年夏~④
気がつけば、最後に送ったスタンプに既読がついてから三十分が経っていた。京都駅は大きな駅だが、いくらなんでも遅くはないだろうか。
(もしかして……土壇場で僕と会うのが嫌になった?)
何か彼女の気に障るようなことを言ってしまっただろうか。気持ち悪がられたり怖がられたりするようなことを言ってしまっただろうか。僕はLI-NGの画面を下から上へと遡り、何か不適切な発言がなかったか具に確認していく。改めて読み直してみても、特におかしなことは言っていない気もすれば、発言のすべてがそこはかとなく気持ち悪いような気もして、余計にわからなくなっていく。混乱しながらも、僕はレナと連絡を取るべく、画面へ指を滑らせる。
「ねえ、レナ、今どこにいるの? もしかして、会うのが怖くなった? もし、知らないうちにレナが嫌なことしちゃってたんだったら言って。謝るから」
どきどきと嫌な鼓動が胸を内側から打ち付ける。レナから返事はないし既読もつかない。移動してて気づいていないだけならいいけれど、これから会うことに対する暗黙の拒否だったらどうしよう。
三分ほどして、先ほど送ったメッセージに既読がついた。彼女がメッセージに気づいてくれたことに、僕は少し安堵を覚える。
「そういうんじゃないよ。心配させてごめんね。トワが来るまで中央口のカフェで時間潰してたんやけど、ちょっとお腹冷やしちゃって。お手洗い寄ってたんだけど混んでて時間かかっちゃった」
「大丈夫?」
「うん、大丈夫。自業自得やし。まだもうちょっと時間かかりそうやから、よかったらスターフロント入って待っててよ。スターフロントって、今、新作の桃のフラッペ出てるやろ? それでも食べてて」
「……え?」
レナの言葉に違和感を覚えて、僕は店の前に貼られたポスターを見る。今年の夏の新作フラッペは巨峰とシャインマスカットだ。僕の記憶によれば、桃のフラッペが出てたのは去年の話のはずだ。戸惑う僕をよそに、レナは無邪気に話を続けていく。
「フラッペといえば、今年の春、ほうじ茶のやつ出てたやろ? 桃もほうじ茶も食べたけど、個人的にはこっちの桃の方が好きやな。いかにもスイーツって感じがしてさ」
「ちょっと待って、レナ。何言ってるの?」
おかしい。明らかに何かがおかしい。今年の春にスターフロントで出ていたフラッペは抹茶のはずだ。何かが少しずつ噛み合っていない。
「何って、スターフロントのフラッペの話やけど?」
「レナ。桃のフラッペもほうじ茶のフラッペも去年の話だよね? もしかしてふざけてる?」
そんなことないよ。レナから否定の言葉が返ってくる。
背筋がぞくりとした。まさか、とは思った。しかし、嫌な想像が脳裏に広がっていく。
去年の秋、一年ぶりに連絡をとり始めた彼女はしばらくの間、僕に対して妙な態度を取っていた。何というかレナにしてはやたらとよそよそしく他人行儀だったのだ。
それにこの一年、よく考えてみれば、彼女の”声”を聞いていない。喉の手術の影響やら、風邪やら、部活の大会が控えているやら、いろいろな理由をつけて通話を断られてきた。理由が理由なだけに納得してしまっていたが、よくよく考えればそんな偶然ばかりが続くのは何だか妙だ。
そして、地元民であるはずのレナはこの新幹線中央口のスターフロントを知らなかった。更に、彼女が口にしたフラッペの情報はすべて去年のものだった。
一つ一つの違和感は小さなものに過ぎない。それでも、これらのピースを繋ぎ合わせていくと、とある一つの可能性に行き着く。
(もしかして、彼女は……)
彼女にその事実を確かめるのは怖かった。もし、今僕の胸の中にある疑惑を彼女に肯定されてしまったらと思うと恐ろしくて仕方なかった。それでも、気づいてしまった以上、僕は彼女に聞かずにはいられなかった。
「ねえ、きみは誰なの……? きみ、レナじゃないよね……?」
一秒、二秒、三秒。メッセージに既読がつくまでの間がやたらと長く感じられた。
