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第十話:約束と期待~晴翔、二〇一九年初夏~ ②

 学校が終わると、僕は最寄駅へと赴き、JR埼京線に乗った。板橋を過ぎ、多くの路線が合流する地点を経てターミナルである池袋へと到達する。そのまま五分ほど電車に揺られ続けて終点の新宿に着くと、僕は電車を降りた。

 手近な階段を登って地上に出ると、そこは東南口の改札の前だった。改札内を南口の方へ向かって僕は横切っていく。改札の中は既に帰宅ラッシュが始まりつつあるのか、学生の姿が多い。

 十三番線の階段を降りると、既にホームに電車が入線してきていた。階段を降り切ると同時に発車メロディが鳴り響き始めるのが聞こえた。僕は慌ててホームを走り、進行方向に向かって一番前の車両に飛び乗った。一瞬の間を置いて、扉が開き、中央総武線各駅停車・西船橋行きの列車がホームを滑り出した。僕は扉のそばに立つと、流れていく景色をなんとはなしに眺める。

 乗車から十数分経つと、目的地である飯田橋に到着した。今日はこれから、この近くでバイトの面接がある。

 僕は東口の改札を出ると、スマホを操作し、目的の会社の場所を地図アプリで表示させる。神田川沿いを水道橋方面に歩いていくと、風景はだんだんと寂れたものへと変わっていった。昼から夜へと移り変わりつつある頭上の空は首都高速に遮られて狭く、辺りは薄汚れた雑居ビルが立ち並んでいる。用がなければこんなところ、絶対に来ない。

 目的のビルを見つけると僕は中へ入った。本当にこんなところに会社があるのかと半信半疑ながらも僕はエレベータへ乗り込む。階数のボタンを押すとガッコンと金属が軋む音を立てながら、頼りない古いエレベーターは上昇し始めた。

 チン、という古臭い音ともにエレベーターが止まり、ドアが開いた。ドアの外は天井が低くて薄暗く、お世辞にも景気が良さそうには見えない。

 これはハズレを引いたかな。そう思いながら、僕は入り口に近いデスクでノートPCのキーボードを叩いていた社員らしき女性へと話しかける。

「すみません、十七時半から面接の津城ですけど」

 あーはいご案内しますねと女性は面倒臭そうに作業の手を止めると立ち上がる。彼女は僕を伴って隣接する会議室らしき部屋へと向かった。会議室の中には既に同年代の少女が二人と三十代らしき少し軽そうな雰囲気のスーツ姿の男がいた。

「あー、君が津城くんね。適当なところに座って。ちょっと早いけどもう始めるから」

 男に促され、僕は背負っていたリュックを床に置き、最後列の席に腰を下ろした。それを見届けると男は僕たちに向かって挨拶を始めた。

「本日担当する朝野です。それじゃあ、これから業務説明と簡単な研修を始めさせてもらいます」

 そう言うと、朝野はバイトの概要と心構えについて説明し始めた。

 今日、僕が面接を受けに来たこのバイトは、先日レナからもちらっと存在を聞かされたスーパーの試食販売員のバイトである。バイト一回につき丸一日拘束されるが、それでも日給一万円というのは他の業種に比べて破格だった。

 朝野はバイトについての概要を話し終えると、売り場での実際の立ち居振る舞いについて説明し始めた。彼はトレーの上にチョコレート菓子の箱を置くと、デモンストレーションをしてみせる。

「いらっしゃいませー! 本日は新発売のお菓子をご紹介いたしておりまーす! いかがでしょうかー! この機会にぜひお試しくださいませー!」

 朝野の声が朗々と会議室に響き渡る。それじゃあやってみてと促され、僕たちは今しがた朝野が口にした台詞を一斉に復唱した。

「よーし、おっけー。今日三人もいるから個別に面接はしないけど、全員合格ってことで。それじゃあ、今から書類配るから、それ記入して帰って。あと、この部屋の外にいっぱい仕事の紙貼ってあるから帰る前にいくつか仕事決めてくといいよ」

 名ばかりの雑な面接と研修の終了を知らせると、朝野は手元のクリアファイルから紙を取り出して、僕たちへと配った。僕はリュックからペンケースを取り出すと、書類へとボールペンを滑らせる。

 名前と年齢、性別と住所、連絡先。親の名前と連絡先に、給与の振込先の口座情報。必要最低限の内容を藁半紙の登録用紙に記入すると、僕はそれを朝野へと提出した。「失礼します」リュックに筆記用具をしまい直すと、僕は少女たち二人より先に会議室を出た。

 外の執務室の壁際には様々な派遣案件が記載された紙が貼られていた。埼玉県や二十三区内、都下などとある程度エリア別に分けられているようだ。

 今の僕には元手がない。先ほど、朝野から聞かされた話によると、試食販売のバイトは基本的に試食にかかった費用は一旦自分で立て替え、後から会社に請求するのだという。立て替える分のお金が手元にろくにない僕は、まずは派遣先の店舗が精算処理をしてくれる赤伝の仕事か、試食を伴わない景品配りや抽選の仕事をするのが良さそうだった。

 とりあえず、直近だと越谷にある大型ショッピングモールでのパンの試食の仕事が良さそうだった。赤伝処理してもらえる案件らしいので、立て替えるのは交通費だけで済む。僕はその案件の紙を壁から剥がすと手の中にキープする。

 戸田のショッピングモールでのアイスの試食と着ぐるみ補助。これは土日二日間に亘る仕事で実入りは美味しいが、試食にかかった費用を自分で立て替えるタイプの仕事だ。だんだんと夏めいてきた今の時期にアイスの仕事など、一体いくらかかるのかと思うとぞっとする。これはパスだ。

 六月末の景品配りの仕事。これは近所の前野町のスーパーでの仕事だ。近いから自転車で行けるし、何より立て替えがないのがいい。僕はその案件の紙を剥がす。

 今日はまだ初回だし、あまり仕事を欲張りすぎても良くない。万が一この仕事が性に合わずに続けて行けそうになかったら、あまり手元に予定を抱え込み過ぎると後々泣きを見ることになる。

 僕は二枚の紙を派遣状況の管理しているらしい女性社員の元へと持っていった。彼女は紙に判を押すとそれを僕に返す。そして、専用のレポート用紙を机上のラックから二枚取り出すと僕に手渡した。

 僕はそれらを受け取ってリュックにしまうと踵を返した。初回の面接――もとい、説明会と研修と初回登録を兼ねた何かがあまりにも呆気なく終わってしまったことに心許なさを感じながらも、帰途につくべく、僕はエレベーターの逆三角形のボタンを押す。

 エレベーターを待っていると、執務室内のスピーカーから割れ気味な蛍の光のメロディが流れてきた。ちらりとスマホの時計を確認してみると、ちょうど十八時を回ったところだった。

 チン、と音が鳴り、古びたエレベーターの扉が開く。定時を回ったにもかかわらず、辛気臭い空気を垂れ流しながら大人たちは仕事を続けている。窓際のブラインド越しに、うっすらとした夜の気配が室内に入り込んできていた。


評価いただきありがとうございます!

本作も残すところあと数話となって参りましたが、引き続き応援よろしくお願いいたします!

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