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最終話:きみとキミの境界線~晴翔、二〇一九年夏~①

 ぴぴぴぴぴぴ。枕元でスマホが朝を知らせた。「う……んんっ……」僕はブランケットの下からのろのろと手を伸ばすと、ほぼ手癖でスマホの液晶に触れ、スヌーズと書かれたアイコンをタップする。

 あともうちょっとだけ。ほんのちょっとだけ。そんな誘惑に負けて僕の意識は再び眠りの闇の中へと沈んでいきそうになる。

(っていやいやいやいや!)

 僕は途切れそうになった意識を無理やり繋ぎ止めると、ベッドから飛び起きた。

 今は夏休みだ。普段どころか学校がある時でさえもこんな時間に起きたりはしない。

 八月二十一日、水曜日。今日はレナに会いに京都に行く日だ。東京駅で八時前の新幹線に乗るには、七時までには家を出る必要があった。

 僕は眠い目を擦りながら、カーテンを開ける。まだ六時だというのに、既に外は明るく、蒼穹から降り注ぐ力強い朝日が今日も炎暑の気配を漂わせている。東京でこれということは、京都はもっと暑いに違いない。覚悟していかないと。

 僕は寝巻き代わりの使い古しのよれたTシャツとステテコを脱ぐと、ベッドの足元に畳んで置いていた新品の服を手に取った。

 ネイビーのオープンカラーシャツ。洗いざらしのオフホワイトのTシャツ。杢グレーのクロップドパンツ。

 これらは先週、たまたまサッカー部が休みだった日に蒼也たちと池袋に出かけたときに買った服だ。自称女子ウケするファッションに詳しいという旭飛に見繕ってもらった。レナにウケるかどうかはわからないが、自分で選ぶよりはまともなチョイスになったような気がする。まだ寝ているであろう旭飛に改めて感謝しながら僕は真新しい服に袖を通していく。

 僕は机の引き出しを開けると、可愛らしくラッピングされた小さな包みを買ったばかりのサコッシュに入れた。この包みの中にはメタリックでスモーキーなピンクの小さな花が連なったデザインのバナナクリップが入っている。この前出かけたときに、レナの誕生日が近いことを話すと、絶対に何か用意していくべきだと蒼也たちに説得された。このバナナクリップは「確か姉ちゃんがこんなん持ってる」という大智によるチョイスだ。

 財布とモバイルバッテリー、タオルハンカチと家の鍵、そして新幹線の切符を入れると僕はサコッシュのファスナーを閉め、肩からかける。そして、スマホをクロップドパンツのポケットに押し込むと、僕は自分の部屋を出た。

 洗面所で歯を磨いて顔を洗い、念入りに髭の手入れをしていると、水音に気づいたらしい母親が顔を出した。

「晴翔、おはよう」

「お……おはよう」

 まさか母親に見つかると思っていなくて、返事がぎこちなくなる。いつも母親は誰よりも早く起きて朝食の支度をしているが、この時間に起きているとは思ってもいなかった。母親と鏡越しに視線が交錯する。

「こんな時間からどこ行くつもりなの? まだ六時半よ」

 えっとあの、と僕は一瞬口籠る。顎に泡をつけた僕の目が鏡の上で泳ぐ。

「その、言ってなかったっけ。蒼也たちと遊園地行くって。ほら、千葉の」

 口の中で舌が猛回転する。もちろん嘘だ。親にバレないように、蒼也たちにも口裏を合わせてもらって練り上げた嘘だ。

 母親は遊園地ねえ、と納得していなさそうに僕の格好を上から下まで見やる。普段遊びに行くときにはさほどファッションの頓着しない僕が、こんなふうに朝っぱらからめかしこんでいる様子は母親からしたら違和感のある光景でしかないだろう。

「まあいいわ、気をつけていってらっしゃい。男の子同士とはいえ、あんまり遅くならないように――日付が変わるまでには帰ってくること。帰宅時間わかったらLI-NGで連絡しなさいね」

「わ、わかったよ」

 僕は顎の泡を洗面台で洗い流しながら返事をする。頼むからあっち行ってくれ。今嘘がバレるわけにはいかない。あんまり話しているとうっかりボロが出そうだ。

「それより晴翔、まだ時間あるなら何か食べていきなさい。さっき帰ってきた大翔に作ってあげた雑炊の残りならすぐ用意できるけど」

「いや、いいよ。五十分に蒼也と駅で待ち合わせしてるから、あんまり時間ないし」

 これも嘘だ。しかし納得したのかそうわかったわ、と母親は台所へと顔を引っ込めた。ていうかこんな時間に雑炊なんて、兄ちゃんまたバイトで朝帰りだったのか。

「はあああ……」

 母親に嘘を見破られなかったことに安堵の息を吐くと、僕は洗面台の棚から兄の大翔のヘアワックスを拝借して、髪に揉み込み始めた。

(こんな感じ……でいいのかな?)

 僕は内心で首を傾げながら、前髪を指で摘んで束感を出していく。同じようにトップの毛も持ち上げる。蒼也たちからLI-NGで送られてきた記事にはこんな感じでやり方が乗っていたはずだが、普段髪なんてろくに弄らないから勝手がわからない。

 時間ぎりぎりまで僕は鏡と睨み合い続け、髪をいじり続けた。洗面所と隣接する浴室の時計はいつの間にか六時四十五分を指していた。母親にああ言った手前、駅までそう距離があるわけじゃないとはいえ、そろそろ家を出ないといけない。それにどのみち乗る予定の電車まであまり時間もない。

 僕は髪の出来に一旦満足することにすると、ささっと手を洗った。そして、踵を返すと早足で玄関へ向かう。白のスニーカーに足を滑り込ませ、ドアの鍵を開けると僕はドアを押し開ける。「うわっ」暴力的な白い朝日に目を細めると、僕は行ってきますと呟いた。解錠音に気づいたのか、「いってらっしゃい」母親の声がネイビーのシャツの背を追いかけてきた。

 僕はエレベーターで一階に降りると、マンションのエントランスを出る。そして、熱気と日差しと朝の交通音を浴びながら、僕は駅へと向かって歩き始めた。


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