「気づかれちゃったか。やっぱりトワには隠しごとはできへんなあ」
そんな、と僕は思わず呟いた。やっぱり彼女はレナではないという僕の直感は正しかったのだ。
「あのね、トワ。あたしは、トワが知っているレナ――藤間律花であって藤間律花じゃない」
「どういうこと?」
レナ――律花であって律花でない。言葉の意味が理解できなかった。今までLI-NG越しに話していた相手の口調がレナを模倣したものから、機械的な丁寧語へと変化していく。それは、去年の秋に再び連絡を取り始めたころのレナの語調と同じものだった。
「今、トワが話しているあたしは、律花が作ったAIなんです。生前の律花の記録――スマホの日記アプリのデータやSNS、SSのチャットログのすべてを取り込んで学習した、律花の擬似人格とでもいうべきものです」
彼女が何を言っているのか僕には理解しきれなかった。けれど、LI-NGを介して話している相手は、気になるワードを口にしていた。
「生前の律花、ってどういうこと……? まさか、レナは……藤間律花っていう女の子はもうこの世にいないっていうこと?」
「二〇一七年十月十二日、藤間律花は薬物の大量摂取によって自殺しています」
「自殺って、何で……! どういうこと!?」
目の奥が熱くなった。あまりの事実に鼻の奥がつんとした。どうして彼女は自殺するほど追い込まれていたというのに、何も言ってくれなかったのだろうか。なぜ、そんなに苦しんでいたというのに、何も相談してくれなかったんだろうか。僕の存在は、彼女にとってそれほどまでに軽く、頼りないものだったということなのだろうか。
「生前の律花は、合唱部内での人間関係に悩んでいました。同じパート内でトリオを組んでいた瀧川心春という少女がいじめに遭い、退部に追いやられました。律花は、彼女のことを庇えなかったことをずっと悔いて苦しんでいました。これは、二〇一七年のゴールデンウィーク明けのころのことです」
あのころのレナはそんなこと一言も口にしてなどいなかった。僕は彼女の苦悩などつゆ知らず、自分のことやゲームのことばかり話していた。
「梅雨に入るころには、律花はストレスが元で起立性調節障害を患い、眠れなくなっていました。そのころから律花はAIを作るための勉強を始め、同時に自傷行為を繰り返すようになっていきました」
そういえば、そのくらいの時期に一度、レナから早朝に電話がかかってきたことがあった。今思えば、あれが追い詰められたレナなりの精一杯のサインだったんだろう。レナの様子がおかしいと思いながらも、あれ以上踏み込めなかった自分が悔やまれる。あのとききっちり彼女に何があったのかを問いただして、少しでも彼女の支えになれていたのなら、今日この場所に彼女は来てくれていたかもしれない。きっとあれが本当のレナと残された彼女のAIを分けた境界線だったのだろう。
「夏休みに入るころには大会の選抜メンバーに選ばれながらも、律花は部活に出られなくなり、二学期に入るころには学校にすら行けなくなっていました。そのうちに彼女はストレスから嗄声をも患い、声を出すことすら叶わなくなりました。そして、大会を控え、部活に顔を出さなくなってしまった彼女が部内での次のいじめの対象に選ばれたのは当然の流れでした」
「そんな……レナは体調を崩していたんだから部活に出られないのもしょうがないじゃないか。なんでそんなことでいじめられなければならないんだ……!」
「律花は一年生で唯一、大会の選抜メンバーに選ばれていて、そのことで周りの嫉妬を買っていました。そんな人間が、部活を休むようになればいじめの矛先が向けられてしまうのは当たり前です」
「そんなことがあったなら言ってくれれば良かったんだ。相談してくれればよかったんだ。大事な友達の話なら、ほかでもないレナの話なら、僕はいくらだって聞いたのに」
