第九話:違和の輪郭~晴翔、二〇一八年晩秋~①
十一月も終わりに差し掛かり、だんだんと底冷えのする夜が増えてきた。僕は冷たくなった手を擦り合わせると、エアコンの電源を入れる。
来年はもう高三だ。一応大学はAOで行けるところを狙っているが、だからといって勉強しなくていいわけではない。それ以前に来週から始まる期末テストをどうにかしないといけない。
期末の勉強をする前にBNFのデイリークエストを回してしまおうか。僕は部屋着のスウェットのポケットからスマホを取り出した。スマホのロックを解除しようとして、目に飛び込んできた通知に僕はあれ、と片眉をあげる。
レナからLI-NGが来ていた。彼女から連絡が来るのは一年以上ぶりだった。去年の秋口に彼女の忙しさを理由に、だんだんとやりとりをすることが少なくなり、気づけば完全に疎遠になってしまっていた。この一年間、レナという存在も、かつて一緒に遊んだセケルやナハトも自分の空想が生み出した存在なのではないかと僕は疑問を覚えてすらいた。彼らは自分の中のイマジナリーな友達だったのではないかと思い始めていた。
そんなはずないのにな、と疑心暗鬼になっていた自分に苦笑しつつ僕はレナからのLI-NGメッセージを開いた。
「お久しぶりです。元気でしたか?」
どことなく他人行儀でよそよそしい文面に僕は若干の違和感を覚えた。しかし、一年ぶりに連絡するともなればこうもなるのかもしれない、と僕は思い直す。僕だって久しぶりに誰かに連絡するなんてことになったらこんなふうによそよそしい物言いをしてしまうかもしれない。
「僕は元気だよ。レナは? どうしてた?」
「あたしは、しばらく入院していました。声帯に結節ができてしまって、手術のために」
結節ってなんだろう、と思いながら僕はその二文字を検索エンジンにかける。検索結果を見て、僕はどうやら日常的に喉を酷使する人がなりやすい病気らしいと理解した。確かに強豪校の合唱部で日々練習を頑張っているレナであれば、そういうことが起きても不思議ではない。
「大変だったんだね。今はもう大丈夫?」
「普通に生活する分には大丈夫です。まだ大声は出せないですけど」
文字とはいえ、レナがこのような丁寧な言葉で話すのはなんだか不思議な感じがした。レナは初めてSSで出会ったときから気安い調子で言葉を交わしていた。これが一年の時の重みかと思うと少し複雑だった。
「ねえ、レナ。そんな他人行儀にしなくても、前みたいに普通にタメ口で話してくれていいんだよ?」
「お話しするのがお久しぶりなので、感覚が掴めずすみません。改善努力します」
改善努力って。僕は苦笑する。僕とレナの間にできてしまった距離は大きい。この距離を再び縮めるためにも僕の方も改善努力すべきだろう。
「レナ。よかったら、またちょくちょく話そうよ。前みたいにさ」
「わかりました」
チャットにレナからの堅苦しい返事が表示される。以前のようにレナと話せるようになるには、少し時間がかかりそうではあるけれど、僕たちの間にできてしまった隙間は対話を重ねて埋めていこう。
「それでは、あたしはそろそろ寝ますね。おやすみなさい」
僕はレナのメッセージにおやすみ、というスタンプを返した。それきり、LI-NGの僕とレナのチャット画面は沈黙した。
スマホの時計を見ると、日付が変わりかけていた。今日は世界史を一、二時間やったら寝よう。
僕はBNFのデイリークエストは諦めてスマホをスウェットのポケットにしまうと、机に向かい始めた。
期末テストが終わった翌日の昼、一人で帰宅しようとしていた僕はBNFでいつもつるんでいる面々――蒼也たちに声をかけられた。
「なあ晴翔、お前今日電車だろ? 帰りに何か食ってかね? 旭飛と大智が腹減ったってうるさくってさあ」
蒼也の言う通り、秋雨の降る今日は僕は電車で学校に来ていた。普段は自転車通学なのだが、今朝は雨脚が強く、自転車で来るのは少々厳しかったからだ。
「いいけど、蒼也たち部活ないの?」
そう僕が聞くと、蒼也は後ろ手に親指で窓の外を示してにっと笑った。
「今日、グラウンド使えねーから。で、夕方までずっと校内で走り込みっつーのもだりーから、新部長のオレの権限で今日は部活中止」
職権濫用じゃん、と僕が蒼也を軽くこづくと、いーのいーのと彼は口元の笑みを深くした。
「なー、クーポンあるー?」「LI-NGのほうは大したのねえな……お、SlimNewsにドリンクバーの割引クーポン配信されてる」「お、いいじゃんいいじゃん」
僕と蒼也はスマホを覗きあってなんやかんやと騒いでいる旭飛と大智の元へと向かう。大智はスマホから目線を上げると、「お、来た来た。早くいこーぜ」「早く行かないと店混んじゃうもんね」「おれ、マジ腹減ったー」「ならさっさと行くぞ」
僕たち四人はそれぞれかばんを持つと、わいわいと騒ぎながら教室を出た。
廊下に出ると冬の気配を帯びた冷たさが空気の中に降りていた。暖房の効いた教室と対照的な外気温にほど近い寒さが顔に突き刺さって、僕はベージュのタータンチェックのマフラーに顔を埋めた。そういえば、今日は夜になったら雪になるかもしれないなんて予報が出ていたような気もする。
「しっかし今日さっみーな」
「夜、雪になるかもってさ」
「うわ、帰り電車大丈夫かな」
「俺と晴翔は新板橋まで行ければあとは三田線だから関係ねーけど」
「うっわ、蒼也きたねー! ってか三田線も途中から地上走ってんだろ!」
止まれよ、と旭飛が僕と蒼也に軽い毒を吐く。ええー、とかなんでだよ、とか言い合いながら僕たちは階段を降りて昇降口へ向かった。
昇降口へ降り、自分のスニーカーを出すと、僕は上履きを脱いだ。靴下を履いているにも関わらず、足元のスノコの下から冷気が容赦なく足を攻め立ててきて、僕は思わず足の指をぎゅっと握った。
「おーい、晴翔。早く行くぞー」
ぐずぐずしてんなー、と先に靴を履き替え終わった蒼也が振り向きざまに僕に声をかける。僕は冷え切ったスニーカーの中に急いで足を滑り込ませる。
そして、傘立てから無個性なビニール傘を適当に抜き取ると、「待って、今行くー」先に校舎の外に出ていた蒼也たちを追いかけた。
しとしととそぼ降る気まぐれな時雨の下、僕はジャンプ式のビニール傘を開いた。まだ昼だというのに空中に吐き出される息は白く、冷たい空気がひりひりと僕の喉を痛めつけた。
ところどころにできた水たまりを特に気にしたふうもなく、僕たちは今日の昼食についてああでもないこうでもないと話しながら、校門を出る。ビニール傘の表面を叩く雨音が、蒼也たちの話し声と混ざり合って僕の聴覚を満たしていた。