なのに、レナは僕には部活が忙しくて疲れているとしか言ってくれなかった。きっとあの朝、僕が彼女の話を聞いてあげられなかったから、彼女は僕のことを頼ってくれなかったのかもしれない。不甲斐なさと悔しさで僕は唇を噛む。
「律花はあなたに心配をかけたくないと思っていました。何度も律花はあなたに相談したいと考えていましたが、その思いが彼女に歯止めをかけました」
「そんなふうに一人で抱え込むくらいなら、僕は話して欲しかったよ。レナは……馬鹿だよ。誰にも相談しないで苦しんで、追い詰められて……とんでもない大馬鹿だよ……。なんで、ODなんて……自殺なんて……」
「律花は自殺した日、中間テストのために久しぶりに登校していました。下駄箱に入れられた画鋲や破られた楽譜、虫の死骸などそういったものも要因の一つだったかもしれませんが、一番の原因は部内でのいじめを先導していた神尾梨汐という生徒と運悪く校内で遭遇してしまったことでしょう。大会をすっぽかして部活を休み続けたことを彼女に詰られ、何も言い返せなかったことが引き金となって、律花は自死を選びました。律花が記録に残しているのはここまでです」
画面に表示された文字が滲んだ。スマホにぽたぽたと雫が落ちていく。
たとえ何もできなくても、せめて心配くらいさせてほしかった。苦しい、辛い、と言って欲しかった。僕の知らないところでそんなふうにレナが苦しんでいたという事実が悲しく辛かった。何も知らずにのうのうと日常生活を送っていた自分が憎くすらあった。
僕の手の中からスマホが抜け落ち、ごとりと通路の床に転がった。それにも構うことなく、僕はへなへなと通路へとしゃがみ込む。
「うっ、あっ………うあああっ……」
胸が張り裂けてしまいそうなくらい痛かった。ぼたぼたと涙が滴り落ちて止まらない。人目も憚らずに僕は慟哭した。
僕の様子を異様に思ったらしい通りすがりの人々がどよめいているのが聴覚の表面を通り過ぎていった。大丈夫かと僕の身を案じる知らない誰かの声が耳をすり抜けていく。
カフェの前に蹲って僕は泣き声を上げ続ける。彼女と会うはずだったこの場所には喧騒と夏のむっとした熱気が立ち込めていた。
本作はこれにて完結となります。これまでお付き合いいただきありがとうございました。
いじめやOD、自殺などセンシティブな内容を扱っている上、
律花が最後まで救われなかったことに思うところがある方もいらっしゃるかと思います。
ですが、物語の展開上、彼女が救われないのが一番良いと判断しました。
本作の執筆にあたって、2023/12の下旬に京都まで取材旅行(と言いつつ別件の用事もあったのですが)に行ったのですが、しみじみと懐かしいです。京都駅、山科駅、伏見稲荷、金閣、河原町、清水寺は実際に足で歩いて、いろいろと見て回ってきました(その際の写真や動画でスマホの容量がパンパンでiOSのアップデートにすら困るくらいですが……笑)。クリスマスイブイブの河原町でおばんざいも初挑戦してきました。
晴翔の住む東京都板橋区近辺も以前にわたし自身が住んでいたことがある場所で、思い入れが深いです。最近あの辺りをバスで通りがかる機会があったのですが、このごみごみとした風景を描きたかったんだよなあと改めてじわじわと……
本作は、晴翔サイドにも律花サイドにもわたし自身の実体験が多分に含まれています。この二人はもちろん、一部のキャラにはモデルもいたりします。
その意味でファンタジー物書きのわたしの作品としては本作は異色なものになったように思います。この物語は彼ら二人の物語でありながら、わたし自身の話とも言えるので(どこからどこまでが実話かは言えませんが……)。
また、本作のタイトルですが、初話である「プロローグ、あるいはエピローグ:僕のための僕の物語」を今読み返してみると、腑に落ちる部分があるのではないでしょうか。
途中からお気づきの方もいらっしゃったかと思いますが、つまりこの物語の作者は"そういうこと"です。
何はともあれ、本作に最後までお付き合いいただきありがとうございました。




